真夜中の子供たち

「中に入ってみないとわからんこともあるものだな。やれやれ」


 提供されたおしぼりで、シオミはメガネを拭きながらつぶやく。


 会議が終わって、俺とシオミは駅近くの喫茶店に入っていた。代表となる俺にだけまだ仕事があるらしい。


「さて、会議の続きといこうか、ユウ」

「その前に、会議中の話し方について説明してほしいんだが……」

「ああ、あの口調か」


 シオミはククッと笑う。


「秘書っぽいだろう?」

「っぽかったけど」

「だろう、やってみたかったんだ。……ああ、わかったよ。それだけじゃないさ。まあ、お前のためだ、ユウ」


 別に秘書にフェチを感じてはいないのだが。


「あれからずいぶん経つのに、お前の口調が私の影響を受けたままだ。そうなると私たちの関係に嫌でも興味を持ってしまうだろう? あまり首を突っ込まれてもいい気分ではあるまい」

「……そうだな」


 現時点でもそうとう興味を持たれている気がするが。


「安心しろ、二人きりのときは秘書ではなく個人でいてやる」

「助かる」


 正直、あんなに丁寧にしゃべるシオミは背筋がゾワゾワしてかなわない。


「では早速本題に入るか。お前には二つ、課題をこなしてもらわねばならん」

「わかった。一つ目は?」

「詳細を詰めてくれ」


 シオミはコツコツとテーブルを指で叩く。


「野球リーグを運営するのに、チーム数も決まっていないようでは話にならんだろう。いろいろな起業を見てきたが、ゲーム会社は初めてだ。ゲームについてはこれから勉強させてもらうが……ともかく、イベントの企画として考えてもありえないことだぞ」

「――確かにその通りだ」


 ミタカに言われるまま予算を書いたのが間違いだった。きちんとその詳細を聞くべきだったのだ。


「あと――ケモノだったか。人間じゃない生き物が野球をするんだったな?」

「ほぼ人間と同じ体型だが、そうだな、人間じゃない」

「そいつらはなぜ野球をするんだ?」


 なぜ。


「それは……ゲームのキャラだから……」

「それでいいなら構わないが、リアルを目指すにしては手落ちだな?」


 シオミはこちらの目を覗いてくる。


「現実なら、野球選手になぜ野球をするのか聞けば、野球との出会いから何から、全部理由をもって話してくれるだろう。お前のゲームはどうなんだ? ゲームだから、でいいのか?」


 いい――はずがない。

 いくら見た目が変わっていても、背景がないキャラクターは魅力に欠けるだろう。タイガ選手だってファンから愛されているからこそ、Wikipediaに詳細な経歴が載っているのだ。……出身小学校が分かったからなんだという話だとは思うが、知りたい人は知りたいのだろう。


「――わかった。それらも踏まえて、詳細を詰める。……いつまでに必要だ?」

「会社を建てる上では今のところ問題ないが、ゲームを作るうえでは早いほうがいいだろう? すでにあのミタカというメンバーと認識に齟齬がでているようだったからな」

「そうだな……」

「さて二つ目だ。どちらかというとこれが本題だな」


 シオミはテーブルに届いたコーヒーを飲んで、一拍置く。


「ユウ。お前は会社の代表になる」

「ああ」

「だが同時に、まだ未成年でもある」


 ………。


「世間一般的には、親が干渉することが義務であり当然だ、という立場だ。とはいえもう十七歳、内容を選ばなければ手段はいろいろあるが――普通の手続きではない以上、いつかそこから問題が噴出する可能性はある。法的に問題がなくても、社会的な問題として、な。だから――」


 シオミは言う。


「親を説得しろ。二度と口出しされないよう――独立するんだ」



 ◇ ◇ ◇



 家――マンションに帰る道を一本間違えた時点で、夜の街を散歩することに決めた。

 無意識でも帰りたくないと思っていたのだろう。そんな時無理矢理引き返してもいいことなんてない。足の向くまま、家から遠ざかっていった。


 シオミに言われたことがだいぶ堪えているようだった。

 自分ではそれほど大したことはない、と思っていたのだが……。


 気がつけば見覚えのある公園に到着していた。小さい頃はよく来ていたが、最近は通り過ぎるばかりだ。歩き疲れてきたのでベンチに座る。

 あの頃は広いと感じていたが、今となってはそうでもない。縮んだような気さえする。いくつか遊具が撤去されていたりするから、広くなった印象を受けてもいいと思うんだが。


 さすがに夜も遅くなって人の姿もない――と思ったら、そうでもなかった。中央の明かりの下で、ジャージ姿の人物がバットを持って素振りしている。ブン、ブン、と風を切る音がこちらまで聞こえてきていた。他に動くものもないので、ぼんやりとそれを観察する。


 しかし、野球か。すごいな、野球は。

 こんな夜中に一人で練習するような人がいる。それだけで野球人口の多さが知れようというものだ。インターネットで新しいリーグを運営する……KeMPBの考えはきっと間違っていないだろう。あれだけ人材も集まったんだ、成功するに決まっている。

 ――しかし、その展望だけで、納得をしてもらえるか……。


「……って、もしかして、ユウくん!?」


 素振りの音が止む。ジャージ姿の人物は、息を荒げながらこちらを見ていた。


「い、いつから見てたの……?」

「ついさっきからだが」


 そう聞くと言う事は、幼馴染はかなり長い時間素振りしていたに違いない。


「気にせず続けていいんだぞ、カナ」


 ◇ ◇ ◇


「ううん、ちょうど終わったところだから……隣、いい?」


 俺が頷くと、カナはバットを横に立てかけてベンチに座った。


「珍しいね、ユウくんがこの公園に来るの」

「そうか?」

「そうだよ。何年ぶり?」


 年単位――だな、うん。


「転校しちゃってから、ずっと来てないから――9年ぶり? わっ、もうそんなに経つんだ」

「そうだな」

「なつかしいなあ」


 カナは伸びをして笑う。


「ニシンちゃんと一緒に、ここで練習したよね。ユウくんがチームを辞めた後も」


 三ヶ月でやめたからな、少年野球。へたくそだったから。


「ほとんど毎日一緒に練習して――だから、急に転校しちゃったときはびっくりした」

「言う暇もなかったからな」

「うん、その――いろいろ事情はあったんだろうけど」


 カナは――メガネの奥からこちらをまっすぐ見つめてきた。


「それでも言ってほしかったな」

「……すまない」

「家に残ったユウくんの荷物まとめたの、私なんだよ?」

「そうだったのか」


 買ってもらった服ぐらいしか置いていかなかったと思うんだが、手間をかけさせたな……。


「……ねえ、ユウくん」

「なんだ?」

「聞いてもいい?」

「………」

「大人たちの様子を見て、私もニシンちゃんも聞かないことに決めた。ニシンちゃんはたぶんもう忘れてる。でも私は――やっぱり気になるよ。だって――そのあたりのことで今悩んでるでしょ?」

「――驚いたな。どうしてわかった?」


 カナはにこりと笑う。


「幼馴染だからね」

「おさなじんだ期間は小学校入ってからだから1年ちょっとぐらいだと思うんだが」

「じゃあ、女の勘!」

「そうか……それじゃ仕方ないな」


 実際、迷っているし悩んでいる。それでこんなところまで足が伸びたのだ。いい加減、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。


「それじゃちょっと待って、ニシンちゃんも呼ぶから……」

「いや……もういい時間だし、後でカナから話しておいてくれ」

「ええー――後でニシンちゃんに怒られそうなんだけど?」

「すまないな。後で謝っておく」


 待ち時間ができたら話しづらくなる気がするし、その気になったうちに話しておきたい。


「いいよ、わかった」


 カナはうなずく。


「それじゃ、聞かせて――転校した理由」


 ◇ ◇ ◇


 俺が言葉を探している間、幼馴染はしっかりと待つ。

 友達のいない俺にこんな幼馴染がいることは本当にありがたいことだ。


「――転校の前に、カナの家に世話になっていただろう。その理由は知っているか?」

「え? ――ううん。確か急に泊まりにきて、それからずっとそのままだったよね。そういえば、そっか、そこからしてちょっと変だね」

「あの時、ちょっと生活が苦しくてな……カナの親御さんに助けてもらった」


 給食だけで生きていくのはさすがに無理があった。動けなくなる前に拾ってもらえたのは、運がよかったと思う。


「ただ、いつまでもそういうわけにはいかなくて――」


 さすがに時間が経てば両親の耳にも入る。


「……それで……母親の友達の、シオミというひとのところに行くことになった。シオミは別の町に住んでいてな。急な話だったので、二人には挨拶もできなかった」


 シオミが子供の話でも聞く人間でよかったと思う。まさか母親のあんな主張を鵜呑みにする人間がいるとは思えないが、シオミ曰く、そんな人間もそこそこいるらしい。


「それでしばらくシオミと暮らして……中学に上がるころ、こっちに帰ってきたわけだ」

「シオミさんは?」

「その時別れたよ。――ああ、最近再会したから、心配は要らない。元気だったよ」


 二度と俺と顔を合わせない。そういう条件で地元に帰った。もともと引き取るときからそういう約束だったという。


 地元に戻って中学に入ってからは、カナとニシンとも再会した。中学は別だったが、帰った報告はしないといけないと思って、一度だけ家に招待した。もう大丈夫だと言うために。


「そっか――会ったらずいぶん印象が変わってたから、びっくりしたよ」

「そうだろう」


 シオミにだいぶ根性を叩きなおされたからな。


「でも――根っこは変わってなかった。優しいユウくんのままだったから、すぐわかったよ」

「そうか?」


 自分が優しいとはとても思えないんだが、カナは「そうそう」と言ってニコニコしている。幼馴染には色眼鏡がかかるものなのかもしれん。


「とにかく……そういうことだ。それで、悩んでいる」

「どんなことを?」

「まぁ……進路についてだ」

「あれ、ニートになるんじゃなかったの?」


 まあさんざんそう言ってきたけどな。


「いや、社長――じゃなかったか、正確には。起業して、会社の代表になる」

「ええっ、なにそれ――あっ、もしかして、ゲームを作るって言ってたの、それが? この間手伝ったやつが?」

「そういうことだ。いろいろあって、個人製作ではなく法人としてやったほうがいいということになって――起業することになった」


 なったんだが。


「……だが、代表になるにあたって……未成年だからと、親に横槍を入れられる可能性がある、と指摘された。そうならないために、独立を認めてもらうよう説得しろと」


 あるだろうか。あるかもしれない。いや、分かっているんだ。あるだろう、と。


「……それでどうしたものかと、悩んでいてな」

「そっか……」


 カナは考え込むように空を見上げた。


「個人製作に戻すのは?」

「だめだ。妥協はできない」


 制作規模を小さくすれば可能だろう。だがもう、それでは成功しないと分かっている。


「ユウくん以外が代表になるのは?」

「ないな。俺がやらないとダメだ」


 俺以外のメンバーはやることが山盛りだ。その時間を奪えば、完成は遠くなる。


「……そっか。優しいね、ユウくんは」


 優しい?


「説得の方法で悩んでるんでしょう? 説得をするか、しないか、じゃなくて」

「ああ、そうだな」

「だから、優しいなって。私だったら――」


 カナは――顔を歪める。


「もしユウくんの置かれていた状況が、私の想像通りなら――私ならとっくに家を出てる。親を親とも思わないし、そんな人たちに人生を左右されたくなんてない」

「カナ――」

「ごめんね。でも、本当にそう思った。それとも……私の勘違い?」

「……いや」


 頭のいいカナのことだ。きっと今までの話ですべて察しがついているだろう。

 俺だって分かっている。カナがそう思うのが普通の感覚だと。ただ、それでも――


「ところでさ!」


 突然、カナは立ち上がるとバットを手にくるりとこちらに向き直った。


「どうして私がこんな時間に練習してたか、知りたくない?」

「ふむ――どうしてだろうな?」

「プロ野球の入団テスト受けようと思って」


 カナはお下げを指に巻いて笑う。


「私もニシンちゃんもね、タイガ選手のマネージャーのエーコさんから、改めて釘を刺されたんだ。タイガ選手は誰にでもプロになれって言うから、本気にしないでほしいって」


 モーションキャプチャーの時に、二人にプロになるのか聞いた時の話か。


「だけど、受けることにしたの。タイガ選手を見て、話して――プロになってみたい。なれる可能性はある。そう思ったから。だから、あきらめないことにした」


 あきらめない――


「タイガ選手以降、NPBの入団テストを受ける女子選手は増えてる。けど、合格者は出ていない。それだけ厳しいんだってわかってるんだけど……あきらめたく、なくなっちゃって」


 カナは笑う。


「入団テストは九月ぐらいだから、それまでは野球に専念させてほしい、って親を説得したよ。だめだったら大学入試に切り替える。それで大学野球に参加して、来年のテストを受ける。試合経験積んでおかないとだから、来城先生にも選手としての参加をお願いしたし。親にも先生にもチームの皆にも、いろいろ迷惑かけてるけど――」


 でも、とカナは言う。


「やりたいことのためだもの。手段は選んでられない。たとえそのことで困らせても、それ以上の結果を出して納得してもらう。そう決めたの」

「なるほど……」

「だからね。ユウくん。やりたい、やらなきゃいけないことがあるなら――人の都合なんて考えちゃだめだよ。もちろん、超えちゃいけないラインはあるけど……ユウくんの事情なら、そんなラインなんてない。どんな手を尽くしても説得するべきだよ!」

「そう……だろうか」

「そうだよ。ずっと思ってた。本当はあの時から。ユウくん、うちの子になっちゃえばいいのにって。これ以上義理立てする理由なんてないよ」


 義理――そうか、そうかもしれないな。


「あッ、いやそのちがくて、うちの子になっちゃえばいいのにっていうのはその、ええとね?」

「ありがとう、カナ」


 何か赤くなって手を振っているカナに、俺は言った。


「義理を果たしてくることにする」

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