アルバイトと判断

 こうしてニートを養うためのアルバイトが始まったが、仕事は順調だった。


 ……人間関係を除けば。


「なあ、ナゲノ。この伝票の扱いなんだが──」

「ナゲノさん、でしょ」

「なあ、ナゲノさん。この伝票の扱いなんだが、レジに通す時──」

「違うッ!」


 繰り出される腹部への打撃。


「ナゲノさん。悪いがから揚げを詰めてもらっていいか? 今、荷物の対応中で手が離せない」

「わかったわよ。けど──」

「すまないな」

「それが違うッ!」


 狭いレジの中で精密に繰り出されるローキック。


 ──なかなか、先輩からの指導は厳しい。


 とはいえ、仕事は順調だ。ビル内に入っているためか表通りからは人目につきづらいのだろう。駅前だというのに、利用客もそれほど多くはない。やるべき仕事はたくさんあるものの、その仕事を教わる時間は十分にあった。


 問題は人間関係だ。

 初対面以来、ナゲノは何かにつけては俺に打撃を加えてくる。今日もこんな感じだ。


「ねえ、アンタっていくつ?」

「高二だが」

「やっぱりね。そうだと思った。アタシは三年だから、アタシの方が年上よ!」

「──そうだったのか。初対面では同い年か年下かと」

「そうよ、わかった?」


 ナゲノは長い髪をかきあげて、フフンと得意げに笑う。

 笑った──のだと思う。いつもマスクをしているから半分は想像だが。

 しかし、年上だったとは。


「たしかに声を聴いた後は、年上かもしれないとは思っていたが」

「死ねェ!」

「ゴフッ」


 ナゲノは俺を殴り倒すと、ぜいぜい肩で息をしながらレジへと戻っていった。客が来たのだ。


「いらっしゃいませ。7番ですね。こちらでよろしいですか? タッチをお願いします」


 ──ううん。やはり年配の女性……ご近所のおばさん、といった声にしか聞こえんな……。


 ◇ ◇ ◇


 コンビニバイトを始めて数日。

 どうしても違和感が消えない。何に違和感を感じているのか、自分ではよく分からないのだが。


「ナゲノさん、聞きたいことがある」

「………」


 ナゲノはこちらを見るだけで何も言わない。


「作業中だったか? ならいいんだ、すまないな」

「いや……違うけど……ハァ、いいわよ。なんか怒るのがバカみたいだし。で、何?」

「ああ。この店の品揃えなんだが……ここだ、この棚」


 疑問に思っていたことから潰していこう。


「なんでプロテインがこんなにたくさん置いてあるんだ?」


 量どころか種類も豊富だった。しかもよく売れている。


「なんでって……アンタ、このビルがなんなのか知らないわけ?」

「ビル?」

「あきれた。周りぐらいちゃんと確認しなさいよね。あのね、このビルはまるまるひとつスポーツジムなの。二階から上は全部よ」

「そうだったのか……」


 全然ジムっぽくない名前だったから、何かの会社かと思っていた。


「では隣の店舗は? 受付がいるだけに見えるのだが」

「あそこはジムの受付よ。受付の中に入らないと上の階にはいけない仕組みなわけ。非常階段も必ず受付を通るルートになってるわよ」

「厳重だな」

「高級スポーツジムってやつよ。お金持ち向けの最新設備のジム」


 ナゲノは得意げだ──今日もマスクなので、表情の半分は想像だが。


「有名なスポーツ選手とかも来ることがあるのよ。このコンビニも利用しに来るんだから、うちのバイトには人柄や礼儀正しさが求められるわけ」


 なるほど。面接をした店舗ではなく、ここになったのはそういうことか。

 こちらとしては多少通うのに時間がかかっても、時給が上がるのでありがたいことだったが。


「なのに……なんでアンタみたいのが……ハァ」

「何か問題が?」

「別に、仕事の飲み込みは早いし、お客様の対応もできてるわよ……」

「そうか。ありがとう」


 どうやら褒められる仕事ぶりのようだ。

 ナゲノは頭がかゆいのか、バリバリとかきむしった。


 さて、店舗に関しては疑問はなくなった。だがまだ違和感は拭えないな。


「何よ? まだ何かあるの?」

「ナゲノさんは、なぜいつもマスクをしているんだ?」


 ナゲノは一瞬固まったあと──胸元に手をやって言った。


「ふふん。まあ、プロ意識ね。風邪で喉をやられるわけにはいかないのよ。そのためにも、うつされない努力は最大限するべきだわ」


 プロ──プロフェッショナルというと。


「ナゲノさんは高校生だよな?」

「そうよ、現役女子高校生よ」

「このコンビニバイト以外に、何か仕事をしているのか?」

「──してないけど」

「プロとは?」

「うるさいわね。仕事するわよ、仕事」


 ナゲノはレジのほうへ戻っていく。と、その時──俺はようやく違和感の正体に気づいた。


「わかった」

「何よ、急に」

「ナゲノさんの声だ。どこかで聞いたことがあると思うのだが」


 そう、聞き覚えがある。誰かに似てるとか……これまで会ったことのあるおばさんは……。


「そッ……そう!? よくある声じゃないかしら!?」

「確かに、よくあるといえばよくあるんだが──」


 しかし──


「女子高校生の発する声としては珍しいおばさん声だろう?」

「死ねェ!」

「グェッ」


 ナゲノの放った後ろ回し蹴りが、わき腹をえぐった。

 ──結局、この日は違和感の正体にまでたどりつくことはできなかった。

 吐いてたから。トイレで。人間って、いいところに当たると吐くんだな……。



 ◇ ◇ ◇



「これが生活費だ」

「ハハァ~! ありがとうございまする~!」


 十二月になり、初めての給料日を経て、ATMからお金を引きおろして。

 俺は封筒に入れたそれを、従姉に手渡した。


「ああ、生活費というか……ゲーム作りの分の金も含まれているというか」

「開発費兼、生活費?」

「そういうことになるな」

「倹約するね……!」


 一か月分の給料ではないから、あまり入ってはいないのだが──まあ来月には増えるからいいだろう。

 バイトはオーナーに無理を言って、平日放課後と土日のほとんどフルで入れてある。新しいパソコンを買って貯金は尽きたことだし……従姉の家財を揃えるまでは、ハードスケジュールで行かなければならない。冬休みも入る時間を増やして……懐に余裕ができたら、休みの日を設けるつもりではあるが。

 プログラミングができない以上、俺ができるゲーム作りへの協力は惜しんではならない。


「それで、進行の方はどうだ?」


 床に座って、ちゃぶ台に乗ったモニタを覗き込む。

 従姉も隣に座ると、マウスを操作した。新しいパソコンの動作は快適だ。


「順調かな? そろそろ球場に風を吹かせたりもできるかも」

「風か……ドラマ的にも重要な要素だな」


 高く上がって打ち取ったはずのフライが、スタンドへ。その逆にスタンドに入るはずの当たりが、風に押し戻されてアウトに。試合の最後にそんな展開が起きるのが、野球漫画のお約束だ。


「風が吹かないと、打球がいつも同じ結果に終わるからね。まだ打つ方には物理を適用してないんだけど……」

「投球にも風の影響があると聞くな」

「うん。でもまずは上空にだけ吹かせようかな。フライになったときだけ影響すれば事足りると思うし……」

「うん?」


 上空にだけ?


「低空……というか、選手たちのいる高度には吹かせないのか?」

「え、どうして?」

「いや、自分も風を受けていないと、どっちに流れるかわからないだろう?」

「それは……風速を計算して落下地点に誘導するから、大丈夫だよ?」


 従姉は首をかしげる。

 俺も首をかしげる。


「──待て待て。認識にズレがあるかもしれん。一度整理しよう」

「う、うん、そうだね」


 二人して深呼吸してから、俺は口を開いた。


「数十年と運営する、ユーザに観戦して応援してもらうための野球ゲームを作る。そのためには、たかがゲームと思われないよう、リアルにする必要がある」

「そして応援してもらうために、選手に個性と人間関係を作る──だったね」

「そうだ。……いや違うな。個性、だけじゃない。人間として確立させるんだ」

「直球勝負が好きとか、バントが嫌いとか、あの先輩と仲良くしたいとか」

「そういうのも大事なんだが──要するに、独立して考えてないとダメだと思う」


 そういうパラメータだけではなく。


「フライの処理にしてもだ。コンピュータが風速や飛距離の情報を元に落下地点を計算して、選手をそこに誘導するようにするのは、個性じゃない」


 パラメータを判断すること。


「選手が自分の目でボールを見て、体で風を感じて、それで落下地点を予測して移動していかないと、個性にはならないんじゃないか? リアルで参考にしたくなるプレーも、そういうところから生まれるんだろう」

「……つまり、選手は独自の思考を持って、自身で手に入る情報だけで予測して、行動する……ってこと?」

「そうそう」


 常々思っていたんだ。なんでパワプロの選手はオートだと落下地点まで正確に移動するのかと──そして自分の操作ではあらぬ方向に移動しているのかと。

 パワプロでエラーするときは捕球ミスしかありえないが、現実じゃ目測を誤ることだってある。


「珍プレー好プレーで見たことあるだろう? ボールを見失って右往左往する選手とか。ああいうのは、ボールがどこにあるか把握しているゲーム側じゃ起こらないアクシデントだ」


 むしろゲームでそんなプレーが出たら、コントローラを叩きつけてしまうだろう。


「そういうエラーから人間味を感じる事だってある。個性として必要な要素だと思う」

「……そういう、ことかぁ」


 従姉はこめかみを押さえる。


「考えが甘かったなあ……」

「……難しいのか?」

「……ううん。やろう。細かいことだけど、その方が面白そうだし──どちらにしろ関係性を作るうえで、個別のAIは必要だったし……」


 従姉はぐたり、と机に突っ伏した。そして横着にもそのまま俺の肩に頭を乗せて見上げてくる。


「同志は本気なんだね」

「何がだ?」

「本気で、本物みたいなゲームを作ろうとしているってこと。もう野球観戦ゲームというより、野球シミュレーションじゃないかなあ?」

「ジャンルはよくわからないが」


 ゲームは何でもありだと思っている。たとえ選手を操作できなくても、ゲームだと言って世に出せばゲームなのだ。


「ということは、当然、審判も作らないとだね」


 ──審判?


「球審と塁審がいて、判定をして──それがリアルだもんね」

「お、おう」


 いかん。考えてなかった。その辺はゲームだからきっちり判定したほうがいいかと思っていたんだが。しかし、言われてみれば。


「……その通りだ。野球漫画じゃ、ミットずらしとか、審判を騙すテクニックを描いていたりもする。現実でも誤審はあるし、審判が目で見て判定する形にしたほうが、ドラマの種になるだろう」

「うん、うん。この審判はストライクゾーンの判定が甘いぞ! とかね!」

「いざとなれば、きっちりビデオ判定と言う名のゲーム判定を持ち出せればいいだろう」

「ああ、監督の抗議! あるね、あるある!」

「独自の要素として、テニスで言うところのチャレンジを盛り込んだっていい。NPBのルールを踏襲する必要もないしな。監督に回数制限付きのチャレンジ権を与えるとか」

「独自の要素! そういうのもあるのか!」


 ――後で調べたら、NPBにはなかったがMLB、メジャーリーグにはチャレンジ制度があった。うん、焦って熟考もせず口からでまかせを言ってはいけないな。


「──あ、あと、ボール拾う人もいるね! そうだ、何かおかしいと思ってたんだよ。今ファールボールはがんばって選手に全部拾わせてたから。そうかー、球場の関係者は、全部作らないといけないんだ、リアルにするには……」


 ふう、と従姉はため息を吐く。


「同志の本気についていけてなかったよ……ダメだなあ。ゲーム的な考え方してた……」

「そんなことはないぞ」

「よし、これから本気出す!」


 ガッツポーズをとる従姉の腹が、ググゥ~、と鳴る。


「……なんか食べてから、本気出す……」


 すまない、従姉よ。

 倹約せず食べれるようになるまで辛抱してくれ。

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