新居と扶養
新居はワンルームのアパート。
風呂トイレ別。コンロは二口。コンビニまで徒歩十分。駅まで徒歩バス二十分。
「うぅ~……広くて落ち着かない」
「荷物が入ってないからな」
部屋の真ん中で縮こまる従姉に、俺は当然のことを指摘した。荷物がないうちはワンルームだって広いのだ。
──従姉が来てから約一週間。
家出したからもう帰れないとのたまう引きこもりを、カナに頭を下げて預かってもらい。
これまたカナの両親に頭を下げて手伝ってもらって、なんとか契約、入居にこぎつけて。
従姉は──上京した。結果的に。
最初は俺の部屋に住む、とかなんとか言っていたが、一発で両親に通報が行くのは明らか。
おっかなびっくりの引きこもりをカナの家へ連れて行き、居候させてやって──ようやく今日、独立したというわけだ。いや超特急手続きなのは分かっているのだが、長かった。
「いろいろ手間をかけたな、カナ」
「いいよ、なんだか懐かしかったし」
お下げの幼馴染は、ニコニコと笑う。
「うぉーい! そんなのいいから、早くどいてって!」
ツインテールの幼馴染は、怒鳴っていた。ちゃぶ台を抱えて立ち往生している。降ろせばいいのに。というか、従姉が家財道具を持っていないからって余りモノを持ってこなくてもよかっただろうに。
「引っ越し祝いするのに、床で飲み食いしちゃ寂しいでしょが」
「ああ、わかったわかった。こっちによこしてくれ、ほら」
部屋の真ん中にちゃぶ台を置く。うむ、ちゃぶ台と四人、これだけでもワンルームは圧迫感があるな。
「ツグさん、スーツケースはここですか?」
「ツグネー、トイレ借りていい?」
「あ、う、うん」
しかし、仲良くなったものだ。いちおう女子同士だからだろうか?
こうして引っ越し祝いまでしようというのだから、お人よしなものだ。……助かるが。
「ああぁ、いいよ、スーツケースは後で自分で……」
「そうですか?」
「よーし、初トイレゲットー! イェーイ、ほらほら消毒済みって書いてある紙~!」
ニシンよ、少し落ち着け。
──というわけで。
地味に時間のかかる距離にあるコンビニで買出しをして、ささやかな引っ越し祝いが行われた。
「ツグネーっておっきいよねぇ! 何かスポーツやってるの?」
「私より背、高いですよね?」
「へ、へへぇ……いやその、何もしてないよ。誘われはしたけど……」
「引きこもりだものな」
「こらーユウ、しつこいぞ? ツグネーは立派に独立したんじゃん!」
……従姉は、引きこもりをやめて独立しに上京したのだと、そう説明してある。
まさか半分追い出された形での家出とはさすがに言えない。
『引っ越しおめでとう』ではなく『独立おめでとう』成分が強くなったパーティは、少し気まずいものがあった。
◇ ◇ ◇
夜。ニシンとカナが帰ってから、ミーティングが始まった。
「考えようによっては、よかったよね」
従姉は、ウンウンと頷く。
「ネット越しの打ち合わせはなんかさびしかったし。これなら、毎日顔を合わせて」
「毎日なんて来たらバレるだろう」
「あれっ……じゃ、じゃあ週末は」
「急に生活サイクル変えたら怪しまれるだろう。たまには来るが、基本はネットで打ち合わせだ」
「そだね……はい」
従姉は猫背になりながら、スーツケースからノートパソコンを取り出した。
「同志が連絡くれるまで、わたしの方でもいろいろ考えてて」
ゲームを起動し、こちらに見せてくる。
スタジアムで野球をする選手たち。
「……グラフィックは変わらないな」
「そこは、まだ試作だからね。……気付かない?」
「うーむ」
視点をいくつか変えてみる。
「なんとなくだが……ボールの動きが、違うな」
「ぉぉ……」
「違ったか?」
「ううん、正解だよ」
そうか、よかった、的外れだったら恥ずかしかったぞ。
この間まで、ボールはきれいな放物線を描いていた。それが後半になってブレーキがかかるような、ふわっとするような……そう、空気の存在を感じる。
「物理エンジンを変えたの」
「物理エンジンっていうと……なんか変な挙動するやつ。ぐんにょりしたり」
「ラグドールはまた別で……ええと、ゲーム上で現実世界の物理法則を再現するものだよ。現実を完璧に再現しようとしたらものすごい計算が必要になるから、影響力が小さいものは省略されたりしてるのね」
物理か。物理、苦手なんだよな。
「ただし空気抵抗は無視する、みたいな?」
「うん、そんなかんじ。計算するのは重力、質量、加速度、慣性、衝突、摩擦……」
「摩擦?」
「坂道に物を置いた時、摩擦を考慮しないとなんでもすべっていっちゃう」
「なるほど」
昔のゲームでそういう動きしているのを見たことがある。摩擦が省かれていたということか。
「リアルじゃないとだめって言ったでしょう?」
「言ったな」
「だから、空気……気流……流体。普通は計算が重くなってしまうから処理しない、ボールに影響するさまざまなことを入れたエンジンを作ったの」
作ったのか。……作ったのか。うん?
「自作したのか? それってすごいことじゃないか?」
「ええと、大学の知り合いでこういう研究している人がいたから、連絡を取って論文を教えてもらったりして、それを参考に作っただけで……正確には既存のの改良というか……そ、そんなに……」
謙遜しているが、すごいことのような気がする。この引きこもり、もしかしてただものじゃないのでは。
「既存のエンジンだと、やっぱり変化球の再現って難しくて」
「ああ。今ある野球ゲームだと、あらかじめ決まった軌道を動くようになってるような気がするな、素人目にも。そこは人間が操作するために簡略化しているのもあるとは思うが」
「うん。でも、これがちゃんと完成すれば」
従姉はデュフッ、と唇をゆがめる。
「ナックルの完全な再現だって──ううん、なんか新しい変化球だって、生まれるかもしれないよ!」
◇ ◇ ◇
「ただ、今やってる計算をさらに正確にしようとすると、やっぱり処理が重くて」
従姉はゲーム画面を見ながら口をへの字に曲げる。
「ノートでギリギリ動いてるけど、どうしよう。他にもやらないといけないことあるから……やっぱりいくらか嘘を書かないといけなくなるかなあ? あ、嘘というか、簡略化ってことなんだけど」
「考えてるところ悪いんだが──なんか熱くないか?」
「えっ、ぬ、脱ぐ!?」
「いや、俺じゃなくて」
「わたしっ!?」
違う。
「パソコンがだよ」
「えっ……うわほんとだ、あつっ、あわわ」
従姉はあわててゲームを終了し、ノートパソコンを素手で扇いだ。
「無理があったか?」
「うーん、古いヤツだし、エンジンも最適化がぜんぜんできてないから……大丈夫、そのうちサクサク動くようになるよ! ──たぶん」
そのうちか。
「どれぐらいかかる?」
「たぶんだけど半年ぐらい、かなあ。でも選手に関係性を作る、とかその辺りは……まだわからないし、これから先も新しく決まる仕様があるかもだし……いつ完成とはちょっと……」
半年。
長いのか短いのか分からないが──ううむ。
「あ……あの、やっぱり、時間、かかりすぎかな? ご、ごめんね……」
「謝ることじゃない。俺にはプログラムのことはさっぱりだが……あれは何行も何文字も書いていくものなんだろう? 夏休みの読書感想文で400文字の原稿用紙を一行埋めるのにだって相当な苦労がかかるんだ。プログラムはもっと難しくて、もっと量が必要。時間がかかるのは仕方がない」
ただ、問題がないわけではない。
「……ツグ姉、ひとつ聞きたいんだが」
「なに?」
「一人暮らし、できるか?」
「え? ──ああっ、バカにしてる? ねえ?」
「いや、現役で引きこもりニートだろう?」
「うぅ……そ、そうだけど」
従姉はごしごしと目をこすると、胸を張って言った。
「大学時代は、一人暮らししてたんだからね。自炊だって」
「学費と生活費は?」
「そ、それは……仕送りで……」
バイトはしていない、と。
「……わかった」
俺は決意した。
「バイトしよう」
「ええっ、む、むりむり……!」
「ダメだ。せめてここの家賃と生活費は稼がないといかん」
首を振る従姉に言い聞かせる。
「時間との勝負だろう、ツグ姉。蓄えがなくなればゲーム作りは終わりになってしまう」
「そうだけど……」
「これから何十年と運営していくゲームなんだ。作るのに時間がかかるのは仕方ない。だが、出来上がる前に終わるのだけはダメだ。だから」
そう、だからこそ。
「俺がバイトするしかない」
「──えっ?」
「ツグ姉の時間は貴重だ。俺は今のところアイディアを出すことしかできないが、ツグ姉は手を動かしてプログラムを書く。その時間を生活費を稼ぐために使うなんて愚策だ。なら──俺がゲームが完成するまでの資金を調達するしかない」
従姉は作業時間ができ、俺は『資金難による中止』を先延ばしにすることができる。
いや、もはや『中止』なんてレベルじゃないな。将来を賭けるんだ。中止は『死』に等しい。
「つっ……つまり、同志に養われるってこと……?」
「そうなるな」
やれやれ。ニート候補生が現役ニートを養うことになるとは。
「稼ぎは少ないだろうから、節約してもらうことにはなるが」
「う、ううん、大丈夫だよ! 貧乏でも幸せにはなれるから!」
そうだな。働かずに食う飯だものな、幸せだな。
うん? 待てよ、しかし従姉はプログラムを書くわけで、それは将来の収入源で、そうなるとつまり仕事をしていることになるのだろうか。
──なんか釈然としないから、収入が入るまではニートでいいな、うん。
「じゃ、じゃあ今日はもう遅いし──泊まっていく?」
「外泊したら親にバレるだろう」
帰れない距離でもないし。第一、寝具がない。寝袋はニシンからもらったようだが。
さすがに家財道具はある程度そろえる必要があるか──ますます、バイトの必要性が高まる。
「帰る。バイトも探さないといけないしな」
「アッハイ──お、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
もう寝るのか。まあ引っ越し初日だし、騒いだから疲れているだろう。
そう理解して、俺はさっさとアパートから退散した。
──さて、バイトってどう探したらいいんだろう?
◇ ◇ ◇
ティガカスがぁ……クソォ……。
とゲーム画面に呪いを送りながら、隣の画面ではバイトを探す日々が続いている。
プニキはラスボスまでたどり着いたのだが、これまた難易度が鬼畜生で詰まっていた。
「あー……ダメだ」
何度目かになるノルマ未達成に心を折られ、俺はついにブラウザの検索欄に「プニキ ティガカス プレイ動画」と入力した。
すると──世の中には奇特な連中がいるものだ。ぼろぼろと動画が出てくる。
特にニコニコ動画での人気が圧倒的だった。同じゲームだというのに、いったい何百本動画が作られているというのか。
──いや、考えようによっては。
俺たちが作るものも野球ゲーム。プニキも野球ゲーム。
こんな野球ゲームの動画がこんなに作られている……なるほどやはり、野球は受け入れられる土壌が広いのだ、と考えられる。
……うむ、そうとでも思っていなければやってられない。
適当に、コレにしよう。「男でもBBAでもないけどティガカスに挑んでみる」。投稿者名は「ふれいむ☆」。名づけのセンスのなさのせいか、再生数少ないな。まあいいのだ。動画は見ない。
後ろで開いて音声だけ流して──怨嗟の声が聞きたい。
『クッソ! 今の当たったでしょうが! この縞模様がッ!』
「うんうん」
出だしからすばらしい。それに声もいい。なんというか安心できる『おばさん』声だ。女なのにキンキンしてないし、キャピキャピもしていない。従姉とはまた違う落ち着きだ。
『ああ゛~!? 今振ったでしょ! ミートしたってぇの!』
「うんうん」
数少ないコメントには「BBA無理すんな」「BBA歳を考えて」「おっさん声変わりした?」などと書き込まれていた。
本人も動画の説明欄で「何度も言うけど主は女子だしBBAじゃありません」と自虐している。そういう芸風なのだろう。
コメント数は人気の証。いい悲鳴を聞いたお礼に、俺はコメントを追加した。
「『ティガカスは難しいよな。俺も挑戦中だけどこの動画が励みになったよ。お互いがんばろうな、おばさん』……っと」
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