タイガとドーム

 容積・面積の単位としてその立場を確立する東京ドーム。

 実際に訪れてこそわかる――この大きさは、単位として成り立つものだと。


 三月も下旬。終業式も終わり短い春休みを迎える。だからだろうか、球場はたくさんの観客で埋まっていた。そしてそれが、この席からだと一望できる――バックネット裏の席からは。


「うおー! すごいなー! カナ、見た? ノーバンだよ、ノーバン!」

「アイドルなのにすごいね……運動やってないと、なかなか届かないんだよね」


 始球式で投げたアイドルは見事ノーバウンドでキャッチャーミットに球を放り込み、拍手の中マウンドを降りていった。隣に座るニシンとカナと一緒に、俺も惜しみない拍手を送る。


「うぐぐ……うぐぐぐ……」


 そのさらに隣で――ひとり、唸っていた。ガチガチと歯を鳴らし、握ったこぶしをぶるぶる震わせて。


「始まる前からそんなに緊張してどうするんだ――ミタカさん」

「う、うるせぇ!」


 裏返った声で、ミタカが怒鳴り返す。


「なッ、投げるんだぞ! 見れるんだぞ! こっから!」

「そうだな。裏の守備からだが」

「けど投げるんだッ!」


 ミタカは着ているレプリカユニフォームの胸元を引っ張っる。

 燦然と輝く、その選手名が――


「タイガ選手が!」


 TAIGAのIがエのようになって、タエガにしか読めん。


 ◇ ◇ ◇


「オープン戦のチケット?」

「そうよ」


 先日。コンビニでバイトしていると、久しぶりにエーコから電話があった。なんでもオープン戦のチケットを送るので、日程に無理がないか確認したいという。


「タイガの登板日が決まったから、その日のチケットを送りたいんだけど、どうかしら」

「予定なら大丈夫だが――」


 俺は裏から外に出て、周りで誰も聞いていないことを確認する。


「――高校生にチケットを買ってもらわないといけないほど、オープン戦は人気がないのか?」

「なわけないでしょ!」

「しかし、選手にチケットノルマを課すなんて――」

「タイガは売れないバンドマンか! タダよ、タダ! お金は取らないわよ! だいたい、プロ野球でチケットノルマなんてあるわけないでしょ」


 ないのか。


「であれば、もっと話が分からないな。御礼ならこの間協力してもらった分で充分以上だ。タダでチケットを貰う理由がない」

「律儀ね……高校生らしく貰っておきなさいよ。――説明しないとダメ?」

「嫌ならいいが、理由がわからないのは居心地が悪いな」

「君は鋭いんだか鈍いんだか……」


 電話の向こうで、エーコのため息が聞こえる。


「タイガがどうしても君を招待したいんですって。家族席って知ってる? 球団が選手のために一部の席を優先的に提供してくれるのよ。で、登板するからタイガの番なわけ。実家は遠いし、おじさんもおばさんも遠慮しいだからこれまで使わなかったんだけど――えーと……そうよ。それで空席が生まれるのもかわいそうでしょう?」

「事情があるなら別に――」

「とにかく! そこで思い出したのが君たちよ! 4枚組で送るから、君と野球少女コンビで来なさい」

「1枚あまるな」

「3枚組とかはないから――ほら、なんだっけ、あの、大きな従姉さん」


 従姉は大きい――が、モーションキャプチャーのときほとんど裏方だったので、エーコの記憶には残らなかったようだ。


「あの人も連れてくれば四人でしょ」

「なるほど、わかった。タイガ選手には感謝していると伝えてくれ」


 そこで通話は終わり。

 バイト後、カナとニシンに連絡をつけて予定をおさえ、家に帰る。従姉にチケットの話を伝えると、ちょうど従姉と通話中だったミタカも混ざってきた。


「バカかオマエ、ツグは開発で忙しいってのに、わざわざ野球観戦になんていけるかよ。テレビで見ろ」

「テレビでならいいのか」

「インプットは大事だからな。野球ゲーム作ってるわけだし、むしろ見ろよ」

「球場のインプットはいいのか?」

「テレビで見れんダロ?」


 確かに観客席も映りはするが。


「同志、チケットはどうしたの?」

「もらったんだ。正確にはこれから送ってもらうんだが」

「もらったって――あ、もしかして。タイガ選手から?」

「ハ?」

「そうだ」

「ハァァ!?」


 ミタカの声がスピーカーで割れる。


「なッ――なんで、オマエがタイガ選手からチケットもらうんだよ!?」

「家族席を埋めたいらしい。エーコ――タイガのマネージャーがそう言っていた」

「あの鬼ジャーマネと知り合い!?」


 なんだ、鬼ジャーマネって。


「タイガが登板する日に家族席が埋まってないとかわいそうだと、タダでくれるそうだ。しかし――作業がそこまで切羽詰っているなら……うーむ――」


 ペポン


 チャットに画像が添付された。


 ――ミタカが、土下座していた。


「これは」

「行かせてくれください」


 文法がおかしいぞ。


「イヤッ――やっぱ、よく考えたら球場、リアルで見たことねェし。インプットしねェと、いいモノは生まれねェんだよ。だから――頼む、ツグ、譲ってくれ!」

「えぇ……えっと……」

「急にどうしたんだ」


 数秒の間。


「――ファンなんだ」

「……うん?」

「タイガ選手のファンなんだよ! ワリィかよッ!? オレの年代の女子ならフツーだろ!? つか、何だよ、知り合いって!? どういうことだよ!? 変な手段使ったんじゃねェだろーな。場合によっちゃゆるさねェ……」

「さあ、通話をやめて作業に戻るか」

「わりぃかったですおねがいします」

「――ツグ姉?」

「う、うん――いいよ、アスカちゃん、代わりに行ってきて」

「ヨッシャアアアアアアアアアアアアア!」


 スピーカーの音が割れた。

 ――物理的にも、どこか割れたらしい。


 従姉のノートパソコンは、この後、スピーカーから音が出なくなった。


 ◇ ◇ ◇


 東京ドームで始まったオープン戦。一回の攻撃は打者三人で打ち取られた。

 守備の交代の間に、スマホでラジオを再生し、片耳にイヤホンをつっこむ。


『さあ一回の裏。本日の先発はタイガ選手。マウンドに上がってまいりました』

「キタアアアアアア!」


 ミタカがガタッと椅子を蹴って立ち上がる。いつの間にか両手には応援ウチワまで装備されている。モールで装飾されたハート型の。「タイガ」「勝利」と書かれている。


「わわわ、座って! 座ってミタカさん! 立っての応援は禁止ですよ!」

「うぐぐぐ……ぐぅ……」


 カナに引き止められて、ミタカはなんとか腰を下ろした。


 マウンドに目を向けると、投球練習に入ったタイガは少し落ち着きがない。

 投げてはキョロキョロ、投げてはキョロキョロと、グローブで隠そうとして隠し切れずにあたりに視線をさまよわせている。


『タイガ選手、気合が入っています。鋭い視線で全方位を威嚇していますね!』


 投球練習が終わって、バッターが位置につく。と――そこで、確かにタイガと目が合った。


『出ました、タイガースマイル! オープン戦、初回のバッターから気合バリバリです!』

「ウオォオオ! タイガ選手がオレを見てる! がッ、がんばれェー!」

「おー、タイガ選手、やる気マンマンだね! カッコイイー!」


 ただ笑っただけのような気がしなくもないんだが。


『さあ初球、振りかぶって――これは!? トルネード投法!?』

「おっ、さっそくやった」

「あの時より安定してるね……」

『高めのボール球ですが――球速は、136! 驚きました、初めて見せるフォームで、初回から自己最速を更新です! これにはバッターも動揺を隠せません。さあ二球目――続けてトルネードだ! 内角えぐってストライク!』


 楽しそうに投げている。


『初回から気迫のピッチングです』


 何球かあとのカーブで引っ掛け、先頭打者を打ち取る。その後もテンポよくアウトを取り、攻守交替。この後はどちらもスコアボードに0が並ぶ投手戦に。


「タイガ選手、調子いいねー!」

「速い球が増えたのがいいよね。いつもより球数ちょっと少なめかな……」


 カナが何か書いてると思ったらスコアブックか。バックネット裏とはいえ、遠いのによくやれるものだ。


「今日は調子いいよ。きっといける」


 試合が大きく動いたのは6回表。連打でタイガのチームが先制し、2点を加える。


「ヨッシャアアアアァァァ!」

「やったやった! 勝ち投手じゃん!?」


 6回裏、タイガはランナーを出すも残りを抑えて0点に。

 7回表は無得点に終わり、その裏。


『タイガ選手は――続投ですね。この回までといったところでしょうか。キャンプでの調整は成功だったということでしょうね、今日はすばらしいピッチングです』

「続投だよ、カナ」

「この回までだろうね。球威が落ちてきたし、サイドとアンダーに切り替えることが多くなったし……」


 7回裏。下位打線をキッチリ締めて三者凡退。

 8回表は援護なく、こちらも三者凡退で手早い交代。そして。


『この回もタイガ選手で行くようです!』

「続投!?」

「めっずらしーね、長く投げるの」

「う、うん……タイガ選手、まだ完投したことないんだよね。完全に技巧派だから球数も多くなって、体力が持たないって話だし」

「キャンプで肉体改造したんじゃない? スタミナマシマシで!」


 と――


『打ったぁーッ! これは大きいぞ! タイガ選手、打球を仰いだッ』

「ギャアアアアー!」

「あっ、やば」

「……入ったね」


 ソロホームランで1点を失う。


『いやー、タイガ選手の一発病が出ましたね。きれいなエビでした』


 エビってなんだ。


「エビっちゃったね……」

「煮えてきてたし、しょうがない、かなぁ」


 煮えるってなんだ。


「うぐぐぐ……まだァ、まだ1点ある。ここで交代すれば勝ち投手だ。監督、変えろ、カエロォォ」

『タイムがかかり、キャッチャーがマウンドに向かいますが……タイガ選手、睨んでおります。その視線はベンチの監督へ。これは……ベンチに動きはありません。続投、続投です! 視線でベンチを制しました!』


 めっちゃ涙目だったような気がするが。


「変えないってあり?」

「次は四番だし……ツーアウトだけど、変えたほうがよかったと思う」


 言った瞬間、打球が飛ぶ。ツーベース。次の打者は粘りに粘ってフォアボールに。ツーアウトランナー一・二塁。


「あああ、も、もうダメなんじゃねェか?」

「今のはよくないね。塁を埋めてもいいやって感じで投げたんだろうけど、球数が多すぎだよ」

『タイガ選手、正念場です。さあ六番に――投げたッ打った! 高く上がって!』

「ギィヤアアアアア!」

『――ライト、つかみました! スリーアウトチェンジ! タイガ選手、ピンチをしのぎました!』

「うひー、心臓にわるいわー!」

「ミタカさん、起きて! 入ってないです! アウトでしたから!」


 9回表。長い攻撃になり打球の行方に一喜一憂するも、追加点ならず。

 そして9回の裏――


『交代はありません! タイガ選手、完投を目指してマウンドに上がります!』

「か・え・ろ・よ!」


 ミタカが頭を抱えて叫ぶ。


「ここで炎上して一軍はずされでもしたら……アァァ……」

「だ、大丈夫ですよ、ミタカさん。HQSは達成してるわけですし」

「でもよォ……」

「なんだミタカさん。タイガが信じられないのか?」

「……ンだとォ?」

「投げられるから、続投なんだろう」


 プロなんだしな。


「タイガは完投できると判断したんだ。信じて応援するのがファンじゃないか?」

「オマエ……」


 ガキィン!!


『打ったーッ! これも大きいぞ! ライトバーック! これは……どうだ!?』


 ――打たれないとは言ってない。

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