対決、野球少女

 カナとニシンとタイガは、さっそくアップに移っていった。

 遠くから見ても、ニシンとカナの目が輝いているのがわかる。もう、タイガが何を言おうと、「ハイッ!」と元気よく返事をして行動していた。――タイガの言葉がちゃんと聞こえていればいいんだが。


 一方、マネージャーのエーコは従姉に名刺を渡しながら。


「いいですか。今回はタイガがその――お宅のユウさんに借りを返すため、個人的に協力するものです。ここでの出来事は内密に。モーションデータの出所についても、決してうちのタイガだとは明かさないよう」

「い、いえ……ウチのユウだなんてそんな……デュフ」

「わかりましたね?」

「はっ、はいぃ」


 と釘を刺していた。


 モーションをとらせてくれ、と願い出たとき、タイガは二つ返事で了解してくれたのだが、エーコがいろいろ反対してきた。結局、タイガが後押ししてくれて、先ほどのような条件で了承してくれたのだが。


「アップは終わったか? 時間がないから始めるぞ」


 肩を作らないといけないタイガを後に回し、ニシンの守備動作から撮り始める。


「じゃあニシンちゃん、行くよー。真正面のゴロ!」


 カナが宣言どおりの打球を出し、ニシンがなんなく捕球する。


「よっと。……あ、送球いるんだっけ?」

「予定表に書いてあるだろう。全ベースへの送球も込みだ」

「それなら、守備位置も決めないとダメじゃん?」

「いや、それは――」


 そこまで変わるものか? と突っ込む間もなく。


「カナ、もっかい!」

「じゃあ、ファースト、真正面のゴロ!」

「よっ……っと、ほいカバーに入ったピッチャーにトス――したフリっと」

「もう一回!」

「セカンドに送球! サードに送球! バックホームッ! したフリ!」

「右のゴロ! 左の回りこめるゴロ! 逆シングルで!」

「ほいほいほい!」

「ライナー真正面! 右上! 左上! 上!」

「よっはっほいっやっ!」

「フライ! ……は打ったふり?」

「天井低いからな」

「じゃあ、前のフライ! 右、左、背走! ダイビングでもう一回!」

「ちょいさーっ!」


 縦横無尽にニシンが駆け回る。

 外野はひとまとめにして、キャッチャーはパターン減るとはいえ、これをあと六セットか――千本ノックかな?


「ぅ……ぃね、二人とも……」


 肩を作り終わったタイガが、二人を見て言う。プロにそう言われるとは、たいしたものだ。


「おわったーっ! くはーっ!」


 千本ノックが終わったニシンが、ばたりと倒れこむ。


「じゃあ、次はタイガだ。このボールとリストバンドを使ってほしいんだが……」

「ボールが……とッ……めい?」


 中身のない透明なボールと、カメラのついたリストバンドをしてもらう。

 これが従姉の友達とやらが貸し出してきた実験機材だった。カメラの方が高いと思いきや、ボールのほうが特注で高いらしい。感触はそのままに透明にしたのがどうとかこうとか――


「ボールの握りを内側から撮るんだそうだ。重さが違うからまともに投げれないと思うが、フォームとリリースの動きが取れればいい。――いけるか?」

「ん……だいじょッ……ぶ」

「じゃあオーバースローのストレートから頼む」

「ん……」


 ザッ……という音はしないが、スッと足が上がる。どしん、と踏み込み、投げる! ――実験ボールはさすがにミットまで飛ばなかったが。


「うわぁあ……すげぇ、迫力! さすがタイガ選手!」


 息を呑んで見守っていたニシンが、興奮して叫ぶ。


「うん……さすが、タイガ選手だよ」


 一方、カナは落ち着いた声だった。ニシンのようにはしゃぐこともない。

 ただただ、真剣にその投球を見守っていた。


 ◇ ◇ ◇


 オーバースロー、サイドスロー、アンダースロー。それぞれから繰り出す変化球。おまけで牽制。

 そのすべてを投げきって、タイガは休憩に入った。


「すごいすごい! もう一生ものの思い出だよ!」

「ぁ……は……」


 ニシンがキャイキャイ言いながらタイガ選手の周りをうろうろする。別の意味で疲れそうだ。休憩になっているだろうか。


「最後はバッティングだな。カナ、いけるか?」

「うん――覚えた」

「?」

「あっ、なんでもないよ。大丈夫。やろう」


 バットを持ってバッターボックスへ。


「じゃあ、アウトハイのストレートから順番に……ヒット狙いから……」


 スゥ……と息を吸って。ぴたり、と一瞬静止した後。

 ブンッ! と鋭いスイングが空を切った。風を切るとはこのことか。

 普段の温厚な目つきはどこにいったのやら、獣のような目でにらんでいる。


 ――にらんでいる?


「……内角……カーブ……」


 ――誰を?


「……スライダー……」


 各コース、各球種を。ヒット、ゴロ、フライ、流し、引っ張りと打ち分けてスイングする、その目線の先。そこには――


「……ライトスタンド」


 がたん、と。

 ベンチから音を立てて、カナの目線の先の人物が立ち上がる。


「え、え……? た、タイガ選手?」


 カナとタイガの目線が、鋭く交錯した。


 ◇ ◇ ◇


「か、カカカッ、カナ! やばいよ、なんかやった!? めっちゃ怒ってるよ!」

「――えっ」


 異様な雰囲気にニシンが飛び出し、カナに駆け寄る。

 するとカナはきょとん、とした顔をして――タイガににらまれていることに気づいて、顔を青くした。


「たっ、タイガースマイルだ……こ、ころされる」

「あっ、あわ、あわわ……」


 ……そうか、笑ってるか。

 俺はタイガに近づいて、肩を叩いた。


「タイガ、誤解されてるぞ」

「ッ! ……ぁッ……あゎゎ……ちが……」

「二人とも、怒ってないって言ってるぞ」


 あたふたとするタイガの変わりに、二人に言ってやる。


「そッ……そうなの? ユウくん」

「ああ。怒ってないよな?」

「ぅ……ん」


 タイガがこくりと頷いて、カナはホッと胸をなでおろした。


「よかった……」

「もー、カナ、なにやってんだよー! タイガ選手にガンつけるとかさ!」

「あ、あはは……せっかくプロの投球フォームを間近で見れたわけでしょ? だからスイングするとき、それをイメージしてタイガ選手と仮想対決を……ね。ほら、その方が気合が入るし」


 カナの言葉に、タイガがニマァ……と笑う。


「ぅん……いいスッ……ング……だ、ね。それッ……ら、打って……みる?」


 ニシンとカナの顔が、再び青くなる。


「いい度胸だ。そこまで言うなら打ってみせろ――!?」

「言ってないだろう」


 少し距離があるとはいえ聞き間違えすぎだ。


「見込みがあるから、本当に打ってみるか? って言っているぞ」

「え、ええ!? ほ、ほんとに!? いいの!?」

「ちょっと、タイガ、あなたね……」

「すこッ……し、だけ」


 カナとニシンが手を取り合って飛び跳ねて喜び、エーコは渋い顔をしてタイガを咎めにいった。だがタイガの意思が固いと知ると、エーコは三球までだと条件をつけて了承する。

 その後、すべてのモーションキャプチャーが終わってから機材を撤収した。ピッチャーネットを用意して、カナとタイガ以外は金網の外へ避難。


「よろしくお願いします……!」


 カナがぺこりと頭を下げる。


「いい、タイガ! 全力はダメだからね! キャンプ前なんだから!」

「カナー! がんばれー! ああっ、でもタイガ選手もズバッと決めてー!」


 タイガはジッとカナの様子を観察している。カナは――バットのグリップを握りなおし、足場を固める。


「お待たせしました。いつでも!」

「ん……」


 タイガが振りかぶって――投げた。ゴウッ! とボールとバットがともに空を切り裂く。……空振りか。


「速いな」

「でもタイガ選手のマックス、130台だよ。今のは120とかじゃないかなー?」

「そうなのか。プロだとどれぐらいが速いんだ?」

「150を超えるのが一部の選手、だいたいは140台ね。……言っておくけど、日本の女子プロで130出した子はいなかったんだからね? 女子は平均で100から110の間、最速で120台だから」

「あっ、そうそう! いやータイガ選手が出てきてからはもう当然って感じで忘れてたけど! 前人未到の記録だったんだぞ! わかったな、ユウ!」

「なんでお前が威張るんだ、ニシンよ」


 エーコさんがドヤるのはまだわかるが。


「でも130出した時も凄かったけど、その後の伝説のインタビューの方が凄かったかなあ。記者が新記録だって盛り上ってコメント求めたら、一言、『遅いと思います』って! 痺れた!」

「ま、球速だけで言えば海の向こうに140投げる子も出てきたしね……それにタイガが比較されるのはあくまでプロ野球の中。速いとはとても言えないわ。球速だけなら最低限ってレベルね」

「まあまあ! タイガ選手の持ち味は変幻自在の変化球だし!」


 ――とか話している間に、二球目が投げられた。カッ、と軽い音がして――ボールはカナの後方へ。


「ああ~、かすっただけかぁ~……、おしい! カナ、つぎはタイミング合うよ!」

「……タイミングは合ってたわね」

「あ、あれぇ?」


 エーコは険しい顔をする。


「……あの、バカ。高校生相手に、しかもこんなところで、変化球投げるとか……」

「ユウ、変化球だった?」

「俺にはよくわからん」


 野球中継とか見てても、せいぜいまっすぐなのか山なりのかぐらいの区別しかつかない。外から見て変化球の種類がわかるとか、どんな目をしているのか。


「………」


 カナは――集中していた。二度の失敗も気にした様子はなく、構えて次の球を待っている。

 タイガは――


 ――笑っていた。外から見ているだけなのに、ゾワッと毛が逆立つ。獲物を前にした獣の笑い、タイガースマイル。

 大きく振りかぶり――振りかぶって――背中がカナに見えるほど振りかぶって。


「えっ、トルネード!?」

「あのバカ!」


 すさまじい勢いで体を回転させ、腕をふり、投げた球は――


「――って遅ッ!」

「あの、バカ!」


 俺が見ても前の二つよりはるかに遅い球――それをカナは――


 ガッ――と鈍い音を響かせて、三塁線のゴロに。


「ああ~!」

「……切れましたね、ファールです」


 冷静に自分でジャッジして、カナは深く長く息を吐いた。


「ありがとうございました……」

「タイガー! あなたねぇー!」


 カナが頭を下げた横を、鬼の形相のエーコが駆け抜けていく。タイガは顔を青くして飛び上がると、全速力で逃げ出していった。


「あっ、ああーっ! ねえ、次、次、あたしもーっ!」


 それをさらにニシンが追いかけていく。

 ――いや、打つつもりなのか? 打てるのか? どうなんだ、ニシンよ?



 ◇ ◇ ◇



「あー、お風呂最高だったよー」

「そうだろう」


 風呂上りの湯だったニシンに、コーヒー牛乳を渡してやる。

 作業終了後のラウンジ。カナとニシンはジム設備の風呂で汗を流し、ぽかぽかになって戻ってきていた。従姉は機材――モーションキャプチャー用のスーツの片づけがあって遅れている。


「タイガとエーコはどうした?」

「マッサージとかクールダウンで遅くなるって。いやー、プロは違うね!」

「そうだな――ほら、カナ」

「……ッあ、ありがとう」


 上の空のカナの手にコーヒー牛乳を握らせて、ようやく受け取ってもらう。


「さっきからこんな調子なんだよ、相手はプロなんだし、あたしだって三振だったし、気にしない気にしない!」

「いや、お前の三振は基準にならないだろう? 抜いたストレートで三球三振だし」

「ムガー! うっせーうっせー! ゼロ割じゃないんだから、もしかしたら打てるかもだし!」


 打率で打てるなら苦労はないと思う。


「……でも、負けは負けだから」


 カナがぼそりと呟いて、ニシンは騒ぐのをやめる。


「初球で打てなかったのが、ダメだなぁ……せっかくストレートだったのに」

「二球目はなんだったの? エーコさん、変化球って言ってたけど」

「スプリット」


 手元で落ちる速いフォークボールだ。


「落ちるのはわかったんだけど、やっぱり本物は違うね。思ったより変化したから上のほう叩いちゃった。で、最後が――」

「チェンジアップね」


 エーコがタイガを連れてラウンジにやってくるなり、話に割り込んだ。


「はい。タイガ選手のトルネード投法ははじめて見ました。あれは?」

「球速アップのために試してるものよ。まだ本番では使わないけどね――内緒よ、秘密兵器だから」


 エーコはパチリとウインクする。


「しっかし、練習中のトルネードを使うし、そこから直球じゃなくてチェンジアップだし……タイガも本当におとなげないったら。ごめんなさいね」

「いいえ! タイガ選手といえばやっぱり変化球です。投げてくれて光栄です!」

「それならいいんだけど。でもあなたもよく打ったわね、あんなにタイミングはずされて」

「溜めたつもりなんですけど……足りなかったです。本当に完敗です」


 カナはまた肩を落としてしょぼくれる。エーコは困った顔でこちらを見てきたが、俺に振られても困る。――と。


「……ぃちだッ……き勝負、なら……まだ、勝敗……ってない、から」


 エーコの後ろに隠れていたタイガが、前に出て言った。


「二人とッ……野球、うまかった。どッ……の高校?」

「あ、あの、棚田高校です!」

「同じ同じ!」

「……甲子園は、まだ、出てなぃ……ね」


 その台詞、この間も聞いたぞ。


「まー、あたしらは女子部ですから、甲子園はねー」

「……そうだッ……た」


 タイガはぽりぽりと頬を掻く。


「じゃ……卒業ッたら……入団テスト?」

「んー女子プロなら、入団テスト受けてみよーかなーとは思ってますね!」

「わたしは進学かな……へたくそだから」

「そぅ……残念……」


 タイガは――ぽつりとこぼす。


「プロ……ぃと、思ッ……けど」

「? なんです?」

「えぬぴーびー……、いぃと……思ぅ」

「ええッ! あたしたち、イケてます!? プロ野球チームに入れちゃう!?」

「ぅ……ん」


 タイガは――スッと指をあげる。色めきたつニシンにではなく――落ち込んでいるカナに。


「えッ……わたし? いやいや、わたしなんてそんな、守備はブラックホール級のへたくそともっぱらの評判で、どこも守れないし……だから今もマネージャーで……」

「……ぱ」

「……?」

「ぱ」


 タイガの謎の「ぱ」発言に、その場に沈黙が訪れる。


「……カナ、もしかしてパ・リーグのことじゃない?」


 理解が一番早かったのは、ニシンだった。タイガはこくこくと頷く。


「指名打者……ッら、守備は……ない」


 パ・リーグでは指名打者制度が導入されている。守備の九人のうち一人の代わりに打席に立つ選手のことだ。たしかに、指名打者なら守備はしない。

 ライパチ先生もよく言っていたものだ。女子野球に指名打者制度があれば、カナを選手として採用するのにと。


「ええ、いやでも、指名打者ですよ? チームの中でいちばん打撃のうまい人が入る枠で……そんなところに女子選手が入るなんて、聞いたことないです」

「そりゃー、そもそも女子選手がほとんどいないんだから、聞いたことはないだろうけど。でもそれならさ、カナが最初の女子指名打者になればいーじゃん!」


 ニシンは、ばっしばっしとカナの背中を叩く。


「よかったじゃん! タイガ選手のお墨付きだよ! 応援するからさ、ライパチ先生に言って練習にいれてもらって挑戦しようよ――ね! あたしはダメだけど、カナならきっとできるよ!」

「だ……め?」


 タイガは首をかしげる。


「なッ……で?」

「へ? いや、ほら、あたしは背も小さいし……」

「伸ばそ……?」

「いやいや……そう簡単に伸びませんって……。それに、打てないし……」

「打と……?」

「いやいや、あたしだって打ちたいけど、でも――」

「はいはい、そこまでそこまで」


 パンパン、とエーコが手を叩いて割って入る。


「ごめんなさいね、二人とも。野球バカが迷わせるようなこと言って。――あまり気にしないで。この子、野球経験者はみんなプロを目指すと思ってるバカだから……」

「……?」

「不思議な顔しない。……ごめんね、ニシンさん。この子気が回らなくて……というか、バカで……バカ正直で……」


 バカなのか……。


「――いやでも、背が伸びて、打てたら、NPBにいけるかも、ってタイガ選手は言ってるんだよね? つまり――守備はプロ級!?」

「ぅ……ん」

「おおおお、燃えてきた! あたし、背が伸びたら女子プロじゃなくてNPBに挑戦する!」

「打撃はどこにいった」

「そこは置いておいて」


 置くな。


 ――そんな話をしている間にいい時間になり、先にタイガとエーコが帰っていった。


「あ~、タイガ選手が来ると分かってたら、色紙とかサイン用のボールとか持ってきたのに……」

「ユウくん、いつ知り合ったの?」

「最近の話だ」

「そのへん、詳しく。よっし、何か食べて帰ろーよ!」


 食べて帰るのはかまわないんだが、一人足りない気が。


「あ……あの、そろそろ、出てもいいかな?」


 ラウンジの入り口から、機材の入ったリュックやらカバンを背負った従姉が姿を現す。


「どうして隠れてたんだ、ツグ姉」

「いや……なんか深刻そうな話をしていたから……」

「なーんだよう、気にしなくってよかったのに! ツグネーも食事行こー!」

「うん、行こう行こう」

「そ、そう? ドゥヘ……」


 機材をコンビニで発送し、近くのファミレスに入って、俺たちは今日のことやタイガのことを話し合った。大いに盛り上がった。

 ただひとり――カナだけが、一人浮かない顔をしていたのが気がかりではあったが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る