バイトとおばさん

「バイトが決まらないんだ」


 ここに来るのも何度目か。

 十一月に入ったある日。俺は生徒指導室にいた。

 目的は二つ。実はうちの学校ではバイトをする前に担任から許可を得る必要があって──


「それで俺に相談に来たのか」

「許可のついでに」

「ついでかよ」


 そういうことであれば、ついでにライパチ先生に相談をしよう、という算段だった。

 何せ身近で社会経験があり、ツグ姉の事情を話さなくてもよい人、と考えると先生しかいないからな。


「しかし、ニートニート言ってたお前がバイトとはなあ。一体どういう風の吹き回しだ?」

「遊ぶ金欲しさに」


 さすがにニートを養うために、とは言えない。無難な回答をする。


「そこは多少オブラートに包め? な?」

「自由になる金を財布に入れたくて?」

「あー、無理するな。別に悪いことじゃない。その年だ、やっぱり遊ぶ金でいい──って、ガチャか? ガチャはいかんぞ?」


 何のことか──と、そうか、この間の進路調査票、『プロデューサー』で出したんだったな。


「ガチャではない」

「ならいいが。……で、バイトが決まらない? どういうことだ?」

「面接までは行くんだが……落とされるんだ」


 自分が人付き合いが苦手だとわかっていたのだが、予想以上だった。


「どうも対面して話をすると、相手が怒り出すんだが、なぜだろう?」

「──わからんのか」

「わからんな」


 ライパチ先生はこめかみを押さえて、ため息を吐いた。


「そうか、ちょっと面接をシミュレーションしてみような」

「助かる」


 ということで俺はいったん外に出る。扉をノック。


「どうぞ」


 扉を開けて中に入る。


「あぁ──まあ、座って」


 頷いて着席。


「えー、大鳥さんでしたね」

「ああ」

「シフトの希望はありますか?」

「学校の時間を除けば、いつでも大丈夫だ。むしろ、多く働かせてほしい」

「その理由は?」

「遊ぶ金欲しさに」


 ライパチ先生は頷いた。


「零点な」

「なん……だと」

「いや、なんだと、じゃねえよ。なんだよこれ。お前、マジでこんな面接やったのか?」

「そうだが」


 ライパチ先生は頭を抱える。どうやら何か致命的な発言をしたようだが。


「……自由になる金を財布に入れたくて」

「違う! そこじゃない! っつーか、全体的な話でな? なんでお前、敬語使わないんだ?」

「は?」


 敬語を?


「そうだよ、敬語だよ。お前、俺以外の先生にもそんな話し方してるんだろ? 生意気なやつがいるって、毎度俺が文句言われてるんだよ。まあ学校内だけならまだいいんだ。だが面接先でもやってるようじゃ重症だぞ。どうして敬語を使わない?」

「それは──」


 ざわっ、と。全身の毛が悪寒でうごめいて、パパッと脳裏にいくつかの場面が明滅した。

 暗い部屋、包装紙、ゴミ箱──背中……──ため息、見下ろす目……──


 不自然にならないよう目を閉じて、ごくりと息を飲み込む。場面を追い払う。もう関係のないことだ。うまく説明を──と言葉を探していると。


「ああ、いい、いいんだ。使わない理由は説明しなくて。そこを正そうとは思わん」


 ライパチ先生はあっさり手を振って、その話題を流した。


「──いい、のか?」

「敬語が嫌いだってヤツはいるからな。世の中にはいろんな人間がいて、いろんな理由がある。そういうやつらのポリシーを叩いて曲げようとか、そんな面倒くせえことは考えちゃいないさ」

「………」

「ほんと面倒くせえぞ? しかも、大抵は曲がんねーからな。労力に見合わんことはヤメだヤメ」

「……教師らしくないと注意されないのか?」

「されるが、そういうやつらは学校卒業後にすぐ教師になったやつだからな。俺とは人種が違うんだよ。その場で話は聞くが、無視だ無視」


 ライパチ先生は続ける。


「俺からできるアドバイスはな。武器として使ってみろよ、ってことだ」

「武器? 敬語が?」

「おう。強いぞ。礼儀正しく見られて好感触、心象は間違いなく向上。そのわりに労力は少ない。使わない理由がない武器だな。なーに、相手が勝手に勘違いしてくれるだけだ。こっちが本当はどう考えていようとな、言葉を飾るだけで騙せちまう」

「騙す……」

「バイト先の店長なんか、長い付き合いにならんだろ? 一期一会の相手こそ、敬語を使って損は無いと思うぞ。どうせ相手だって忘れるさ、次の人員が待ってるわけだしな。心なんてこもってなくていいんだ、それらしく聞こえりゃ、それでいい」


 ざっくばらんなライパチ先生の言葉は、今まで誰からも聞かされたことのない解釈だった。


「……なるほど」

「もちろん、言われたからって使わなくてもいいんだぞ。そういうざっくばらんな態度が好きなやつだっているだろう。ま、出会う確率は低いがな──お前、今の友達ほんと大事にしろよな?」

「はあ……」


 友達と呼べるような男はいないのだが。

 というか、出会う確率と言われると、この棚田高校ではそもそも男子の割合が低すぎる。よそからは女子高だと思ってた、と言われるレベルなのだ。創立以来ずっと男女共学のくせにだ。そんな環境で友達を作るなんて奇跡に等しいだろう。


 しかし、さすがはライパチ先生だ。寄り添い型教師と呼ばれ、生徒からの人気も高いだけある。

 敬語を武器とは……考えてもみなかった。


 俺の中で暗いイメージの中に放り込まれていた『敬語』の中に、『武器』という言葉は大きく突き刺さった。


「……ありがとうございます」

「お? お、おう」

「さすがは来城先生。感服しました。今後ともご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いしま」

「うわっ、気持ち悪ッ!」


 ………。


「あー、ないわ。お前の敬語気持ち悪い。あれだな、普段が尊大な感じだから、一切信用できないわ。いまさら敬語にされても気持ち悪いから元に戻していいぞ」

「………」

「ま、初対面の人間は騙せるんじゃないか? バイト決まったらちゃんと書類出せよ、ハンコ押さないといけないんだから」


 そう言って、ライパチ先生は出て行った。

 俺は、しばらく考える。


 ──敬語を──武器をもっと磨いたら、ライパチ先生をぶちのめせないものか、と。



 ◇ ◇ ◇



「ツグ姉、バイトが決まったぞ」


 というか一発だった。敬語の威力は半端なかった。


「おお、おめでとう!」


 そんなわけで、俺は久しぶりに従姉のアパートを訪れていた。

 途中のスーパーで買った食材を袋の中から取り出す。


「しばらくパスタソース生活で悪かったな」

「ぱ、パスタ好きだし、大丈夫だよ」


 俺の収入がないので生活費は切り詰めてもらっていたのだ。

 大量に買った乾麺のパスタは、まだまだ残っている。

 本当は米の方がいいと思うのだが──炊飯器がない。その点、鍋があればなんとかなるパスタは優秀だ。


「今日は俺が夕食を作ろう」

「ええ、本当!? いいの!? 何!?」

「ペペロンチーノだ。レシピは覚えた。市販のパスタソースではなく、今日は手作りソースにしようじゃないか」

「あ、うん……パスタだね」

「ああ、パスタだ」


 冷蔵庫もないから、買って来た食材は使い切らないとな。


 ──というわけであっさりと夕食が終わる。


「そっちの作業のほうは順調か?」

「ああ、ううんと、そ、そうだね……」


 歯切れが悪く、目を反らされる。これは良くない。


「何か問題があるんだな? 言ってくれ」

「あのね……あの、パソコンなんだけど。今、ここにあるのってノートしかなくて」


 喧嘩して逃げ出してきたのだから、従姉はほとんど荷物を持ってきていなかった。

 ノートパソコンと多少の衣類だけというのが、またなんとも女子力の低いことだ。


「これでビルドするの遅くて……正直、進みは良くないかな」

「──スペック不足だということか」


 ビルドがなんのことかよく分からないが、そういうことなのだろう。

 ゲーム開発とか、すごいでかいマシンでやってるイメージあるしな。


「うん。でも家には取りにいけないし、送ってもらうわけにも」

「ダメか」

「連れ戻されちゃうと思うし……」


 連れ戻されても問題ないような気もするが、帰りたくないと主張しているのだから仕方ない。


「なら、買うしかないな。いくらぐらいのが必要なんだ?」

「えーとね、これ」


 ノートパソコンの画面を見せられる。通販サイトが映っていた。

 ──なるほどいい値段をしている。想像の二倍ぐらいだ。


「……ないと、進行に差しさわりがある、か?」

「今このノートでビルドすると、近所を散歩しても終わらないんだよね。これぐらいスペックあれば、すぐ終わるんだけど」

「わかった」


 決断しよう。


「今すぐ買おう」

「ふぇっ……?」

「今すぐだ。俺の貯金を使おう」


 ほぼ全額に近いが、仕方ない。


「……バイトが決まったんだ、先に大きな出費をしてもいいだろう」


 従姉の作業ペースを落としてまでお金を節約しても意味がないからな。作業期間が延びれば、結局生活費が増えていくことになるわけだし。


「じゃあ注文しちゃうね」

「ああ。……そういえば他にはないのか? ベッドとか、買わなくても?」

「ニシンちゃんからもらった寝袋、寝やすいから大丈夫。ちゃぶ台はコタツにもなるやつだし」


 そうか。正確にはそれは、ニシンの親父さんの寝袋なのだが。まあいいか。


「そ……それとも、ベッドあった方がいいかな?」

「なんで俺に聞くんだ」

「そ、それはその、デュヘ」


 そして何を照れているのだ。


「とと、とにかく、不便はしてないので、同志は無理しないでね!」


 とはいえ、栄養が偏れば短期的には問題なくても、長期的には病気に繋がるという。しっかり体を休めなければ、小さな疲労が重なって風邪をひくだろう。

 ある程度は生活面も充実させなければなるまい。

 ──死なない程度には。



 ◇ ◇ ◇



 怪奇現象に遭遇していた。

 俺は神様なんて信じないし、幽霊も否定してこれまで生きてきた。

 だが、今まさに不思議な現象に立ち会って、その認識が揺らいでいる。


 場所はバイト先のコンビニのバックヤード。

 面接を受けたのは学校から近いコンビニだったのだが、どういうわけかオーナーに気に入られ、駅前の大きなビルの中に入っているコンビニへの配属となった。敬語はすごいな。

 それで、今日は初日ということで、仕事を教えてくれる先輩との顔合わせなのだが──


「こちらが、君の指導をするナゲノさん。しばらくは一緒のシフトに入ってもらうから」


 オーナーが紹介したのは、同い年か年下ぐらいの女子。

 風邪でもひいているのだろうかマスクをしているが、年を読み間違えることはないだろう。

 俺は頭を下げた──その時だ。


「よろしくお願いするわね」


 どこからともなく、年配の女性の声がした。

 顔を上げて辺りを見回す──だが、それらしき人物は誰もいない。

 ここには、人当たりのいい中年男性のオーナーと、女子高校生しかいない。


「どこを見ているの?」


 背後にいるパターンか!? 振り返る──だが誰もいない。


 オーナーと、女子高校生──ナゲノを見る。だが、二人とも俺に対して驚いているようだ。

 つまり──二人には、この声が聞こえていない?


 ゾッとした。


 今までの常識が崩れ去る。怪奇現象を目の当たりにするとは、思ってもいなかった。

 いや、しかし、非日常というのは突然現れるものなのかもしれない。

 心構えなんか、ちっともできていない時に──


「あの、オーナー」

「なにかな?」

「こ……このコンビニに、幽霊が出るということは……?」


 オーナーとナゲノは顔を見合わせる。


「いや……聞いたことないね。そもそも、この店舗はビルが閉まる時間に合わせて閉店だから、深夜に残ることもないし。そういう話とは無縁だと思うよ」

「ええ、私も聞いたことはないですね」


 まただ。血の気がさっと引くのがわかった。


「今! 今声が聞こえただろう!?」

「声?」


 オーナーは首をかしげる。


「そうだ! さっきもオーナーの言葉に答えるかのように、辛気臭いおばさんの声が──」

「それは──」


 ナゲノが一歩足を踏み出す。にこりと、こちらを安心させるような笑顔を浮かべて。


「アタシの声だこのうすらトンカチがァーッ!」

「ゴフッ!?」


 体重を乗せた重いパンチ。胃がひっくり返るかのような衝撃に、俺は悶絶し、床に倒れた。


「初対面からッ! いい度胸じゃないの! このッ! ドグサレがぁーッ!」

「グッ、ガッ、ギッ、ォゲッ」


 全体重を乗せたストンピングを胸部に繰り返される。まともに呼吸できない。


 死ぬ。


 オーナーに助けを……。


「じゃあ、僕はね、他の店舗見てこないといけないから。あとはよろしく」


 ──逃げられ、た。

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