後輩と進路調査票

 あんのオウカスふざけるなよ。


 ──あれから数週間が経過し、十月。

 中間テストに臨みながらも、俺はプニキに登場する対戦投手への恨みをつぶやかざるを得なかった。


 誰だ、あんなゲームを推したやつ。

 誰だ、陽気なBGMで癒されるゲームだと勘違いしたやつ。


 プニキは後半に行くにしたがってとんでもない難易度になり、癒しを求めてのプレイではなく、もはや殺し殺されにいくようなプレイになっていた。

 絵面が簡単そうに見えるだけに、ムキになってやめることができない。


 そんなわけで──ゲーム作りのほうも、進捗はなかった。


 「次回は俺から連絡する」と啖呵を切ってしまったせいで、従姉にはあれから連絡していない。

 いや、アイディアを出せばいいのだが。出ないのだな、これが。


 だいたいオウカスが悪いのだ……森の動物たちが苛烈な球を投げるから……。


 いかん、泣きたくなってきた。気分転換をしよう。


 ということで、俺は人気の少ない部室棟にやってきたのだ。


 『一応』進学校なのだが部活は充実しており、こうして部室として割り当てられている専用の校舎まである。それなのに人の姿が見当たらないのは──テスト前期間なので活動を自粛するよう通達されているからだ。


 禁止ではなく、自粛なので、使用してもよろしい。


 というわけでマンガ部の部室にやってきた。

 俺はニート予備軍ではあるが、帰宅部ではない。こうして部室の鍵だって持っている。

 というわけで鍵を開けて──先客がいたようだ。中に入る。


「おッ、先輩、久しぶりッス」

「やっぱりお前か、ずーみー」


 びっしりマンガで埋まった棚が四方から圧迫してくる乱雑な部屋の中。

 ずーみーは部屋の真ん中にあるコタツ机を一人で占領して、タブレット端末にペンを走らせていた。


「いつもながら小さいな」


 対象物のせいもあるかもしれないが、ずーみーは小さい。ニシンより小さい。

 でかい丸眼鏡は顔の半分を占めているし、服はだぼだぼだし、髪はぼさぼさで頭の輪郭が見えない。──腕まくりしてペンを使うぐらいなら、きっちりした服を着ればいいと思うのだが。


「一気に成長する予定ッスから。背も胸も」

「それは楽しみだ」


 いつその予定が来るのかは聞かないでおこう。

 適当にマンガを取り、邪魔にならないよう少し離れて座る。今日は少し肌寒い。コタツ布団が通年かけっぱなしなのはありがたかった。


「最近来なかったッスけど、どうしたんスか? 先輩が来てくれないと一人でさびしいんスけど」

「集中できていいだろう?」

「それはーそうなんスけどー、限度ってモノがあるッスよ」

「幽霊部員は幽霊部員らしく存在感を消しておくから、存分に描いてくれ」

「うおー、まさかの構わない宣言!?」


 そりゃだって、本当に俺は幽霊部員なのだ。マンガを消費する側であって、生産する側ではない。

 マンガ部が廃部になった場合、部室を片付けなければいけないのだが、そうすると資産関係やら廃棄やらが面倒なことになるらしい。それを避けたいからと、先生方に頼まれて所属したにすぎないのだ。

 純粋にマンガを描きたいからと──生産したいからと入部した貴重な一年生の邪魔をするわけにはいかない。


「せめて、テスト後の文化祭の展示ぐらいは手伝ってくださいよー」

「もちろん、それぐらいはするさ」


 幽霊でも部員だしな。


「印刷か? 製本か? 言われればなんでもやってやるぞ」

「今なんでもって言った!?」

「常識の範疇を超えて、俺にやらせたいことがあるとは知らなかったな。言ってみろ」

「怒らないでくださいよー……例の展示の手伝いを頼みたいだけッス」

「ああ……例の、というと、アレか?」


 こんな幽霊しかいないようなマンガ部が存続している理由の一つとして、偉大な先輩がいる。

 棚田高校マンガ部の先輩の一人は、今や超絶売れっ子のマンガレジェンドなのだ。

 で、文化祭ではレジェンドが残した原画やらイラストやらを発掘・展示してお茶を濁しているのが常のマンガ部である。


「今年は、ずーみーが活動してるんだから、その活動の展示でいいだろう?」

「あー、先輩は分かってないッスねえ。レジェンドの展示、めっちゃ人気なんですよ。それこそ、地方からわざわざお客さんが来るぐらい。ていうか自分も去年はそれ目当てでしたし」


 そうだったのか。やけに人の入りがいいなと、受付をして思っていたのだが。


「それが今年はイチ女子高生のへっぽこ展示、ってなったら暴動起きますよ」

「文化祭だぞ。それが普通なんだと思うが」

「ダメッスよ──それに、自分はそんなに才能ないしィ~」


 ごろごろジタバタ、とずーみーは暴れた挙句、スッと立ち上がって移動すると、タブレットを持ったまま俺の膝の上にすっぽり収まった。うむ、小さい。


「いつもながらうまいじゃないか」


 タブレットで描かれている絵は、素人目に見ても上手い。これで才能がないなど言ったら暴動が起きる。


「ケモノ愛に溢れていると思うぞ」


 動物の擬人化──通称ケモノと呼ばれるジャンルだ。イキイキと絡んでいた。R-18だな、うん。


「へっへっへ……へぇ……はぁ。イラストの方はマシになったとは思うんスけどね」


 ずーみーは肩を落とす。


「ストーリーがさっぱり。コマ割りとかも全然できないし」


 まるで描けない身からすると贅沢な悩みに聞こえるが、本人は真剣だし、他人がうらやむ話でもない。


「そればっかりは応援してやることぐらいしかできないな」

「おー、じゃあ、話を聞かせてくださいよー。最近来なかったの、なんか理由あるんじゃないスか? ストーリーの参考にするんで」

「理由はあるが──特に面白い話でもないぞ」

「またまた」


 ずーみーはこちらを振り仰ぎ、眼鏡の奥からニヤリとにらみつけてくる。


「カワイイ幼馴染を二人もはべらせて野球場デートしてた、ってウワサになってるんスよ? ──聞かせてもらいますからね!」


 ◇ ◇ ◇


「ゲームを作る! はぇー……デカい話ッスねえ」

「そうか?」


 相変わらず俺の膝の中に納まりながら、ずーみーはタブレットで絵を描いている。

 事情をあらかた話したところで出てきた感想に、俺は首をひねった。


「そッスよぉ。マンガは話と絵でできますけど、ゲームは他にもいろいろあるでしょう」

「ふむ──言われてみれば、確かに」


 最近のゲームのスタッフロールは、やたら長くなっているしな。

 プログラムと、グラフィックと、サウンドと──うむ、思いつくだけでも人手が足りてない気がするな。プログラマーしかいないし。どうしたらいいんだ?

 金か。金を払って雇うのか? しかし金はない。俺は高校生だし、従姉も蓄えが残り少ないニートだ。蓄えイコール寿命のニートに金を出させるのは、なかなかツラいものがある。


 従姉はどう考えていたのだろうか? 何か打開策が?

 LINEを使えばすぐ答えは聞けるが──今連絡するのは気まずい。


「悩んでます?」

「悩んでいる」

「珍しいッスねえ」

「そうか?」


 一般的な程度には、悩める男子高校生のつもりなのだが。


「真剣に悩んでるトコは、初めて見たッスよ?」


 それはそうだ。


「一人のニート候補が更正するかどうかの瀬戸際だからな。真剣にもなる」


 うまくいかなければ引きこもり開発者が引きこもり大卒ニートに逆戻りだからな。

 従姉には、なんとしてでも稼いで自活してもらわねば──


「本気なんスね」

「ああ」

「すごいッス、自分の将来にそこまで真剣になれるって」

「ああ──うん?」


 自分の?


「自分は、まだ迷ってるっていうか、この環境で満足しちゃいそうっていうか……」

「ちょっと待ってくれ。誰が何に本気だって?」

「え? いや、先輩の将来に先輩が本気なんでしょう?」


 いや。

 いやいや。

 確かに──そう、確かに、俺もニート候補ではある。

 だが、ゲーム作りは従姉から言い出したことで、チームとはいえ俺はその手伝いで──


「照れないでくださいよ。本気はいいことッスよ。手抜きだとどうしても見抜かれますからね」


 ………。


「いやー、さすが先輩だなー、あこがれちゃうなー」

「それほどでもない」

「ジュースおごってくださいよ、甘いやつ」

「よし」


 作業に励む後輩のため、俺は立ち上がった。

 コーヒー……ブラックを買ってやろう。


 ◇ ◇ ◇


 中間試験が終われば、文化祭である。私立棚田高等学校のそれは、ライテラ祭と呼ばれている。

 棚田=ライステラス=ライテラ祭、とのことだ。まあ、棚田祭、だと本当に農業高校みたいだし、かっこつけるのは仕方ないな。


 いまだにモヤモヤ悩み、プニキはオウカスにボッコボコにされていた俺は、試験は当然捗らなかった。終わったことは仕方ない、ともなかなか切り替えられず、クラスの出し物の手伝いも、マンガ部の展示の手伝いも上の空だった。

 文化祭当日も、とりあえず女子野球部に顔を出して、マンガ部の受付をして終わり。


 ──気の抜けた俺を現実に引き戻したのは、ライパチ先生のしかめっつらだった。


「聞いてるか?」

「はあ」


 生徒指導室で、ライパチ先生が突き出してきたのは、何も書かれていない進路調査票。はて?


「お前な、さすがに名前は書いて出せよ?」

「あ、俺のか」

「お前のだよ! 白紙は一枚だけだったからお前のだよ!?」


 そういえば文化祭が終わると、水を差すように進路調査票の提出があるのだった。

 何度もしつこいと思うのだが、その辺は進学校ならではなのだろう。


「あのな、お前な? 前回言っただろう? ウソでもいいからまともなこと書いておけって」

「言ったな」

「いやいやじゃあこれは何だよ? 白紙だよ?」


 ボーッとしててうっかり何も書かずに出してしまったようだ。


「あのな、別にこれ一枚でどうにかなるようなものじゃない。あくまで生徒が今、どういう方向を目指そうとしているのか? という調査だからな。いわば自覚を促しているんだ。悩んでいるなら、それでいいんだ。そこを指導するのが担任だし」

「ああ、悩んでる」

「白紙はァァー! 反抗的って受け取られるんだよぉー!」


 バンバンバン。ガクッ。ライパチ先生は机を叩き、突っ伏す。


「前回のに加えて、今回のコレ。他の先生方を抑えるのに、俺がどれだけな? お前を庇ったことか」

「すまない」

「ハァー……あいつらも、なんでこんなのがいいのかねぇ……」


 何のことだ?


「ともかく、なんだ、本当に悩んでたのか。確かにここ最近上の空だったな。どれ、言ってみろ」

「いや、大したことでは……」

「俺もな、今日まともな調査票が出てこなかったら、さすがに親御さんに相談せざるをえない」


 ──それは、困る。


「……ライパチ先生は、進路で迷ったことは?」

「お? おお、俺か。参考にしたいのか?」

「身近な大人だしな。どうして教師になったのか、興味はある」

「別になりたかったわけじゃないし、お前の年頃で教師になろうと思ってたわけじゃないぞ」


 意外だ。今時珍しい寄り添い型教師で、生徒からの評判も悪くないというのに。

 てっきり、昔から教員になるのだと張り切っていたのかと思ったが。


「お前の年頃までは、プロ野球選手になりたかった」

「ライパチなのに」

「うるせえ。ライトゴロ決めたことだってあるんだぞ。ともかくな、甲子園に出場したかったし、プロになりたかった。普通の男の子の夢だろう?」


 いい年したおじさんが男の子というのはちょっと。


「だがな、甲子園には行けなかったし、スカウトから声もかからなかった。ドラフトの日は電話の前でソワソワしていたが、もちろんかかってこなかった」

「ええ……」

「引くなよ。高校球児ならそんなもんだって! 普通!」


 ソワソワしているライパチ先生を想像すると、ちょっと面白いな。


「スポーツ推薦ももらえなかったから、そこから必死に勉強して地元の大学に入った。さすがに高卒はいろいろ厳しい時代だったからな」

「野球は?」

「大学の野球部で続けたよ。ま、そのころにはさすがに自分の実力に見切りはついたな」


 いや遅かったのでは。


「じゃあ、その後は教師に」

「いんや。卒業後は就職して営業をやってた。コネ入社だがな」

「なんだと……」


 ライパチ先生が、会社勤めを?


「五年か、六年か? それぐらい勤めたあと、部長から野球部の顧問を探している学校があると聞かされてな」

「ああ、それで、教師に」

「いや、最初は断ったんだが、部長がいいから転職しておけとな、無理矢理」

「無理矢理」

「当時は保険のつもりで教職員免許を取ってたのが仇になったかと思ったんだが、その後会社潰れたしな……今思えば、部長は沈む船から逃がしてくれたんだなあと」


 ライパチ先生は勝手に感動しているが、これは生徒に聞かせていい話なのだろうか。


「参考になったか?」

「いや、教師になったのはだいたい流れです、とか、参考にならないだろう」

「それもそうだな、はっはっは!」


 ライパチ先生はニヤニヤと笑う。


「ま、将来のことを考えるのは難しい。まずはやりたいことを探せ。そして本気になれ。甲子園に出るぐらいの気持ちでな」

「出てないのに言うか?」

「気持ちは持ってたさ。だからがんばった。出場はしなかったが、気持ちを持たなければ目標に向かって努力することもしなかった。でなきゃ野球のキャリアもなく、ここで野球部の顧問になることもなかっただろうな」


 人生塞翁が馬さ、とライパチ先生は言った。


「やりたいことはあるか?」

「……一応、ある」

「それには、本気か?」

「……たぶん」

「そうか? 将来を賭けるほどか? それなら、白紙じゃなかったと思うがな?」


 将来を。

 ニート候補の将来を。


「そうか」


 やりたいこと我慢しやがって──などと考えていたが。

 本気じゃなかったのは──俺か。


「貸してくれ」


 進路調査票を奪い取って、ボールペンで書きなぐる。


「これで提出する!」

「おう! どれどれ」


 第一希望 プロデューサー


「よし。推しアイドルは誰だ? そこに座れ。あと一時間ぐらい、話が必要だな?」

「待ってくれ、ライパチ先生。俺は本気で──」

「このバカが! ゲームと現実の区別ぐらいつけろ! いくらガチャに突っ込んだ!?」

「ゲームの話では……いやゲームなんだが……」

「うるさい! 言い訳するな!」


 ──指導室から外に出た頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。

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