おばさんの見舞い

 久しぶりに罹った風邪は、しつこかった。

 三日目──12月24日。体温は38度。


 いけるか? 薬を飲めば動けないことはない。

 ベッドの上でそう考えていると、スマホに着信があった。ナゲノからだ。


「ナゲノか? すまない、今家を出るところだ」

「……アンタ、風邪治ったの?」

「まだ熱は下がりきっていないが、薬を飲めば動ける」


 スマホの向こうから、盛大なため息。


「そんなことだろうと思った。アンタ、今日は休みよ、出勤しないで」

「しかし──ケーキの販売があるだろう。人手が」

「アンタが代わったヤツと話つけておいたから。ソイツが来てるから人手は足りてるの」

「デートだと言っていたんだが」

「フラれたらしいから、気にしなくていいわよ」


 そうか。フラれたのか。


「だいたいね、アンタはシフト入れすぎなのよ。ちょうどいい休みだと思って、しっかり寝ておきなさい」

「しかしな──」

「来たらコロス。寝なくてもコロス」


 通話が切れる。本気の恫喝だった。しかたない、寝ていよう。


 とはいえ、やることがなくて暇だ。せっかく冬休みに入ったのだからと、ニシンとカナから遊びに誘われても、バイトが忙しくて断っていたから何もすることがない。

 せめて何か、音楽なり何かを聞いて寝よう。そう思ってパソコンで動画を検索する。

 いろいろ検索した結果──マイリストから適当に飛んだこの動画にしよう。


 『男でもBBAでもないけど実況パワフルプロ野球を実況してみる 16試合目』


 例のティガカスに苦戦していたおばさん声実況主、「ふれいむ☆」の動画だ。というか、どうやらプニキ動画よりもこちらのほうがメインらしく、ほぼ毎日投稿されていた。再生数もコメント数も少ないが。

 コンセプトは、パワプロで流れるアナウンサーの実況音声をオフにしてコンピューター同士で対戦させ、それに自分が実況する、というものらしい。実況が売りのゲームでよくそんなことができるな、とそこに興味を持って再生した。


『さあ始まりました! ペナントレースの第三戦、実況はふれいむ☆がお伝えします』


 ──うん、実況だな。

 普通に、実況だな。無理に面白いこと言うわけでもなく、安心して聞いていられる。声質によるところも大きいかもしれないが。

 野球が好きだ、というのも伝わってくる。どちらのチームに肩入れすることもなく、丁寧に実況している。


 ……普通すぎて──特に尖ったところがないことが、人気のなさにつながっているのかもしれないが。


 いや、尖ったところと言えば、女性だというところだろうか? 野球の実況アナウンサーといえば、男性のイメージしかない。女子アナは……ヒーローインタビューとか、そういう時だけの気がする。


『さあ一回の裏。今日の先発投手はタイガ選手、いわずと知れたプロ野球初の女子選手、大学卒業後ドラフトで入団し、今年で五年目を迎えます』


 そういえばパワプロにもタイガ選手はいるんだったな。最近はサクセスしかやらないから知らなかった。どういう能力値に設定されているのだろう。


『変幻自在の変化球が持ち味ですが──初球ストレートでストライク! ど真ん中でしたが、バットを振れませんでした。ゲームの都合とはいえ、球種は全部で七種類あります。何の球が来るのか警戒しすぎたのでしょうか?』


 七種類。それはずいぶんと──少ないな。そんなもんじゃないはずだが。


 タイガ選手が女性初のプロ野球選手になれた理由には諸説あるけれども、その非凡な才能が一端を担っていることは間違いない。

 古今東西、既知の変化球であればすべて実用レベルで投げることができる──という話だ。

 それも、オーバー・サイド・アンダースローの三種類のフォームから。


 フォームを三刀流していた投手は過去にもいたらしいし、球種だってプロなら一応みんな投げられはするそうだ。ただそれは「一応」であって「実用」ではない。ほんのちょっと曲がった、とかではなく、ちゃんと曲がるのだ。

 ──「実用」であって「一級」ではないので、ギリギリ怪物扱いされていない。球速もMAXで130キロ台だし。打撃はよくないし。成績も普通だし。


『あぁ~! これは大きい! 入りました! タイガ選手、読まれていたか、スライダーをスタンドに持っていかれましたー!』


 ホームラン、よく打たれてるし。


 しかし。何かさっきから引っかかるな。違和感というか。

 ──いや、風邪のせいだろう。ベッドに横になって、早く治さなければ……。


 ◇ ◇ ◇


 インターホンが鳴る。出るか──いや、今日は母親がいるんだった。

 起こしかけた体を再びベッドに沈めて、目を閉じ──


 コンコン。ドアをノックされる。


「起きてる? 見舞いにきてあげたんだけど」


 よく聞いた声がした。落ち着くおばさん声。──おばさん声。


「入っていいわよね?」


 おばさん声だな。


『さあ迎える九回の裏! バッターはクリーンナップから! 逆転のチャンスはまだまだあります!』


 こっちもおばさん声だな。


「なッ──ちょッ!?」


 ドアが物凄い勢いで開かれ、飛び込んできたナゲノはパソコンを見つけるや否や、手馴れた手つきでブラウザを閉じた。

 ぜいぜい、とナゲノは肩で息をして、ゲホゲホと辛そうに咳き込む。


「風邪か?」

「違うわッ!」


 そうか、違うならよかった。


 ナゲノは、頭を抱えてその場にしゃがみこむ。そして、そのままの体勢で尋ねてきた。


「──いつから知ってたの?」


「いや──今日初めて気付いたぞ、ふれいむ☆さん」

「あぁぁああぁああっぁああああ……!」


 ナゲノは──搾り出すかのような悲鳴をあげて、そのままさらに縮こまるのだった。


 ◇ ◇ ◇


「ところで」


 俺の部屋で頭を抱えて縮こまって動かないナゲノに、声をかける。


「なんで、ふれいむ☆なんだ?」

「……そこ? そこ気になるわけ?」

「少し」

「──本名が、ホムラだからよ。ナゲノホムラ。だからフレイム」

「☆は?」

「中学生の時ってそういう、そういうのってあるでしょう!?」


 フィクションではよく聞くが、目の当たりにしたことはないな。


「はぁ……アンタに知られるなんてね」

「何かまずかったか?」

「まずいもなにも、その──」


 ナゲノは上目遣い──というか下からにらみつけてくる。


「ネタにしてイジってくるでしょ」

「は?」

「動画配信とか暗い趣味だからって、バイト先で言いふらしたりして──」

「いや」


 なにを言ってるんだ。


「暗い趣味だなんて思っていないぞ。だいたい配信が暗い趣味だったら、それを視聴する俺はなんなんだ。暗がりに逃げ込む虫か何かか」

「え、ゴミムシ……?」

「そこまで言ってないだろう」


 何の被害意識なんだ。


「俺は見たいから見ていただけで、ナゲノさんをどうにかしようなんて考えてもいない。好きでやっていることなんだろう、好きにしたらいい」

「……言いふらさない?」

「されたくないなら、黙っていよう」

「じゃ、そうして」


 ナゲノはようやく立ち直ったのか、ゆっくりと立ち上がった。


「──ああ、コメントをつけるのもやめたほうがいいか?」

「別に、リアルのこと書かなければいいわよ。……コメントつけてるの?」

「ああ」


 俺は頷いた。


「コメント数伸びたほうがいいだろう? 毎回、見た後はコメントしてるぞ。あの動画はそろそろ三桁になるんじゃないか?」


 ティガカスに愚痴を言うあの動画は、気晴らしにちょくちょく見ている。見た後はお礼の意味も込めてコメントを──


「お前かッ! おばさんおばさんしつこいアホはッ!」

「グェッ」


 ナゲノの拳が、みぞおちに決まった。


「同じ動画に、日記みたいに何度も何度もッ! しかも毎度、『おばさん』を労わるコメントで──NGにしようにもキレてると勘違いされそうでできないし、悪質ないたずらかと思ってたわよッ!」

「ぉち……落ち着け……」


 俺は病人だぞ。も、戻すぞ?


「じ、自分でも、BBAと自虐を……」

「BBAって書かれるよりよっぽどクルのよ! 励まされて落とされる感じだし!」


 わからん。いろいろとわからんな、ナゲノは。


「とにかく! 見舞いに来てやったから!」

「ああ──ありがとう」

「そうよそうよ、感謝しなさい」


 ナゲノは得意げにコンビニの袋から例のアイスを出し、椅子に座った。


「それにしてもアンタ、強がるのもいい加減にしなさいよ。お母さん、アンタが風邪ひいてること知らなかったわよ?」

「ああ──」


 そうだろうな。今は飯が出てくるだけマシなんだが。


「今日だって電話しなかったら店まで来るつもりだったでしょ」

「薬を飲めばいけそうだったからな」

「今朝も言ったけど、休みなさいよ。高校生であんなにシフト入れるヤツ、普通いないわよ。まあ、アンタは普通じゃないんでしょうけど」

「いや、ごく普通の高校生だが」

「ごく普通の人間はあんなことしないでしょ」


 ナゲノはアイスを食べながら言う。


「驚いたわよ。まったく躊躇せずに冬の川に飛び込んでいくんだから。下手したら心臓麻痺で死んだんじゃない?」

「それは考えてなかった」

「考えなさいよ!」

「しかし、それよりも財布をなくす方が大変だろう?」


 俺の分のアイスは出てこない。


「特にあの財布、クレジットカードとかキャッシュカードとか保険証まで入ってたぞ。他はほとんどポイントカードだったみたいだが、再発行が面倒くさいものばかりだ。なら、回収できるうちに回収するべきじゃないか?」

「アンタ、それいつ確認したの?」

「レジでだが」


 のろのろバリバリ開けていたから、いろいろ見えていた。分厚い財布。浮くとはなあ……。


「まあ、確かに大変だと思うけど。それは本人に取りに行かせるとか……」

「タイガ選手が風邪や怪我をしたら、それこそ大事だろう。俺が行くのが一番早かったし、誰に迷惑がかかるわけでもないし」

「あーあー、はいはい、そうね、野球界の至宝のタイガ選手とアンタじゃ、比べ物にならないものね」

「ああ」


 ナゲノはこめかみを揉みながら大きくため息を吐いた。


「アンタ、周りの人から無鉄砲とか言われない?」

「坊ちゃんか。──いや、気分屋と言われるぐらいだな」

「そう──まあいいわ、思ったより元気そうで安心した」


 ナゲノは立ち上がる。


「じゃ、ちゃんと治してからバイトでなさいよ」


 そして帰ろうとする。


「待ってくれ」

「なによ?」

「差し入れは……?」


 ナゲノが手に下げている袋を指すと、ナゲノは、ああこれ、と言って。


「アタシのアイス」

「……ずいぶん他にも入っているようだが」

「氷ね。アイスを冷やすやつ」


 ガッシャガッシャ。揺らすとそんな音がする。


「見舞いとは」

「見に来てやったでしょ?」


 そう言って、ナゲノは部屋から出て行く。


 確かに見舞われたな。強烈なみぞおちへのパンチを。だが病人にそれでいいのだろうか?

 俺はそう自問して──よくよく考えて──特にあのアイスを食べたいわけではないことに気付いて、眠りについた。

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