左利き問題

 8月6日。


 明日に予定を控えながらも、俺は兵庫県にいた。

 商談ではない。けれど移動費用、手段はなんと学校が負担してくれる。となれば、予定を調整してでも行っておくべきだ。大舞台に――女子硬式野球部が、全国大会の決勝に出るというのだから。


 甲子園と違って、女子硬式野球は過密スケジュールだった。いや、一日に行う試合数は変わらないのだが、参加枠数が少ないため、甲子園が約二週間かけて行われるところ、一週間で決着がつく。さらに休養日はない。組み合わせが悪いと決勝まで四日間連戦だ――我が棚田高校のように。

 つまり決勝に行くと分かったのは前日で、急遽応援団を派遣しようと決まったのも前日で、最近の高校生が急に明日兵庫に行けといわれてもスケジュールが空くわけでもなく、張り切って借りたバスは一台減らしてもよさそうな快適さだった。


 休養日もない過密スケジュールなことに、以前ならただ文句を言えたかもしれないが、今の立場だと理由をだいたい察してしまう。予算の都合とか。甲子園の開幕が明日に迫っていることとか。


 だからといって予選決勝からも時間がなさ過ぎる気がするんだが。まあ以前は予選をやらなかったというし、球場の都合もあるからしかたないのだろうけど。


 幸いにも全日程好天に恵まれ、今日も日差しが痛かった。

 舞台は、スポーツピアいちじま。約二千六百人を収容する野球場だ。女子の甲子園的な場所らしい。甲子園は四万七千人収容できるらしいが……桁が違うとはこのことだな。

 学校のため用意された席に案内され、女子に挟まれて着席する。男子? 棚田高校の男女比率は大いに偏っている――そしてこういうイベントに参加する男子は少ない。要するに俺しかいなかった。浮いている自覚はある。が。


「ぉぉ~ぃ……ュゥ~……!」


 練習中のグラウンドで、ショートツインテールが帽子からはみ出ている選手がぴょんぴょん飛びながらこちらに手を振れば、無視はできない。じろじろ見られている自覚はあるが、無難に手を振ってやりすごした。


 甲子園の前日であること、昨今の女子選手――主にタイガ選手のブームがあることからか、決勝だけはEテレで放映している。家でテレビで見てもいいのだが、そんなことをしたら幼馴染たちに殺されてしまう。きっちり、来ていることを知らせる必要があった。


 両校の練習が終わり、試合が始まる。ニシンは九番セカンドで。カナは四番ライトでの出場だった。試合展開は序盤から乱打戦。連日の疲労からかどちらのエースもよく打たれていた。守備で特筆すべき点といえば、ライトに飛ぶと必ず相手のランナーが生還したことだろう。

 練習を積んだのだろう。送球の距離は出るようになっていた。ただ、精度が足りない。受ける側は走って取るときもある。捕球のほうはといえばフライやゴロがくればとにかくエラーしていた。相手側も研究しているようで、とにかくライト方向に球が飛ぶ。そして点が入る。

 攻撃で取り返せばいい。そう言うのは簡単だが、この大会でのカナの打率は、十割。予選を通しても九割以下にはならない。まともに投げれば打たれるということ。そういうわけでつまり――カナは徹底的に敬遠された。他のメンバーが打って得点してはいるのだが――とにかくカナだけは打たせてもらえない。


 それが響いたのかどうか。試合は五回に入っても相手が得点をリードしたまま。さらに五回から交代したピッチャーが、棚田高校打線をピシャリと抑えていく。乱打戦が一方的に抑えられる展開となった。


「どうしたんだろう?」

「控えの子のほうが強いのかな?」


 周りの女子たちも不安そうな声を上げる。うーむ、なぜだろう。そんなにすごいピッチャーなら、最初から使うと思うんだが。


「左利きだからじゃない?」


 左投手?


「うちもテニスやってるけど、サウスポーとあたるとなんかやりづらいんだよね」

「へぇ~!」


 なるほど。これまで相手は右投手だったが、ここにきて左投手を投入してきたわけか。女子硬式野球の最終回は七回、それまで残り一巡、目先を変えて抑えきれると判断したのだろう。そしてそれはうまく機能しているようだ。恐ろしいな、左投手。


 左……投手……。


 俺はごくりと唾を飲み込むと、スマホを取り出してチャットに書き込んだ。


『なあ、左投手とか左打者とか、うちのゲームにいたっけ』


 応答は――ない。いつもならなんらかの反応を瞬間的に返してくる従姉も。オンラインなら開発に関わる質問は必ず返答してくれるミタカも。


「打った!」

「ッ――」


 グラウンドに目線を戻す。そこでは奇跡が起きていた。

 六回表。ノーアウト。打者九番で――ニシンが出塁していた。フォアボールではない。出塁していた。エラーでもない……ヒットと記録されている。

 年間通算打率一割未満。守備でも打撃でもアウト製造機なニシンが、ヒットで出塁したのだ。

 一割未満とはいえ、ゼロではない。だから打つときは打つ。打つのだが――まさかこの大舞台で打つとは思わなかった。

 つまり、奇跡だ。

 さらにそれを見て棚田高校打線に火がついたのか、連打が続く。


「できすぎだろう……」


 六回表。ワンアウト。満塁。打者、四番ライト――カナ。

 相手のリードは三点。一打逆転もありうる場面。タイムがかかり、マウンドに相手選手が集まる。バッターボックスに立つカナは、静かにそれを見つめていた。


「どうするのかな?」

「交代するんじゃない?」


 相手のエースはベンチではなく、外野に回っている。再登板はありうる。続投か、交代か。それとも――押し出しをしてでも、敬遠するか? 満塁での押し出し敬遠は、確か前例が――ドカベンがやられていたはず……。


 長いタイムが終わり、マウンドに立ったのは――左投手ではなく、エース。つまり、勝負。カナは目を閉じ頭を振ってバッターボックスで構えた。


 今大会が十割でも、必ず打てるわけじゃない。一割未満のニシンがヒットを打つように、カナにだって凡打はありうる。だいいち、十割といっても敬遠されていない打席が少ない中での記録だ。そう、覚悟を決めたのだろう。


 初球。カナはぴくりとも動かない。スコアボードの「B」がひとつ点灯する。

 二球目。同じく。ツーボールノーストライク。

 タイムがかかり、バッテリーがマウンドで相談する。


「緊張する~!」

「カナちゃん、打って~!」


 プレイ再開。長く間を取って、ピッチャーが投げ――

 次の瞬間、スタンドが歓声と悲鳴で揺れた。周りの女子たちが全員立ってしまったせいで、打球が見えない。見えないが――見なくても分かる。


 俺は興奮冷めやらぬまま、スマホに目を落とした。


『いないね、左利きの選手……』


 ……どうしたものか。



 ◇ ◇ ◇



「いいか、隠し通す」


 駅徒歩十五分。オンボロビルの五階で、ミタカは念を押した。


「なんとかなるまではPVにも、宣伝資料にもだ。絶対に――左利き選手の姿は映さない」

「わかった」

「いいか、絶対だぞ」


 ミタカはしつこく念を押す。


「これから受けるインタビューでも……絶対話すんじゃねェぞ!?」


 ◇ ◇ ◇


 モーション撮影に協力した、ニシン、カナ、そしてタイガ――その全員が右打ち右投げだった。それが良くもあり、悪くもあった。

 利き腕が統一されていたため、モーションに不都合が出なかった。そのためスムーズに開発は進んだのだが、「左利きがいない」という状況に気づくような事態に陥ることもまた、なかったのだ。


 最初に検討されたのはモーションの追加撮影だが、左利きでさらに野球がうまいという知り合いはなかなか見つかるわけではない。一番うまい人たち――プロ野球選手はシーズン中だし、甲子園だって真っ只中だ。

 そこでまずはAIによる学習でなんとかする方針となった。テレビの映像を解析して学習するシステムも、モーションを生成するシステムも、すべて左利きにだけ回す。右利きと同じレベルになるまではずっと。


 左利き選手なしの状態でゲームをスタートする案は、早々になしとした。

 リアルじゃないし、最悪変な団体から左利き差別とか言われかねないしな。うっかり忘れていただけで差別といわれても、困る。


 そう決めて、今日のインタビューに臨んでいる。

 8月7日。棚田高校女子硬式野球部決勝の翌日。甲子園開幕日。


 この日は、ゲームメディアのインタビューを受けることになっている。このインタビュー掲載とあわせて、各種情報を公開し、クラウドファンディングを開始する予定だ。


 しかし、インタビューは本当に大変なものだ。

 俺は録画していた幼馴染の勇姿を思い出して、低く唸るのだった。


 ◇ ◇ ◇


 時をさかのぼって8月6日。


「六回の逆転満塁ホームラン、すばらしい当たりでしたね」

「ありがとうございます」


 インタビュアーにマイクを向けられ、カナは目をぱちくりさせながら答える。


「これで大会通算打率十割になりましたが、感想は?」

「いえ、その――守備で迷惑をかけて……チームは負けてしまいましたし」


 棚田高校女子硬式野球部は――準優勝になった。六回に逆転、裏の守備でカナをベンチに下げて守備固めに回るも、七回裏に逆転されて敗退。


「それは残念でしたが、個人の記録としては満足のいくものだったのでは? 本塁打数も女子の記録を大幅に更新していますよね?」

「はぁ、でも……プロに行くなら、これぐらいやらないといけないですよね」

「おおー、すでにプロを希望しているんですね!」

「はい」

「最近は女子プロも盛り上がっていますからね、期待しています」

「え、あの……」

「ところで打率十割となると女子高校野球界でも不滅の記録になるわけです。ズバリ、その打撃の秘訣は何でしょうか?」

「え、えぇ? そうですね……」


 カナはきょろきょろ視線をさまよわせる。放送時間が迫っているのだろう、インタビュアーがそわそわしているのを見て、あせり、メガネに手をかけて。


「メガネをきれいにしておくこと……ですかね?」

「なるほど! メガネ! ありがとうございました!」

「ぁっ、ま」


 放送終了。


 以降の報道では、とにかくメガネが大プッシュされることになった。

 ――そのうちメガネのCMでもやらされるんじゃないだろうか。とにかく、失言には気をつけなければ。


 ◇ ◇ ◇


 ……さて、カナのような失態を繰り返すわけにはいかない。


 インタビューはうちの事務所で受ける。以前従姉に『監督すべき子供たち』でインタビューをしたゲームメディアのライターと同じ人が来ることになっていた。


 事務所は狭いし、こちらとしては取材されるほうがありがたいので向こうに出向こうかと思ったのだが、「個人的にcontuguuさんのファンなので喜んで行きます」と断られた。どうもあのインタビュー記事の評判がよかったらしい。


 それだけに気まずい――従姉は同席しないのだ。


 この場に出るのは、俺とその補佐というか目付け役としてミタカだけだ。シオミも同席するが、見守るだけで口を出すことはない。


 従姉の――「contuguuの新作」という名目で話を振っておいて本人が出ないのはどうかと思うが、本人が嫌だというから仕方ない。ひきこもりは無理に引っ張り出してはいけないのだ。

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