後輩の告白

 東京ゲームショウの全日程が終了した、翌日の月曜日。

 あまり感じたことのない種類の疲労を抱えた俺は、四時限目の授業を放り出して漫画部の部室へ向かった。なんでも先生が急な法事で自習とのことで、それなら仮眠を取ろうと考えたわけだ。


「……ッ、せ、先輩!?」


 ということで漫画部の扉を開けると、先客が素っ頓狂な声を上げた。


「えっと、えっと、も、もう昼休みッスか?」

「いや、まだ四時限目だぞ、ずーみー」


 俺は万年コタツの反対側に腰を下ろす。暑い。だがコタツを剥がす気はない。面倒だからな。


「自習になったんでな、それでここに来た。ずーみーはどうした、サボりか」

「いやそのまぁ……サボりッスね」

「そうか。出席日数には注意しないとだぞ」

「ウッス! そこは大丈夫ッス」


 後輩はしたたかに返事をした。


「ってか、先輩の方こそ大丈夫なんスか? 出張とかでいない日もあるじゃないッスか。なんか今週はインタビューとかいっぱいあるし……」

「登校できる限りは登校しているから、まだなんとかなる」


 そういう無理を押して登校するから、こうやって眠くもなるのだが。

 まったく自習には助かった。法事だというから大手を振って喜ぶわけにもいかないが。


「そッスか……先輩はすごいッスね……」

「雑用係だからな、忙しいのは仕方ない」


 シオミにスケジュールを調整してもらったり、バイト先でシフトを調整してもらったりと、多くの人に協力してもらってなんとかなっている現状だ。


「すごい、といえば、ずーみーだろう。キャラクターデザインはどこを向いても好評だし、それ単独でインタビューの依頼もきていたじゃないか。忙しいというから、断ったが……」

「あー……そういうこともありましたねー……」


 ずっとペンを走らせていたスケッチブックをパタリと机に伏して、ずーみーはコタツに顎を乗せた。


「どうした。疲れたのか」

「いや、疲れたっていうか……疲れてはいないんスけど……」

「そういえば珍しくアナログなんだな。いつもの端末はどうしたんだ?」

「あー、持ってるんスけど……ちょっと、気分を変えようかと……」

「かまぼこの製造先を」

「かまぼこメーカーじゃなくて」


 気分、気分か。


「何か悩みでもあるのか」


 ずーみーは動きを止めて、丸メガネの奥からこちらを見つめた。じっと。観察するように。


「……いや、別に俺に言う必要はないぞ」


 誤解させてしまったかもしれない。


「ずーみーは俺の貴重な後輩であり、会社の仲間だ。だが悩みというのは個人の持ち物だ。取り扱いは自分で好きにしたらいい」

「個人の……っていうか」


 ずーみーは少し身を引いて言う。


「よくよく考えると、個人の悩みじゃないような」

「集団か」

「集団につながるというか、言わないといけないというか」


 ずーみーは、唇を噛んで、それから俺を見上げて――告白した。


「できてないんスよ」



 ◇ ◇ ◇



「ケモプロの展開のひとつに、自分がケモプロを題材にした漫画を描くってやつがあるじゃないッスか。あれがぜんぜんできてなくて……ネームも……」


 何十人もの選手がゲーム内には登場する。となると、それの顔と名前を覚えるのも大変だ。

 そこを解決する施策のひとつが野球漫画だった。途中から観戦する人が置いてけぼりにならないようにと、全試合の動画を録画配信することになっているが、ではそれを見るかというと熱心で時間の有り余っている人しか見ないだろう。


 そこで、漫画だ。漫画を読んで選手に親しみを持ってもらう。普通の野球漫画なら――例えば甲子園モノの野球漫画なら、甲子園に優勝して終わりで、選手のその後の活躍は追いかけられない。けれど現在進行中のケモプロならば、漫画を読んだ後の世界が待っている。

 そういう意図を持って、企画したものなのだが――


「ずっと何もできてなくて……何度か相談しようと思ったんスけど、みんな忙しそうで、言い出せなくて……そうこうしている間に、ライムちゃんが掲載日の告知しちゃうし」


 してたなあ。それはもう、うれしそうに告知してたな。


「前々から決まってたから、ライムちゃんが告知したのは悪くないんスけど……でっ、でも、なにもできてないんスよ!?」

「落ち着け」


 ――失敗だった。


 何が雑用係だ。こういうことに気がつくことこそ、雑用係の仕事だというのに。結局、後輩を悩ませたまま放置していただけじゃないか。


「……すまなかった」

「えッ……と、先輩?」


 今思い返せば、不自然な点はいくつかあった。


「早く気づくべきだった。一人で悩ませてしまって、悪かった」

「いや、これは自分の仕事ですし、それに先輩は忙しいから仕方ないッスよ」


 いや。もっと時間を作ろうと思えば作れるんだ。そこは言い訳にできない。

 できないから――巻き返さないといけない。


「しかし、ずーみー。お前の漫画はケモプロに必要なんだ。描いてもらわないわけにはいかない」

「う……それは……」

「だから手伝わせてくれ」


 俺は、雑用係だからな。


「まず、どこから手をつけるか――それを一緒に考えようか」


 ◇ ◇ ◇


「できてないということだが、どのレベルからできてない?」

「ほんと、何にもできてないッスねー」


 場所を移して俺の膝の中に納まったずーみーは、ぱらぱらとスケッチブックをめくる。


「何を描いていいのかさっぱりで。いちおう、ネームの書き方みたいのはネットで勉強したんで……こんな感じ」


 ぱら、とスケッチブックのページが開かれる。ホームランを打つシーンだ。大ゴマでイキイキとバッターがスイングし、ピッチャーが自信を失うところがよく描けている。


「アナログはヘタクソなんで、あんま見ないで欲しいッス」

「そういうものか」


 棒人間しかまともに描けない俺からしたら、ラフに殴り描かれているネームでさえものすごくうまいと思うのだが。


「まず最初の問題は、題材か」

「ケモプロ、ってことしか決まってないッスからねー」


 ずーみーの自由にやってほしいと考えて、深く指定することはなかった。今思えばこれも失敗だ。自由にやらせることと、放っておくことは違うのだ。


「いや、それだけじゃない。企画の意図は、選手を覚えて試合を観戦してもらうためだ。だから、実際にゲーム中で活躍しているケモプロの選手が出てくる必要がある」

「選手を覚えてもらう……」

「選手に魅力を感じてもらう、と言った方がいいか」

「キャラの掘り下げッスか」

「そうだな」


 俺はうなずく。


「今後オフの様子を作るアップデートは予定しているが……それでもキャラクターはキャラクターだ。実在しているわけじゃないから、リアルよりもキャラは薄い。特に今いる選手たちはデータ上は年齢が決まっていても、実際は生まれて一歳にもならないやつらだ。背景や内面を補完するような漫画であれば、より選手をリアルにしてくれるだろう」

「背景とか内面とか、自分が勝手に書いても大丈夫ッスかね? ゲームで違うことになったり……」

「あまりに変わっていたら違和感があるだろうが、多少の違いは味付けだろう。ずーみー世界の解釈だとすればいい」

「ずーみーバースッスか……それなら少し気が楽ッスね」

「気楽ついでに、形式だって普通の漫画じゃなくて、四コマでもいいんだぞ」

「プロ野球……四コマ……『かっとばせ!キヨハラくん』みたいなかんじッスかね?」

「あの絵柄でやるというなら、見てみたいが」

「模写ならできるッスけど、一発芸で続かなさそう……というか自分にあそこまで吹っ切れたギャグは難しいッスね」


 もしゃもしゃ、とずーみーはもさもさの髪を掻く。


「世の中には甲子園漫画はたくさんあっても、プロ野球漫画は少ないんスよねー」

「別に、甲子園でもいいんじゃないか?」

「はあ? どういうことッスか?」


 こちらをふり仰いで訊いてくるずーみーに、俺は説明する。


「今の選手たちはほとんど、獣子園――現実世界で言うところの甲子園を経験してプロになったという設定だ。キャラの掘り下げだったら、その獣子園の頃の活躍を創作したっていいだろう」

「なるほど。甲子園終了後の活躍はゲームで!」


 ずーみーは拳を振り上げて――下ろす。


「いや、さすがに今からそれは無理ッスよ。プロになってない子もたくさん出さないといけないし……それを作る時間が足りない……」

「ツグ姉に言って、その世代分の選手だけ作ってもらうか? 自動生成なんだから、時間はかからないと思うが」

「あー、そういう裏技もあるッスね。そうしたらキャラデザの時間は省ける……けど……」

「けど?」

「甲子園じゃあ、終わるじゃないッスか」


 そりゃずっと続く甲子園があったら、球児たちが死んでしまう。


「先輩は、ケモプロを何十年も続けるつもりなんスよね? だったら自分も、ケモプロの漫画を――同じぐらい長く続けたいッス」


 ずーみーは下からじっと見つめてくる。


「自分だって先輩とずっと――その、ずっと仕事したいッスよ!」

「ずーみーが抜けることなんて考えてもいなかったな」

「そッ、そスか……そ、今はそれでいいッス。とにかく! 甲子園はちょっと……離れすぎじゃないッスかね?」


 離れすぎ?


「漫画を読んで甲子園に期待したら、ゲームはプロ野球だった、とか……」

「なるほど……誤解を生むかもしれないな」


 それに甲子園で結束を見せたチームメイトは、プロではバラバラのチームに入ることになるだろう。漫画とゲームで立場が違いすぎるのも、入り口用の漫画としては考え物だ。


「となると、ゲームと密着したものがいいだろう。それでいて、キャラの掘り下げができる……」

「密着……取材?」

「ドキュメンタリー、のような? 伝記漫画……?」


 まてまて、考えをまとめよう。伝記にするような偉人はまだいないのだから。


「……ゲームと密着するのだから、ゲームの後を追うのがいいだろう。そしてキャラを掘り下げる……ずーみー、試合は見てるか?」

「もちろん、欠かさず見てるッスよ。なんか漫画にならないかなーって」

「気になる選手はいたか?」

「うーん、そッスねー。どの子もモデルの最終調整はしたんで、かわいいんですけど――」


 ずーみーは指をくるくると回して、ぴたりと止める。


「強いて言えばあいつッスかね。ダイトラ」


 肉食ウォリアーズのキャッチャー、青い虎のダイトラ。元、肉屋。


「ガチムチ系だし、見た目も好きなんスけど。まず45歳で野球選手に転職するのが謎じゃないッスか」

「40代の選手はダイトラだけだしな」

「そうそう。あとよくわかんないプレースタイル。あれのせいで、ダイトラだけ早くもアンチスレが立ってるッス」

「そうなのか……」


 知らなかった。確かにボールを追わないのが無気力に見えるし、肝心な場面でなかなか打たないし、バッテリー間もうまくいってなさそうだものな。相手がラビ太ということもあるのだろうが。


「何考えてるか分かんないところが、デキの悪い子を見守っているようでハラハラして、すごく気になるッス」

「何を考えていると思う?」

「やー、いろいろ想像はしますけどねー……」

「なら、それでどうだ」

「?」


 ずーみーはぱちぱちとまばたきする。


「ダイトラを中心にして、ダイトラの活躍を追うプロ野球漫画だ。なぜダイトラはプロ野球選手になったのか? あの時ダイトラは何を考えていたのか? をずーみーの解釈で描く」

「お、おお……?」

「過去の甲子園の話だと、試合展開から考えないといけないだろうが……これなら試合展開は実際に配信されたものをなぞればいい。その方が後から追いかけてくる人も分かりやすいだろう」


 漫画のすぐ先の話が現在進行中なら、気になって見る人は多いに違いない。


「それに試合展開を考えることよりも、キャラを掘り下げるんだったら、キャラのことを考えることに専念したほうがいいだろう」

「確かに……いきなり全部は難しいと思ってたんスよ」


 うむむむ、と唸った後、ずーみーは大きく伸びをした。


「うーんっ! よしっ! それでいくことにするッス! ダイトラのあんな姿やこんな姿を描きまくってやるッスよ!」

「楽しみだ」


 一人のファンとして、ずーみーの新作が見れるのは喜ばしいことだ。


「他にも何かあったら、遠慮なく言ってくれ」

「じゃあ……先輩は編集になってほしいッス」

「編集……?」

「漫画家を支えるのは編集と決まってるじゃないッスか。ネタ出しとか、ダメ出しとか、手伝ってくださいよ」


 なるほど。バクマンでも重要な立ち位置にいたものな、編集者。


「わかった。それも雑用係の仕事だ。引き受けよう」

「よろおなしゃッス! それじゃ、早速なんスけど~」


 時間が経つのを忘れて、二人でダイトラについて話し合い、アイディアを出す。熱の入った、身のある打ち合わせだった。


 ――午後の授業をすべてサボってしまったことに気づかないほどに。


 ◇ ◇ ◇


 ケモプロ広報公式ツイッターより。


”本日は皆さんにケモプロ野球漫画情報の続報をお届け!


”キャラクターデザインのずーみー先生自らが描く野球漫画、そのタイトルが決まりました! タイトルは「獣野球伝 ダイトラ」! って、あのダイトラ? このダイトラ!? https://(ダイトラ珍プレー集の動画)


”45歳でプロ野球に殴りこむダイトラの謎を追う作品になるとのこと! 広報担当も楽しみです。公開予定日は事前告知より一週遅れ、10月9日になります。今しばらく……お待ちください!


”うあああああん、はやくみたいよおおおおお!

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