入団テストと幼馴染
9月24日。
東京ゲームショウの最終日。
俺は幕張メッセではなく、地方の野球場のスタンドにいた。
「うおぉ~……緊張するぜぇ!」
「ニシンは受けないんだろう?」
「そうだけど、緊張するもんはするって!」
ツインテールがやや伸びた幼馴染は、隣の席で腕を振り回す。当たる当たる。痛い痛い。何が痛いって、ツインテールの先端もビシビシ顔に当たって痛い。
「うー、不安だ不安だ! 一人で大丈夫かなあ?」
「そう思うなら、一緒に受ければよかったじゃないか」
「それは考えたけどさ」
ニシンは顎に手をやってぷくっとむくれる。
「あたしは守備うまいじゃん?」
「うまいな」
「ぶっちゃけすっごいうまいと思うんだよ」
「それほどか……」
「でもプロの世界には同じぐらいうまい人はたくさんいるわけでさ」
ニシンはプーッと息を吐き出した。
「そうなると結局、あたしの守備範囲って狭いんだよ。男子の背の高さと手足の長さにかなうわけがないじゃん?」
「女子にもかなってない気がするんだが」
「うるさいな! とにかく、そういうわけだよ――今グラウンドに立ってても、プロに選ばれるわけないって、分かってる。……記念受験なんて、そんなことさ」
ニシンはグラウンドで準備体操をする、一人の選手を見つめて言った。
「真剣な人の横で、できないじゃん」
そこには我が棚田高校女子野球部のユニフォームを着た、カナが立っている。
◇ ◇ ◇
「結構たくさん受ける人がいるんだな、入団テスト」
「入団テストが行われること自体が、珍しいんだよ!」
会場では一次試験の50メートル走と遠投が始まっていた。この二つに不安はない、とニシンもカナも言っていたので、ぼんやりと眺めている。
眺めている――が、わりとこの試験で落ちる人が多い。これに不安がないとは、相当な身体能力じゃないか? 俺は50メートル10秒だって怪しいんだが。
「テストなのに珍しいのか?」
「セ・リーグの金満球団ぐらいだよ、毎年やってるのは。あとはまちまち。どの球団でもやってない年だってあるよ――って、らいぱっつぁんが言ってた」
「ライパチ先生が」
「受けようとしてたんだって。社会人になってから」
俺はコメントを差し控えた。
「テストがないなら、どうやって球団は人材を確保しているんだ?」
「ドラフト会議ってあるじゃん? アレだよ」
「……少なくないか? 毎年6人だけで補充は足りるのか?」
「6位以上選ばれる年だってあるし、育成ドラフトっていう別枠のやつもあるよ。でもそこで指名されなかったら、プロ野球選手にはなれない。こーへーせいのため、球団はドラフト以外では新人を獲得しちゃいけないんだよ」
うん? それはおかしくないか?
「……こうやって入団テストしているのにか?」
「おっ、いいとこ突くね! 実はね、入団テストに合格したら――ドラフトで指名してあげますよ、って約束がもらえるんだよ!」
「……約束」
「そう、約束だね」
ニシンは手をくるくると回す。
「合格したからって、その時点で確定じゃないの。こーへーせいのためにね」
「つまり――約束した球団ではない球団が、より上位のドラフトで指名したら、その球団に入団することにもなるのか」
「さすがにそーいうのはジンギにもとるから、やらないと思うけど――理屈の上ではそうだね」
「やらないのか」
「やらないよ。野球ってすごいんだよ。全国に優秀なスカウトマンがいて、優秀な選手にはドラフト指名の『約束』をしにいくもん。ここに来ている人たちは、まだ約束していない――つまり、スカウトの目には止まらなかった人たちなんだよ」
「――入団テストに合格した、つまりスカウトの目にもれた選手を、他の球団から奪うようなマネは、スカウトの仕事が悪いと公言することになる、と?」
「そんなとこ、そんなとこ。テストの条件が厳しいのもさ、スカウトが有能だから、それにひっかかってない人たちは当然不合格が多いんだぞ、っていう感じ?」
なるほど。確かに自分のところの社員を悪く言うようなマネはできないな。
「……カナはドラフト指名されないのか?」
「テレビ見てない? 夏休み中」
「この夏は忙しくてな」
「そっか。すぐに報道も収まったけどね、一時期すごかったよ? 学校にテレビ局もきたし。美少女天才バッターあらわる! って」
確かにカナは整った顔立ちをしているし、スタイルもいい。美少女と言って間違いないだろう。
「決勝で負けた後のインタビューで、プロになるって言ったじゃん?」
「言ったな。あとメガネをきれいにしろとも」
「あぁ……あれで、メガネ屋さんのCMのモデルにならないかって話もきたらしいよ。断ったって言ってたけど」
広報マンはすごいな、と俺はウチの広報の顔を思い出す。
「とにかく、プロになるって言ったから、めっちゃ期待されてるんだよね――女子プロ野球界に」
「女子プロに……」
「そう。話題の美少女天才バッターが加入したら、女子プロ野球も盛り上がるぞって。家にもJWBL……日本女子プロ野球機構の職員さんが来て、熱心に勧誘されたって」
「勧誘……? ドラフトで指名すればいい話じゃないのか?」
「女子にドラフトはないんだよ。というか、ドラフトの仕組みが違うんだ」
どういうことだ?
「女子はドラフト会議するほどの規模に至っていないから、プロになりたい選手を合同でテストして、その合格者からドラフトしていく形なの。つまりテストを受けなければプロにはなれないのね」
――男子で同じことをしようとすると、会場があふれそうだな。
「男子も勝手にドラフト指名されるわけじゃなくて、『プロ志望届』っていうのを自分が所属する野球連盟に提出して、自分はプロになりたいでーっすって申告しておくんだよ。でないとドラフトで指名されない。すごく有力な選手でも、大学野球がやりたくって高校では届けを出さなかった人もいるんだよ」
「そういう人もいるのか……」
「もちろん、カナは届けを出したよ」
目指す場所はNPBだからな。そうなるだろう。
「でもそれもちょっと誤解されてるっていうか……」
「どういうことだ?」
「カナ、高野連にも籍を置いてるんだよ。男子部のマネだから。で高野連の規定で、『プロ』になる場合は必ず志望届が必要なの……女子プロになる場合でもね」
「女子プロになるために、志望届を出したと思われている?」
「ちゃんとJWBLの人にはNPBを目指す、って言ったんだけど……諦められてないっていうか……結局、女子プロがどうこう、って報道されてる。だからちょっとプレッシャーというか責任みたいなの感じてるらしくて……」
「周りは勝手だな」
「まったくだよ」
「だが、カナなら大丈夫だろう」
カナは責任感は強くても、意志も強いやつだ。
NPBでドラフト指名されなければ、進学する。そう決めているからこそ、今ここに――パ・リーグ2チームの合同プロテストに参加している。
「うん、カナなら大丈夫だよ」
ニシンも頷く。
グラウンドで行われていた一次試験はついに最後の一人のテストを終え、不合格者は退場していた。
「カナなら、大丈夫」
おさげの幼馴染は、グラウンドでひとり目立っていた。
◇ ◇ ◇
一次試験が終わって、不合格者の付き添いに来ていた人たちが引き上げたのか観客席に空きができてきた。ニシンと共に少し前のほうに移動して腰を下ろす。
「ちぇー、駄目だったわ」
「おうお疲れ、ボロボロだったな」
前に行くほど人の密度が上がり、会話も聞こえてくるようになる。
特にフェンス際に張り付いて話している男二人の声が大きく、どうしても耳に入ってきた。どうやら試験参加者と、その付き添いの友人らしい。大学生ぐらいだろうか。
「うっせーな、肩の調子が悪かったんだよ。クッソ、一メートルぐらい大目に見ろよなー」
「えぇー、一メートル? オレの目にはあと十メートルには見えましたけど?」
「はぁー? 目ぇ悪くね? ま、俺の売りの打撃を見なかったことを永遠に後悔してもらうわ」
「そうそう、打撃と言やぁさ。お前、見た? 打撃のメガネがいたの」
ムッ、と隣のニシンが表情を固くする。
「おぉ、いたいた。ガン見したわ」
「でけぇよな胸」
「胸もだけど、態度もでけぇよ。あのさ、守備のテスト用にポジション書くじゃん? あいつなんて書いたと思う?」
「外野なんじゃなかったっけ?」
「DHって書いてた」
「まじかよ」
二人組は周囲を憚らずにゲラゲラと笑い転げる。
「DHはポジションじゃねーっつの」
「テレビで見たけどさ、守備ボロボロじゃん? だからDHなんじゃね?」
「確かにどのポジションにもつけたくねーわ」
「だからってDHかよ。確か女子の甲子園で打率十割なんだっけ? そこはどうなん?」
「つっても男子より試合数ひとつすくねーし、イニングもすくねーし、ピッチャーは女だし参考にならねーよ……ってテレビで言ってたわ」
「このテレビッ子め」
キャッキャッと二人組はどつきあう。ニシンが参加しそうになるのを、肩に手を置いて止めた。
「まーでも、打撃のメガネのブームも一瞬だったよな」
「そりゃ甲子園であんだけの怪物が出ればなぁ。あいつ何球団から指名うけんのかね?」
「全球団でもおかしくないっしょ、話題性的に考えて」
なんか世間じゃ、俺の知らない間にすごい怪物がでていたようだな。
「あいつに比べたら、打撃のメガネなんてただのメガネだろ、女子だし」
「だよな。つか、なんでテスト来てるんだ? 女子は会場違くね?」
「マスコミに踊らされてプロにいけるとか勘違いしてるんじゃね? ほらさぁ、タイガとかいるじゃん、セ・リーグのほう」
「ああ、あのデカ女な」
「球おっせーのに先発ローテとか、あれ絶対客寄せだよな」
「それ以外ないだろ? フォーム三刀流とか言って、目先ごまかしてるだけだし。終盤スタミナ切れで炎上してるイメージしかねぇわ」
「パワプロでも寸前一発持ってるぜあいつ。あとムード×」
「笑えるわ。客寄せパンダならおとなしくグラビアでも出せっつーの」
「えっ……買うの、お前?」
「ばッ……出ても買うわけねーだろ!」
中学生かよ。
「んじゃ、メガネも客寄せでプロになるかね?」
「客寄せに貴重な登録枠使うかぁ? しかもDH志望のやつ? うへぇ、ないわ」
「だなぁ。せめて客寄せでも打てないと――」
ガキィン!
乾いたバットの快音と共に、どよめきがあがる。
「よし」
隣のニシンが小さく言ってこぶしを握り、どうだどうだと得意げな顔を二人組に向ける。
まあ、向こうはこちらに気づいてさえいないが。
「え、あれ……今、メガネ? ……ま、まぁ、一発ぐらいはマグレでもな?」
「あ、あぁ、たしか、女子の甲子園でホームラン打ってたし、そりゃ」
ガキィン!
「……打撃練習とかだと、柵越えって連発するのが普通だよな?」
「そ、そりゃそうよ。動画で見たことあるけど、誰だって軽々と打つよ」
「だよな。パワプロの打撃練習でも――」
ガキィン!
「ほ、ほら、柵越えてないし?」
「ああ、フェンスに直撃するぐらい、俺だってできらぁ」
ガキィン!
「………」
「………」
二人組が黙る。
グラウンドの方は騒がしくなっていた。
「うおおおぉぉ、いいぞぉ、カナァ! かっとばせぇ!」
いや、横のほうが一番うるさかったのだが。
◇ ◇ ◇
その日。カナは一番最後に球場から出てきた。表情は明るく。
「あはは……散々だったよ」
と言って笑う。
「お疲れさま、カナ。いやぁ、長かったね……シートノック」
「うん……いちおう守備も見ようって、それでね」
希望ポジションをDH――指名打者と書いたカナだが、結局打撃テストのあと守備テストを受けることになった。例のうるさかった男二人組は打撃のことをすっかり忘れて大喜びだった。それはもうエラーの連続だったからだ。
「がんばったんだけど、集中が……ううん、これは言い訳だね」
「そんなことないよ! カナはがんばったよ! ねえ、ユウ」
「そうだな」
苦手だからといって手を抜く人間じゃないことは知っている。
「最大の武器はアピールできたんだろう?」
「そうだよそうだよ! でかいのかましたじゃん! 二発も!」
「でもホームラン打った人なら、他にもいるから……」
「ヒットもたくさん打ってただろう?」
「数は打ったけど……他の人より多く投げてもらったからだよ」
「でもそれって、カナを試したいと思ったからでしょ? すごいことだよ!」
後半はかなりの人だかりの中で打っていた。
「で、で、その後なんか連れてかれてたけど、どうなったの!?」
「職員さんとスカウトさんと、ちょっと話をして……」
「おおっ、合格!?」
「――なのかなぁ?」
カナは困ったように首をかしげた。
「女子プロじゃなくてNPBに入る気があるのか、って何度も聞かれた」
「おおおっ! それってもう間違いなくない?」
「……ドラフト指名するかどうかは、もっと偉い人と話して決めるから、ここでは約束できないって」
はしゃぐニシンに、カナは苦笑いをする。
「チームに女子選手を入れるかどうか――タイガ選手の前例があるとはいえ、全体の意志を確認しないと難しいって」
「だが少なくとも、その場にいた職員は、入って欲しいと思ったんじゃないか?」
「だと、いいな。野球は続けてください、って言われたし」
「よーしよし! 前途は明るいよ! よっしゃ、なんか食べて帰ろーぜい! あたし、おごっちゃるぞ!」
「あと――」
駆け出したニシンの背中を追いかけるように、カナは言った。
「今度話をするときは、ニシンちゃんも一緒にって言われた」
「へっ?」
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