バレンタインとケモノ野球史

 父親との話し合いは、予想よりも静かに終わった。

 殴られることも怒鳴られることもなかった。

 母親と話すこともなかった。

 これからのことを説明した何が決め手になったのかは分からなかったが――独立は認められた。必要な書類等の用意も約束してもらった。


 終わってみればなんとなくこんな様子を予想していた自分がいたことに気づく。

 それが望ましいことだったのかどうかは、分からないが――


 ともかく――


「家を追い出された」

「う、うん……」


 アパートの玄関口で突っ立った従姉は、困惑した表情で頷いた。


「そこまで言うなら今すぐ独立したらいいと言われてな。それでネカフェにでも泊まろうかと思ったんだが、よく考えたらネカフェ以上に出資している場所があったなと」

「う、うん」


 従姉のアパートの家賃は、全額俺のバイト代から出ている。付け加えるなら生活費も。


「しばらく住んでもいいだろうか」

「いっ、いつまででもいいよっ!?」



 ◇ ◇ ◇



「ということで、会議を始めるわけだが――」


 二月も中旬。まだまだ寒い日が続く中、アパートの中で俺は言った。


「どうして全員集まった? ネット会議でいこうという話だったはずだが……」

「オマエとツグを二人っきりになんかできねェだろが! なんだよ? 一緒に住むって!?」


 コタツに入り込んだまま凄まれても、あまり迫力ないぞ、ミタカ。


「自分はちょうどリアルで会いたかったとこなんで。はい、先輩」

「ん?」


 空席があるにも関わらず、今回も俺の膝の上にいるずーみーが、振り返って包みを渡してくる。


「チョコッスよ、チョコ。今日はバレンタインッスよ?」

「ああ、そうか。ありがとう」

「あわわわ、あ、あの、あのね! わっ、わたしもね!」


 従姉はどたばたとコタツから這い出して、部屋の隅のほうから荷物を取ってくる。


「こ、これ……チョコ」

「ああ……うん?」


 俺でも知っている高級ブランドなのだが、これは……。


「ちっ、ちがっ、同志からもらってるお金じゃなくて! 臨時収入があったから!」

「臨時収入?」

「う、うん。ほら、これ」


 くるり、とノートパソコンのディスプレイを見せてくる。

 ゲームニュースサイトの……4gamerのコーナーのひとつ、『インディーズゲームの小部屋』。個人やサークル単位で作っているゲームを紹介するコーナーだ。


「紹介されたんだよ。『監督すべき子供たち』が」

「かん……なんスか?」

「ツグ姉の作ったゲームだな」


 打たれたときに楳図風のカットインが入る、例の野球ゲームだ。記事ではもちろんそのあたりを重点的に、しかしながらシステムについても褒めつつ丁寧にまとめられていた。


「記事になったおかげで少し売上があって、それで……その、チョコを買ったんだよ。通販で」

「そうだったのか」

「その……ダメだった?」

「いや、労いの気持ちはありがたいんだが」

「中に何か入ってるやつは苦手なんスよね、先輩」

「……うむ」


 チョコは嫌いではない。ないのだが、どうしてこう高級なものは中に余計なシロップだの果実だのを入れるのだろうか。漫画部の部室に毎年、例のレジェンドから贈られてくるのだが……。


「そ、そっかぁ……ごめ」

「オイィ? オマエ、ツグから貰ったんだからありがたく食えよ!?」


 なんだ急に。


「食べないとは言ってないだろう。せっかくだから二人で食べようじゃないか、ツグ姉」

「ふえっ……、い、いいの?」

「うぐぐぐ……チッ」


 だからなぜ舌打ちするんだ、ミタカよ。せっかく半分返す話がまとまったというのに。


「会議だろ、会議。さっさと始めようぜ」

「秘書先輩がいないッスけど?」

「ゲーム内容の打ち合わせだからな、欠席だ」


 シオミは手続きや何やらで忙しいと聞いた。不在でも進めてよいと言っていたので、そうする。


「では始めよう。今日はゲーム内容の詳細について、だ。今のままだと選手が試合をするところしか決まっていない」

「アァ――仕様が固まってない部分が多いよな。アイディアはあるのか?」

「考えてきた」

「んじゃ、全部吐け。途中でヤボなツッコミはしねェから、予算とか余計なことは考えずにな」


 ミタカは腕を組んで頷く。


「アイディアを出すときは自由に――だよね、アスカちゃん」

「そうそう。最初から縛られて考えてると、つまんねーアイディアしか出ないからな」


 なるほど。従姉が俺のアイディアを聞くときの姿勢は、ミタカから来ていたのか。


「それでは、遠慮なく始めさせてもらおう」


 人数が増えたとはいえ、従姉にアイディアを話していた頃とやることは変わらない。


「俺たちのゲームでは、人間ではなく、人間に近いケモノが野球をする」

「ケモナーの血がうずくッス」

「ゲームにケモノ選手が登場する。さて、その選手の経歴はどうなのか? というのが問題の出発点だ。いったいいつから野球を始めて、どういう成績をもってこの球場に立っているのか? そもそも、プロなのか? ――今は何も分からない。決めてないからだ」

「つまり――世界観だな?」


 ミタカの言葉に頷く。


「そうだ。選手が人間でない以上、まずは俺たちのゲームの世界がどんな舞台なのか――そこから決めていく必要がある」


 ◇ ◇ ◇


「世界観を決めるといっても、人間の世界をほぼそのまま置き換えたものでいいだろう。地球があって、日本があって、さまざまな動物をモチーフにしたケモノが住んでいる」

「ま、ネーミングライツするんだったら、そうなるよな。架空の地名じゃコラボもできねェし」

「はいはい、先輩! ケモノなんスけど!」


 ずーみーが手を上げて振り返る。


「種類はどっからどこまでッスか?」

「というと?」

「ネコとかイヌとかクマとか、そういう陸上の哺乳類を想定してると思うんスけど。鳥類、魚類、爬虫類――あと昆虫とかはどうなんスかね?」

「――なるほど。考えてなかったな」


 ケモノといえばイヌネコだとばかり思い込んでいた。


「最近、おもしろい深夜アニメやってるんスよ。『けものフレンズ』っていうんスけど、これがデザインが秀逸で! 特に爬虫類と鳥の処理が天才的すぎるっていうか!」

「……魚、ヘビ、虫は難しいだろうな。ビジュアル以前で苦手なやつが多いだろう。鳥はいてもいいかもしれないが、そうなると二極化することになるな。……最初は陸上の哺乳類だけでいこう。バリエーションが足りなければ、鳥、ヘビ、魚、虫の順で追加を検討したらいい」

「ういッス!」

「それだと、ケモノさんは何を食べるの?」


 従姉が手を上げる。


「そりゃー、ツグ、あれだろ。ええと……共食いにならない……草か?」

「じゃあ、祝勝会でサラダパーティするの?」

「それについては、偉大な先例に倣うッスよ!」


 ずーみーが自信を持って答える。


「ケモノと動物は別。ケモノは牛や豚で焼肉するし、魚だって刺身で食べるッス」

「おぉ……なんかシュールじゃない? 先例って何?」

「しまじろうッス!」


 あのしましまの子供にそんな一面が。


「スポーツ選手といえば、肉を食う! そこはブレちゃいけないッス! 『けものフレンズ』みたいに謎まんじゅうって手もあるけど……やっぱ肉ッスよ! 大丈夫、牛豚モデルのケモノが焼肉してたって違和感のないデザインしてやるッスよ!」

「ずーみーがそう言うなら、任せよう」


 逆に話題になりそうでもあるしな。牛と豚の焼肉パーティ。


「本筋に戻そう。ともかく現代日本とほぼ変わらない状態で、人間をケモノに置き換えたイメージだ。ただ、野球の成り立ちについては少し変わる」

「成り立ち……確か日本だと、明治に入ってから輸入されて、戦前にはプロがあったんだよね」

「現実に倣うと、80年以上の球歴を考えないといけないわけだが」


 そこまで時間をかけてはいられない。


「ゲームでは……ゲーム開始時点で、プロ野球開催初年度、ということにしよう」

「えぇ……初年? はじめて? いいの?」

「いいもなにも。ツグ姉、いまからプロ80年の球歴を学べと言われたらどうする?」

「むりですかんべんしてください」


 従姉は頭を机にこすり付ける。いや、やれというわけじゃないんだが。


「そういうことだ。いくら長い歴史を用意したって、ゲーム開始時点でその情報まで把握して観戦してくれ、というのは無理だろう。過去の記録を用意するのではなく、これから作っていくべきだ――なんたって何十年も運営するんだからな」

「……マァ、妥当だな。記録捏造しろって言われる方がツレェし」


 ミタカはなぜかこちらをにらみつけながら言う。


「んじゃ、プロ初年として――そーなると、ズブの素人がプロに入るのか?」

「プロはゲーム開始時点で結成だが、アマとしては親しまれていた。特に、学生――」

「甲子園!」

「そう。全国の学生が集って頂点を決める大会があった。が、プロの受け皿はなく、その後は草野球チームに入るぐらいしかなかった。プロ結成にあたり、腕に覚えのあるかつての球児たちが合同トライアウトを受けてチームに入る。と、いうことでどうだろうか? これなら初年から幅広い年齢層の選手がいてもいいだろう。経歴も、草野球だから記録が残っていない、ということで」


 初年だからといって若い選手ばかり集まったら、引退試合が発生するのはそれこそ二十年後とかになるからな……。


「フン。そういう背景があると、経歴としては――出身地、出身校、甲子園出場の有無と勝利回数、草野球チーム所属かどうか――てとこか。あ、ちなみにゲーム中の大会・球場名で『甲子園』はダメだからな。アレ、商標だし」

「えぇ……甲子園、ダメなの?」

「別の名称を考える必要はあるが、そこはいったん置いておこう」


 ダメだったのか、甲子園。商標じゃ仕方ないな。


「それで立ち上がったプロリーグだが、チーム数は1リーグの6球団、とする」

「で? その理由は?」

「なるべくNPBと試合数を揃えたい。そうしないと現実との記録の比較ができなくなるからな」

「なるほど! ホームラン60本打っても、600試合の結果とかだったら、大記録じゃないッスからね」

「ああ。現実と比較しやすければ、話題にもしやすいだろう」

「マ、そうしてくれりゃバランス調整は楽だわな。現実と乖離しすぎた結果がでるようだったら失敗だし」


 例えば選手一人が年間120本もホームランを打つようだったら、明らかにおかしい、ということだ。


「2リーグじゃなくて1リーグ6球団なのは?」

「NPBにならえば一軍登録は28人。6球団で約……170人か。これが二倍になったら覚えられん。二軍も加えればさらに倍だしな」

「待った。二軍あるのか?」

「二軍への降格、一軍への昇格はその選手のファンにとってはビッグイベントだ。あるべきだと思うんだが……ダメか?」

「あー……アァ、イヤ、いい……続けてくれ」


 頭を抱えてうなっているが――いいというなら、続けよう。


「とにかく、世界観はこんなところだろう。プロ野球リーグは新設、選手はかつての球児たちから公平に選択……何か質問はあるか?」

「自分はないッス」

「わたしも」


 残ったのは頭を抱えたミタカだけ、か。


「――質問、じゃねェけど」


 むくり、とミタカが顔を上げる。


「とりあえず、こっちの話も聞いてくれ――そっから問題について話したい」

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