「結婚するか?」

 だいぶ住み慣れたアパートも、今日ばかりは冷たく感じた。

 俺と従姉とシオミとで、机の上に置かれた手紙を見つめる。見ているだけで口の中が冷たく、苦くなった。


「やれやれ。ユウ、お前じゃなくてこっちが紛糾するとはな」


 シオミは秘書口調ではなく、普段の態度で話す。


「どうしてバレたんだろう……」


 手紙はツグの親からだった。読んでいいと言われたので読んだが、なかなか身勝手なことが書いてあった。シオミを呼んであらためて事情を説明してもらうと、よりいっそう口の中が苦くなる。


「こうならないよう、会社の登記にはユウの住所だけ載せるようにしたんだが……」

「会社とツグ姉の結びつきがわかったということだろうか?」

「そういえばゲームのインタビューで、会社建てるんですよーって社名言ったと思う……」

「あれは実名を出していなかったはずだが――分かる人間にはわかるだろう。探偵でも使ったかもしれんが。なに、調べようはいくらでもある」


 なにはともあれ、特定されたのは仕方がない。

 それよりも、これからどうするかだ。


「しかし今時、結婚しに戻ってこいというのはないんじゃないか?」

「前時代的だが、前時代を引きずって生きる人間のほうがまだまだ多いのさ」

「田舎ですんで……」


 田舎とはいえ、この手紙はどうだろう?


 三男とはいえ家と畑を守ってきた、義理堅い立派なお父さんが言うのだから従いなさいとか。

 家を捨てた男の子供にかくまってもらうとは情けないとか。

 結納相手は家格は落ちるけど資産だけはあるから家も持ち直せるだとか。

 お前みたいな背の高い女は結婚できるだけでありがたいと思いなさいだとか。


 包んで隠したほうがよさそうな何から何までズケズケと書いてある。正直めまいがした。


「……シオミ。ツグ姉は帰らないといけないのか?」

「未成年だったらな。成年の場合、親とはいえ子供の住む場所を指定する権利はない。無視して構わん要求だ」


 ということは俺だったら帰らないといけないのか。


「許婚との結婚については?」

「結婚は当事者間の合意が必要だ。ツグが合意しないならできん」

「しませんしません!」

「できんのだが――」


 シオミは眉根を寄せる。


「お前たち、結婚の仕方は知っているか?」

「え、ええっ!?」


 従姉よ、何を動揺しているんだ。


「……式を挙げるのは、必須じゃないな? 今時、結婚式をやらない人が増えているらしいし。法的な手続きとしては……役所に届けを出す?」

「そうだ。婚姻届を出す。これなんだが……意外とゆるくてな。どの箇所に押す印鑑も実印でなくていいし、提出は本人ではなく代理人でいい。つまり……適当に印鑑を買ってきて、夫婦の名前と保証人の名前を勝手に書いて押印して出しても、受理されるんだ。まあよっぽど怪しければ別だが……」

「えっえっ?」

「つまりだ、婚姻届については、向こうが本気なら勝手に出して受理される可能性がある」


 自分が知らないところで結婚してしまうのか。おそろしいな、結婚。


「そっ、そんな……そんなの、違法じゃ」

「違法だとも。だが役所だって忙しい。複数人が協力して筆跡を分ける程度の工作でも、見抜くほうが難しいさ。そして一度受理されると――取り消すのは難しい。できないわけではないが、裁判もしないといけないし非常に手間がかかる。……実際にあるんだ、そういうトラブルが」

「お……オワタ……」


 従姉はがっくりとうなだれる。手紙からだけではわからないが、従姉としては両親が無茶な手段を取る可能性がゼロではないと考えたのだろう。

 従姉がゲーム作りに専念できないようでは困る。どうしたものか。


「……ツグ姉は、結婚したくないのか?」

「したくない――いや、その、将来的にはそのッ、し、したい……よ? でも相手は別というか、今回の相手は年上だし会ったこともないし……」

「ツグの話を聞いても、政略結婚とも呼べないような短慮なものとしか思えん。愚行の道具にわざわざなりにいくお人よしもいるまいよ」


 見合いという段階でもない。帰ってきて、即、結婚しろ、という話なのだ。落ちた家の格を上げるという、よくわからない目的のためだけの。

 ここでアニメとかラノベなら、乗り込んでいって見合いなり結婚式なりをぶっこわしたりしてハッピーエンドなんだろうが、あいにくこちらは現実だ。やりすぎれば法に訴えられかねないし、そもそもそんな行動力なんてない。


 ということは、あれか。法には法を、ということだな。



「それじゃあ、俺と結婚するか?」



「フェ!?」

「ゴホッ、ゴホッ!」


「日本では重婚はできないだろう。特に結婚する予定もないし、ほとぼりが冷めるまで籍を入れておいて、必要なときに離婚を――」

「待て待て極端に走るなバカモノが」


 ゴス、とシオミのチョップが脳天に決まる。痛い。


「あ、あのあの、わ、わた、ふつつかっ、ふつつかっ」

「ツグ、お前も落ち着かんか」

「あう」


 従姉もチョップを食らって黙る。


「最後まで話を聞け。つまりだな、婚姻届はこういう不正がされやすいがために、それを防ぐ処置がとれるようになっている。『婚姻届の不受理申出』という制度だ。申出書を役所に提出しておけば、該当の届けは受理されない」

「その後で結婚したくなったりする場合もあるんじゃないか?」

「取り下げができるが、これは必ず本人確認が必要となっている」

「なるほど。ならそれを出しておけば不正をされる心配はないわけだ」

「その通りだ」


 シオミはまた咳払いをしながら言う。


「提出は本人がする必要がある。ひと手間だが、やっておくにこしたことはないだろう。この件についてはひとまず不受理申出さえしておけば、あとは無視して構わん」

「しかし、結婚は防げても、それじゃ根本的な解決にはならないんじゃないか?」

「ならんな」


 シオミは頷いて――言った。


「だが逃げられる。逃げればいい。それで充分だ」

「え、えぇ……?」

「ドラマや小説じゃないんだ。家族なんだから話し合って解決しろなんて、下種の台詞を言うつもりはない。価値観の合わない、話の通じない人間というのは必ずいる。なればこそ、闘争や和解は不要だ。逃げてしまおう」


 なるほど話はわかる。だが……。


「俺のときと言うことが真逆だな?」

「お前は逃げるわけにはいかん。社の代表になるためには親権者の同意書なんかも必要だったしな。第一、未成年はまだ親権という名の強制力が課せられる立場だ。その気になれば今からでもお前の親は、お前の住所を変更したり、お前の財産を差し押さえることができる」

「独立を認めてもらったんだが……」

「言葉の上でな。法的には何も変わらん。そもそも法律上は親子の絶縁は不可能だからな……」


 そうだったのか。勘当とかよく聞く台詞なんだが、できないのか。


「お前らが六歳未満なら特別養子縁組という手段もあるんだが、それを超えると一切手段がなくなるというのが現行の法制度の未熟なところだ。まったく、虐待の発覚は六歳までに済ませろと? バカバカしいにもほどがある――っと、ともかくだ。独立、というのは口約束でしかないからな。そこは覚えておけ」

「じゃあなぜ、俺に独立をしてこいと?」

「まさか本当に説得してくるとは思ってなかったからな」


 シオミは肩をすくめる。


「手間が省けてよかったよ」

「……失敗していたら?」

「説得されていればよかったと、後悔させてやったさ」


 シオミは笑う――血に飢えた獣のように、牙を見せて。


「……ツグ姉。そういうわけだから、安心して無視してくれ」

「う、うん……わかった」


 しかし、この手紙。差出人の住所はここか。――ふうむ。

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