島根のイルマ

「遠いところよくいらっしゃいました」


 島根県松江市。松江城を背にして複数の建物からなる県庁の一画。

 会議室で待ち受けていたのは、予想よりも若い男性だった。従姉よりは年上だろう。スーツにメガネ、七三分けと特徴だけ書き出せば典型的な日本のサラリーマンだが、だらしなくないほどにラフさもあり、スマートなかんじだ。


 ――ひとことで言えば、イケメンだな。


「あらためて。島根県Web広報部広報室長のイルマと申します」

「KeMPBの代表、オオトリです」

「秘書のナカガミと申します」


 名刺を交換して席へつく。


「しかし、お若いですね。事前に高校生と伺ってはいましたが」

「そちらこそ。室長というので、もう少し年配の方かと」

「はは、新設の部署でしてね」


 イルマは自嘲気味に笑う。


「すでに広報部は別にあるのですよ。今年の四月から広報を強化するという方針で、政策企画局から広報課が独立しましてね。さらに広報部とWeb広報部に分業を図ったわけです。こちらではWebが主体の広報を担当しております」

「なるほど……」

「とはいえ、こちらが新設扱い。メンバーも新人が中心。私も今年越してきたばかりでして」

「ではイルマさんは地元の人ではない?」

「いえいえ、島根出身ですよ。仕事でしばらく離れてはいましたがね」


 お役所も転勤があるのか。ずっと地元の印象があったんだが。


「Web広報部の仕事も始めたばかりで手探りのところが多い。そこにKeMPBさんからお話をいただいたわけです。タイミングがよかったと思いますよ」

「こちらこそ。休日に時間をいただいてありがたいことです」

「学業の合間を縫って来ていただくのですからね、その辺りは当然の配慮ですよ」


 平日に行くことも覚悟していたんだが、助かった。


「では時間も惜しいですし、早速本題に入りましょうか。資料には目を通していますが、改めて説明していただいても?」

「わかりました」


 プロジェクターを借りて、パワポ資料を写しながら説明を始める。それにしても慣れていない敬語はなかなかつらいものがあるな。


「KeMPBは架空の日本で行われるプロ野球を題材にしたゲームを運営するべく起業した会社です。社名はゲーム内のリーグ運営機構に由来します……」


 世界にはケモノ人間がいること。それぞれがAIをもちリアルな野球を行うこと。プレイヤーは操作するのではなく、それを観戦すること、などを説明する。ひととおり終わると、イルマから質問が投げかけられた。


「プレイヤーが操作しなくても『ゲーム』ですか?」


 これは予想してあるものだ。


「『現実のプロ野球』を取り扱わない以上シミュレーターではありません。正確には別の言葉があるのでしょうが――これは『応援して遊ぶ』ものであるという点において、ゲームだと紹介しています」

「なるほど。ゲームも多種多様ですからね。わかりました。では次に――」


 あっさりと終わらせたのは、おそらく次が本命だからだろう。


「なぜ、我が県に資金協力の話を?」


 ◇ ◇ ◇


「自分で言うのもおかしな話ですが、我が県は人口が少ない。予算規模も全国平均の半分程度。資金が欲しいなら他県へコンタクトを取ったほうがよかったのでは?」

「その観点で言えば真っ先に交渉するのは東京都ですが」


 全国平均の四倍近い予算というバケモノだからな。


「東京にいまさら野球チームが増えたところでインパクトに欠けると思いませんか。そのうえ二つもプロ野球チームがある」

「それは確かに。しかしバーチャルの球団ならどこでも初めてのことです。インパクトに変わりないのでは?」

「活動する場所はオンライン上ですが、競合するのはリアルの球団である、と考えています」

「ほう――?」

「このゲームは観戦するだけなら無料でできる。収入については、よりチームを応援したい人にグッズを購入してもらう形です。つまり、応援してもらわなければ始まらない。となれば、やはり競合するのはリアルの球団に他ならない。ひいきの球団が複数ある人というのは、なかなかいないでしょう?」

「確かに、私の知る限りではいませんね」


 たとえセ・パで応援する球団が分かれていても、いざ日本シリーズでぶつかったら悩ましいだろうしな。


「では我が県を選んだ理由は?」

「競合が少ないからです」


 イルマはフッと口元をゆがめて笑う。


「確かに野球チームは少ない。しかし皆無ではありませんよ」

「アマチュアの野球チームがいない県は存在しません。しかし、プロ野球チームは島根県にはない。応援してくれる人を増やすにはいい環境です」

「つまり、なるべく敵を増やしたくはない、と」

「――ええ」


 なるべくだ。既存のチームやそのファンからはどうしても反発はあるだろう。


「ふむ……。ネーミングライツを我が県が買った場合のメリットについては、先ほどの資料にもありましたね。広告枠の優先利用、地元開催のイベントなど――よくできていました」


 イルマはメガネのブリッジを押し上げる。


「しかし、それはチームに人気が出たらの話です。いくら地元が応援していても、チームが弱くて人気がなければ、地元でイベントを行っても人が来るわけがない。……この辺りはどうお考えですか?」

「調整はしない」

「ほう」

「開幕時の戦力はAIに任せて均等に分配する――そのAI、選手の能力、それらを調整することはしません」


 能力の調整はしない。これは決して破ってはならないルールだ。人の手――神の手による調整があると知れば、所詮は『たかがゲーム』と思われて人はいずれ去っていってしまう。


「結果、いずれかのチームが突出して強い、または弱い状況になっても――それを受け入れて見守る方針です」

「なるほど。しかし、我々は一般のユーザよりもはるかに多額の資金を出すわけです」


 イルマは穏やかな顔で鋭く突き刺してくる。


「それが最下位のチームを抱えて、改善もこちらからできない状態で見守り続けろというのは、現実よりもシビアではありませんか?」

「しかし……」

「代表、イルマ様は勘違いされているのでは?」


 説明を開始してから初めて、シオミが声を上げた。ノートパソコンの画面を俺にだけ見えるように回しながら、言葉を続ける。


「オーナー権について、より詳細な説明が必要かと」


 ◇ ◇ ◇


 ノートパソコンの画面には、チャットログが映っていた。俺がイルマと話している間、その内容を逐次流していたらしい。そこに書かれたミタカのチャットを読んで、俺はイルマに向き直った。


「失礼しました。確かに、オーナー権の部分に説明が不足していたようだ。心配するのも当然です」

「――というと? 確かフロントも含めてAIで自動で進行するという話でしたが?」

「確かに自動で進行します。でないと、現実のフロントと同じようなスケジュールで仕事をすることになってしまうので」


 選手を獲る、トレードに出す、解雇する――そのすべてに関わろうと思ったら、専業になってしまう。そこまでの負担はかけられない。そういう理由もあっての自動進行だったのだが、イルマの言うことももっともだ。自分が金を出したチームなのに何も手を打てないのは辛い。そこでだ。


「しかし来年のドラフト会議――これには参加してもらいます」

「ドラフトですか」

「そうです。AIの監督やコーチ陣が推薦する中から、獲得する選手を選んでもらう」


 その程度の仕組みなら来年には間に合う、とミタカが判を押していた。


「一般にも公開する経歴や身体測定以上の情報――内部数値などは出せませんが、これらを踏まえてドラフトを行えば、チームに影響を与えることができます」

「それ以外は自動ですか? せっかくこちらが獲得した選手でも、シーズン中勝手にトレードに出されては……」

「最終的にオーナーの決済がなければ解雇やトレードはできない、でしたよね、代表」

「その通り」


 シオミが言ったということは、今まさにミタカがその仕様を飲んだのだろう。


「なるほど。ドラフトにおいての契約金の配分もこちらが決めることが可能ですね?」

「もちろん」


 確認してないができなきゃ困る。


「そこにおいても、応援という要素が重要になります」

「ほう」

「ユーザーは球団を応援するために課金をする。その課金額がチームの運営資金につながるのは当然のことです」


 後ろでシオミが激しくキーボードを叩いている音がする。


「運営資金によってドラフトでの優劣もでてきますが、そこは野球といううまくできたスポーツです。ドラフト上位で獲得したからといって、活躍できるとは限らない」

「そこまでリアルに徹する、と」

「本気です」


 キーボードの音が止んだのでちらりとシオミを見ると、シオミは小さく頷いた。

 うん、ミタカも納得してくれたようだな。


「そうであればオーナーとしても安心ですね」

「不安が払拭されたようでなにより」

「しかし、契約はできません」


 イルマは笑顔を崩さずに言った。

 資金を出すことはできない、と。


「――なぜ?」

「実績のなさ、先行きの不透明さ――細かいことをあげれば理由はつきませんが、大きなものとして三つ。まず他球団のオーナーが同じ立場にあるかどうか現時点でわからないこと。県が特定企業・団体と戦うような構図になっては困ります。参加団体によってはこちらに傷がつきかねない。次にヴァーチャルの球団を支援するなら、先にリアルの球団を支援しろと地元から言われかねない――まぁこれは八つ当たりにも近いですがね。最後に――」


 イルマは言う。


「維持できない可能性が高いこと」

「……うん?」

「契約更改の話ですよ。二年目も我が県がネーミングライツを買えるとは思えない。だから、契約できません――たった一年しか宣伝効果がないなんてね、効率が悪すぎるでしょう」


 これは、価格交渉か? しかし、値段はめいっぱい下にギリギリの線なんだが。わからん。よし、聞くか。


「価格に問題がある、と?」

「いいえ。むしろ破格だと思いますよ。既存の広告サービスの露出量に対する費用効果と比べてもね。しかし――」

「もういいでしょう」


 ガタン、と。席を立ったのは、シオミだった。


「要するにイルマ様はこう言いたいのですよ。我々のサービスが二年目も続くはずがない、だから買えない、と。他の理由も事前に分かっていたであろうことばかり。つまり、はじめから契約する気はなかったのです」


 ………?


「え、そうなのか?」

「いや、違いますよ?」

「えっ」


 ………。


「高校生の代表など生意気だからひとつからかってやろう、というつもりで呼びつけたのでは?」

「それはないだろう」


 イルマが答えるより先に、俺はシオミに反論する。


「休日にわざわざそんなことしないだろう。他の部署も休みみたいだし」

「し、しかし部署によっては休日も仕事が」

「部下もいると言っていたのに、その部下は同席していない。室長だけが休日出勤しているとしたら、そんな遊び感覚ではないだろう」


 シオミは――座った。茹で上がった顔を伏せながら。

 それを見て、イルマは――これまでと違う、楽しそうな笑顔を浮かべる。


「面白い。思っていた以上ですよ」

「普段はこんな面白い失敗はしないん――ですよ。許して欲しい」

「いやいや、君ですよ、大鳥さん。それと、素の話し方で構いません。敬語に慣れていないでしょう? わかりますよ。楽にしてください。そのほうがこちらも話しやすい」


 武器を収めろ、と言われた。つまり、敵意はないらしい。


「その代わりこちらも、ユウさんと名前で呼んでもいいかな?」

「わかった。構わない」


 こちらが友好を暖めているその後ろで。


「不覚……」


 シオミは顔を伏せたまま、ぼそりとつぶやいていたのだった。

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