限定アイスと野球選手

「ちょっと頼みがあるんだけど」


 十二月も半ばに入ってきた頃。客足が絶えたタイミングで、ナゲノは話しかけてきた。


「ああ、いいぞ。なんだ?」

「相変わらず偉そうね……シフトの相談よ。代わってほしい日があるんだけど」

「いつだ?」

「ハァ~? 言わなきゃ分からないの?」


 相変わらずマスクをしているナゲノは、目だけで蔑んでくる。

 分からないの? と言われても。教育期間は終わって別々のシフトになることも増えてきたし、さすがに人のシフトまで把握はしていないんだが……。


「24日よ、24日。あんたは休みだけど、どうせ、暇でしょ?」


 24日か。


「ああ、暇だな」

「でしょう! だと思ったのよ。アンタ、もてなさそう──」

「だが、代われない」

「って、ええ!? なっ、なんでよ? ッ! まさか、予定があるのを隠してるんじゃないでしょうね?」

「いや──」


 俺は答える。


「すでにその日はシフトに入っているから、代われない。すまないな」


 俺は期末試験中、休みになる午後。冬休みに入ってからの全ての日に、可能な限りシフトを入れている。

 ナゲノが言う日は、本来は別のバイトがシフトに入っていて俺の出番はなかった。のだが、ちょうどその別のバイトに交代を頼まれて、これ幸いとシフトに入っている。暇だったからな。


「あッ、そ、そう……」


 ナゲノは口ごもる。……そんなに大切な用事でもあるのだろうか。


「──いや、そういえば俺は代わりに入ったのだから、本来入るべきバイトがその日入れないわけがない。俺が一度代わる話を断って、改めてナゲノさんと交代するということはできるな。なんなら話をつけてくるが」

「いいわよ別に、ややこしいことしないで」


 ナゲノはひらひらと手を振る。


「あー、残念、24日とかすごい誘われてたんだけどなー、しかたないかー。まっ、店頭販売もやるから大変だし? しょうがないからアタシも出てあげるわよ」


 誘われているならなおのこと代わったほうがいいと思うのだが、あっさり諦めすぎじゃないだろうか。


「……あのさ、アンタ、24日が何か分かってる?」

「クリスマスイブだろう?」


 店頭ではクリスマスケーキの販売を行う。

 ビルのジム利用客からの予約はほとんどなかった。ジムだしスイーツは体に悪いのだろう。あるいは高級な客はコンビニケーキではなく、有名店のものを買うのかもしれない。ともかく、予約はほとんどない。

 それゆえ、ビルの外にまで出て販売を行うのだ。オーナーからは特別手当も出すと言われているので、是非もない。


「……気にならない?」

「何がだ?」


 ナゲノは深く長いため息を吐いた。


「見栄を張ったアタシがバカだったわ……」

「何か言ったか?」

「別になんでもないわよ」



 ◇ ◇ ◇



 別の日。ナゲノは朝からソワソワしていた。

 24日ではない。まだ手前の日付だ。


「まだかな? まだかな? 次の便には来るわよね?」


 こんなに配送トラックの到着を待ち望む人間がいるとは知らなかった。


「特に品切れの商品もないし、何をそんなに気にしているんだ?」

「新商品よ!」


 びしっ、とナゲノは俺に指を突きつけてくる。俺はやんわりとそれをどけた。


「新商品よ!」


 突きつけてくる。俺はそれをどけた。


「新商品よ!」


 突きつけてくる。俺は頷いた。


「コラボ商品の『黄金はちみつと白銀クリームチーズのもっちり餅アイス』が、今日入荷するのよ!」


 俺は頷く。


「早く食べたいでしょ!?」

「アイスを?」


 外を見る。曇っていた。通行人は寒そうにコートをかき寄せている。


「この季節に?」

「冬に食べるアイスこそ至高よ! それに、蜂蜜にチーズに餅の入ったアイス! どう考えてもおいしいに決まってるじゃない! ああ、カロリーの悪魔よ!」


 詰め込みすぎのような気がする。黄金と白銀とか、言い過ぎではないだろうか。


「キタァァァアー!」


 そして次の便の配送トラックが到着し、そのアイスが含まれているのを確認するや否や、ナゲノは狂喜して俺に指示した。


「早くっ、アイスケースの一番奥に詰めてくるッ!」

「食べないのか」

「アタシはね、カッチカチに固まったアイスにスプーンを突き立てるのが好きなのよ!」

「そうか」

「一番奥よ、奥!」


 名前の長いアイスをケースに押し込んでおく。


「ああ、早くカッチカチに冷えないかしらね?」

「そんなに楽しみなのか」

「ネットでも前評判が高いのよ? 黄金と白銀シリーズ」


 シリーズだったのか。


 ともかく機嫌がいいことはよいことだと、それ以上のツッコミはやめることにする。

 ナゲノはマスクの上からでも分かるぐらいニッコニコしており、訪れる客はテンションの高いナゲノに若干引き気味だった。


「ううう、売り切れちゃわないかしら?」


 そして黄金なんたらのアイスが売れるたびに動揺する。どうやらかなり人気があるらしく、この寒空の中、意外にもバンバン捌けていった。


「どうしよう、売り切れる!?」

「早く買えばいいじゃないか」

「ダメよ! まだ冷えてない……こうなったら少し見えづらい位置に……POPも……」


 商品を隠してどうするんだ、と思ったが、今のナゲノにそんなことを言っても無駄になりそうだった。


 ◇ ◇ ◇


 それから数時間、日もすっかり落ちて外も暗くなってきた頃。


「いらっしゃいませー! ──アッ」


 ナゲノが、入ってきた客を見て声を上げ、固まる。


「なんだ、どうした?」

「どうしたって、あれ、あれ!」


 ナゲノはささやき声でわめくという器用なことをやる。


「あれ! タイガ選手よ!」

「タイガ……?」


 客に顔を向ける──と、ナゲノが飛びかかってきて一緒にレジの机の下まで頭を下げさせられた。仕方ないので、そのまま観察の目を向ける。


 背の高い女だった。従姉と同じかもう少し高い。体格の差だろうか? しっかりした肉付きにも関わらずやや細身で、手足が長く見えた。ジャージを着て首にタオルを巻いているところを見るに、どうやら上のジムを利用しているらしい。

 財布を手に店内をウロウロする姿は──挙動不審だった。腰まで伸びた長い黒髪を何段かに分けて縛ってあり、それがキョロキョロするたびにヘビのようにくねる。


「アンタは知らないだろうけど、野球選手よ! プロの! 史上初の女子先発投手の!」


 いや、さすがに知っている。そこまで世事に疎くないぞ。

 ユニフォーム着てないから確信が持てないだけで、言われればなんとなく、たぶんタイガ選手だろう、うん。ネットで見た。


「今年は勝ち星に恵まれなかったけど、QS率も悪くないし間違いなくリーグを代表する投手で……って難しいか、とにかくスゴいのよ! あああ、色紙! 色紙置いてあったかしら!?」

「落ち着け、こっちをにらんできてるぞ」

「はう!?」


 すごい目つきだった。三白眼とはまさにこのことか。

 しばらくじっとにらんできた後、タイガ選手はナゲノに向かって歩き出し、レジの前で止まる。


「……ぁ」

「ああああああもうダメ限界!」

「は?」


 ナゲノは──顔を赤くして沈んだ。手で顔を隠して──チラチラと指の隙間からタイガ選手を見上げるだけで、息を荒げている。

 こうなっては対応不能だろう。俺はタイガ選手に向き直った。まだ何も商品は手にとっていないとなると、会計ではないな。


「お客様、どうなさいましたか」

「……ぉ……」


 タイガ選手は、キョドキョドと左右に視線を向けて──


「……ぉ……ぅ」


 大きな体に似合わない、小さな声で何かをもごもご言っている。


 ──待っていても、一向にそこから進まない。これはこちらから訊くしかないだろう。


「何かお探しですか」

「……ぃ……」


 こくり、と頷く。

 そうか、欲しいものが見つからないのか。ずいぶんキョロキョロしてたしな。


「プロテインを? それともドリンク?」


 首を横に振られる。ジム通いだからその辺かと思ったのだが……いや、そういえばアイスケースの方をよく見ていたな。

 アイス──アイス。


「『黄金はちみつと白銀クリームチーズのもっちり餅アイス』でしょうか?」

「……ぇ」


 頷いた。当たりか。

 しかし、売れていたからな……もう売り切れかもしれない。コラボ商品だからか入荷も少なかったし。


 いや、待てよ。


「少々お待ちください」


 レジを出てアイスケースに向かう。例のアイスを入れておいた場所は──空だ。

 だが俺は知っている。ナゲノがソワソワと何度もアイスケースに向かってはゴソゴソといじっていたのを。なので──


「こちらですね」


 売れないアイスの底に押し込まれていた最後の一個を引き出すことができた。やたら高級感の打ち出された限定のアイス。

 タイガ選手は、目を見開いて、コクコクと頷く。


「では会計を」


 さっさとレジを打つ。タイガ選手は財布をバリバリと音を立てて開けて、小銭を出そうとした。

 その時だった。


「あッ! こんなところに!」


 コンビニの扉が開き、悪鬼のような形相の女があらわれたのは。

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