タイガと野球少女たち

 グローブをはめたのなんて何年ぶりだろう。

 実際チームに所属した期間なんて三ヶ月ほどだったが、意外と体は覚えているものだった。


「ぉ……ぉッ……さま」


 ミタカとの話し合いから数日後。


 エーコに呼び出されたのはコンビニの上のジムの室内球技場だった。なにをするのかと思ったら、タイガ選手とキャッチボールが始まった。


 なんでもそれが『お礼』らしい。


 確かに、ファンの中にはいくら積んででもタイガ選手と野球をしたい、という人はいるだろうし、野球選手を目指す子供にはこれ以上ないお礼だろう。

 ──いや、俺は野球少年でもなければ、そこまで熱烈なファンでもないのだが。


「ぁッ……の、楽しく……かった?」

「ああ、楽しかったぞ」


 だからと言って楽しくないわけではない。


 久々に体を動かすのは気持ちよかったし、何よりプロの選手、キャッチボールからして一流に上手い。多少外しても悠々取ってくれるし、逆に向こうは構えた場所に正確無比に投げてくる。

 なので、ベンチに座って休憩中にタイガ選手に訊ねられて、俺は素直に頷き返した。


「よかッ……。ッたし、野球が、ッ……きだから、これが一番、うれしいと」

「ありがとう。タイガ選手のようなプロとキャッチボールできるなんて、いい経験になったよ」

「ぁの……な、まえ」


 タイガ選手は、指を突き合わせてチラチラとこちらを見てくる。


「タイガ……で、ぃぃ……よ。エイコ……さんも、エーコって……だし」


 ああ──そうか。これまで耳に入る名前が、タイガ選手、っとひとかたまりになっていたので、それに慣れていたんだな。何も考えずに呼んでいた。


「わかった。遠慮なく、これからはタイガと呼ばせてもらおう」

「ん」


 タイガは口をVの字にする。目つきとは違って、口元はかわいいな。──試合中は悪魔みたいな口になるんだが。


「ユゥ……は、野球、好き?」

「好きだ。──ただ、プロ野球はあまり見ないんだ。だからタイガの活躍もたまの報道でしか知らない。すまないな」

「ゃ……わたしッ……て、たいしたこと、ないし……」


 タイガは手をぶんぶんと振る。腕が長いから風が巻き起こっているぞ。


「ふつう……だよ。……まだ……まだ」

「そうか。まだまだか。プロの道は険しいんだな。ニート候補生の俺からしたら、プロで食っていっているだけで大成功だと思うんだが」

「ユゥ……は、ニート……ッの?」

「いちおう、今は高校生だ。来年で三年になる」

「どこ……?」

「棚田高校という」

「……甲子園ッは、出てない……ね」


 二回戦が最高記録だからな。ライパチ先生が毎度嘆いている。


「じゃ……そつぎょッ……たら、大学野球……?」

「進学はあまり考えていないな」

「……入団テスト……?」

「野球選手になる予定はない」


 そう残念そうな顔をされても。


「選手になるつもりはないが、野球は好きだ。野球に関わる仕事を──しようと思っている」

「かッ……監督……?」

「プロ野球選手出身じゃない監督っているのか」

「こッ……高校野球の、監督から……とか……。最近は、なッ……けど」


 選手も実績のない監督に指揮を取られたって納得しないだろうしな。


「監督ではない──が、似たようなものか」

「……?」

「社長になろうと思ってる」


 ──いやまて。社長もいきなり社長になっていいものなんだろうか?


 いや、ベンチャー企業はそういうものだ、というのはわかっているのだが。しかし、選手経験のない監督に選手がついてこないなら、未経験で社長になる自分には? 社会経験などゼロに等しいひきこもりには?


「迷ッ……る?」

「……迷ってはいない。やるしかないからな。ただ……少しだけ不安なんだと思う。自信はあるんだが……」

「……かるよ」


 そっと。

 大きな手が、俺の手を覆った。


「わたしも……全打者打ち取ッ……ぅ、自信は……ッても、試合前は……不安」

「──全打者」

「ぅ……ん」

「ノーヒットノーランはまだだったよな?」

「じッ……自信は──ぁるッ……から」


 そうか。自信は大事だな、うん。


「何してるの、タイガ」

「ッ──!?」


 ペットドボルを抱えたエーコが戻ってきて、タイガはアタフタと変な動きをした。


「そッ! ……ぅだん、に、乗ってた。ユゥ……の」

「へえ……君、悩みなんかあったのね。そういうタイプには見えなかったけど」

「珍しいことに、あったんだ」


 自分でも気付いていなかったのだが。


「おもしろそうね、私にも聞かせてよ」

「社長になるという話で──」


 簡単に野球ゲームを作ること、その過程で法人化が必要になったことなどを話す。


「なるほどね。確かにミタカさんの言うとおり、お金を借りるなら会社を立てるしかないでしょう」

「エーコ……、ッにか、力に……れない?」

「うーん。色々やったけど、会社を立ち上げたこともなければ、会社に入ったことさえないから、さすがに手伝えることは……」

「そこを……んとか……年の功……で」

「私はまだ三十代ッ!」

「ぁぅッ」


 痛そうなデコピンだ。さすが兼トレーナー、鍛えてある。


「とにかく、自分でなんとかしなさいな。君の話じゃ大人も二人いるんだし、そこに相談すればいいでしょう。私たちができることはないわ」

「ごめん……ね。ユゥ……」

「いや、かまわない」


 確かにエーコの言うとおり、これは自分の問題なのだ。タイガが謝る必要はない。


「何か……手伝えッ……ば、ぃぃ……けど」

「タイガ、いい加減に……」


 タイガ──選手が──手伝い。


「──それならひとつ、手伝ってもらってもいいだろうか?」



 ◇ ◇ ◇


 タイガのお礼の数日前。


「同志、そろそろモーションをどうにかしないといけないかも」

「モーション……というと、おっさんの動きか」


 従姉との会話で、モーションについて問題が上がった。


「このおじさんのアセットについてきたモーションだと、各動作が一種類しかなくて。投げるのも全部同じモーションだし」

「走るのも同じだよな。速度と歩幅が合わなくて、たまに滑ってるぞ」

「まだ物理エンジンと組み合わせてないから。でも、そろそろやらないと。本当に変化球を物理エンジンで投げるためには、投球のモーションは絶対必要だから」


 変化球はボールの握り、腕の振りなど複雑な要素が絡み合って変化するという。どうみても豪快なストレートを放るゲーム内のおっさんでは、変化球は投げられないだろう。


「どうしたらいい? 買うのか?」

「それがなかなか売ってなくて……あとはモーションキャプチャーを使って、自分でやった動作を取り込むとかなんだけど……同志、できる?」

「小学生時代に、三ヶ月しか野球経験ないぞ」

「だよね……」

「野球の動きが一通りできればいいのなら、アテはあるが」

「ほんと!?」


 だが疑問がある。


「モーションを取るのはいい……が、無限にモーションを取れるわけではないだろう。観ていてパターン化してしまうんじゃないか? あと、モーションがないと取りたい球が取れなかったり」

「補間とかするから……ええと、つまりグラブの位置だけボールの位置に動かして、それにつじつまを合わせるとか……とにかく取れないことはないよ。パターンも、アスカちゃんがなんとかするって。でも、最初の『お手本』は必要なんだって」


 手本か。確かに実際の野球だって、手本を見て自分の体で覚えるものだしな。


「わかった。さっきも言ったとおり、アテはある。モーションキャプチャー? というのはどうする?」

「えっとね……買う……のは高いから、借りる……レンタル料金でも高いけど……でも払えないほどじゃないから。最近は安いのもあるんだけど、精度が欲しいし……あ、でも、一部は大学の友達が、研究用のやつ貸してくれるって。こっちはデータ共有してくれれば無償でいいって!」

「──わかった。出し惜しみしている暇はないな」


 バイトで少しずつ溜めた金の使いどころだ。冷蔵庫はもう半年待ってもらおう。


「準備しておいてもらえるか。こちらも演者? の都合をつけておくから――」



 ◇ ◇ ◇



「おぉ~、思ったより広いじゃん!」


 そして今日。

 俺は再びコンビニ上のジムの室内球技場にやってきていた。従姉に言われるままミリ単位でカメラの設置などにいそしんでいると、着替えの終わったニシンとカナが入ってくる。


「これなら思いっきり動いても平気そう。な、カナ」

「そ、そうだね……」

「あっはっは、なんだよ~、カナ、恥ずかしがることないじゃん」

「で、でもこれ、体の線が」

「水着だったらこれに加えて露出だよ~? そう考えたら問題ないない!」


 モーションキャプチャーとやらは伝統的にぴっちりスーツを着るらしい。二人にはそれに着替えてもらっていた。確かに、カナはでこぼこした体のラインがでているが――ぴっちりスーツを着ていると、色っぽさは全然ないな。


「それにしても野球の動きを見せてくれ、ね! いいとこに目をつけるじゃん、ユウ。スーパープレイヤーのサトミ様の勇姿、バッチリ記録しちゃいなよ!」

「ああ、期待しているぞ。守備動作を」

「………」

「守備動作」

「どーせ、打つのはカナのほうがいいに決まってるし……」

「あ、あはは」


 どんな守備位置でもエラーなしのニシン。守備動作のキャプチャーをするにはうってつけの人材だ。だがバッティングだけはもうぜんぜん打てない。そこで――野球部マネージャー、ノックの女神のカナの出番だった。


「でもほら、ニシンちゃんは大変だよ? 守備に加えて、投球もでしょ?」

「マッ、できる女はツラいね~。ちょーっと本気出して、スライダーとか投げちゃおうかな~?」

「ああ、予定が変わったんだ。投球はいい」

「は?」


 ニシンがズンズン近づいてきて、俺の胸を指で突き刺しながら見上げてくる。


「話がちがくない? そっちが投げてくれっていうから調整してきたのに、当日言う?」

「すまん。投球を任せられる人材を見つけたんだが、今日まで都合がつくかわからなくてな」

「へ~。まだ来てないけど、ずいぶん重役気取りじゃん? いったいどんな俺様野郎なのか楽しみだな~?」

「ああ、ほら、今出てきたぞ」

「来たなぁ、遅刻とかなかなかいい態度――」


 ニシンとカナは入り口を見て――


「ええええ!?」


 ――と驚いたのは、カナだけだった。ニシンは首をかしげる。


「え、カナ、このなんか目つきの悪い大女、知り合い?」

「えっ、まっ、ちょっと! ニシンちゃん、ちょっと!」


 カナはあわててニシンの口をふさいで動きを封じる。


「もご!? もごもご!?」

「ユニ着てないからわかんないかもだけど! あれは!」


 言われてみれば、ぴっちりスーツがぴちぴちだな。


「タイガ選手だよっ!」

「もご?」


 ニシンは改めてタイガ選手を見て――脱力し――土下座した。


「ファンです! 失礼しました! 踏んでください!」


 いや、それはどうなんだ。

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