野球場とファンと

 電車に揺られて。人ごみにまぎれながら歩いて。


「よーしっ、ついたぁー!」


 目的地に到着すると、ニシンが両手をあげてはしゃぎだした。

 目の前にあるのは巨大な構造物──野球場。

 この間見たものとは段違いで、大きくて、デカい。


「人もいっぱいだね。まだ試合前なのに」


 カナもきょろきょろとあたりを見回していう。おさげが振り回されているので、やんわり手で抑えて周囲への被害を防ぐ。


「これが、プロ野球か」


 おもわずつぶやいてしまう熱気が、野球場には満ちていた。


 ◇ ◇ ◇


「しかし、お前たちがチケットを勝ち取るとはなあ」


 ライパチ先生の用意したチケット。週末のナイターゲームを観戦するために、俺とカナとニシンは球場へとやってきていた。

 あの後、ライパチ先生はニシンにチケットの存在をバラされ、なし崩し的に賞品にさせられたそうだが。


「なんだよーユウ、あたしが負けるとでも思ったのかー?」

「いや、女子側が勝つだろうな、とは思ってた」


 棚田高校男子野球部は──正直言って、弱い。ライパチ先生が熱心に指導しているにも関わらず、都大会は二回戦より先に進んだことがない。

 対して女子野球部はというと──これがかなり強いらしい。

 定期的に男子に合わせたルールで校内試合を行っているのだが、なんとこれに勝ち越している。加えて賞品なんてものがあれば、それはもう女子の勝ちだろう。


「だが、ニシンが獲るとは思わなかった」

「は? なんで?」

「打点勝負だったんだろう?」


 勝ったチームで一番打点をあげた──得点に寄与した選手に、チケットを贈呈する。そういうルールになったと聞いた。


「お前、打てないじゃないか」

「うっさい」


 ニシンに蹴られる。小さい体のくせに恐ろしい威力で、パァンッ! といい音がするものだから、周囲の人がザワザワとした。


 ニシンは──打てない。それはもう、打てない。

 ほとんど二人の様子を見に行くことがない俺でさえ知ってるぐらい、打てない。


 どこでも、なんならピッチャーもキャッチャーも人並み以上にこなす守備職人のニシンに、天は二物を与えなかった。

 カナがきっちりつけている記録によると、年間を通じて打率が一割を超えたことがないらしい。


 対戦した投手のレベルにもよるが、高校野球では強打者なら打率が五割を越えることだってある。プロの強打者では三割だから――高校野球では打率はふつう、高いのだ。

 そんな中で、一割に満たない打率というと──驚異的な打てなささだと言っていいだろう。


「打点ならスクイズでも獲れるし!」

「そんな機会が何度あるんだ? それに相手がスクイズしかないと分かっていたら、成功率も低いだろう」

「むぐぐ……」


 きっと交流戦では、一発狙いで振り回して全打席三振だったに違いない。試合は見ていないが、俺はニシンの性格には詳しいんだ。


「──しかしそうなると、いったいチケットは誰に譲ってもらったんだ?」

「はぁ……はいはい、そうですよ。あたしじゃないですよ」


 ニシンはフグのように膨れる。


「カナが一振りでやってくれました」

「カナが?」

「え、えへへ」


 お下げの幼馴染は、眼鏡で目を隠す。

 いや、眼鏡で目は隠れないが、光の具合で。


「なるほどな」

「あー、そっちは納得するわけ?」

「そりゃそうだろう──我が校のノックの女神様なんだろう?」


 ニシンは打てない。が、それとは逆に、カナは打てる──恐ろしいほどに、打てる。

 高校野球の強打者が五割を超えるという話をしたが、もしカナが試合に出ていたら、九割打ったっておかしくない、という噂だ。

 それほどまでに、正確無比なスイング、虫も見逃さぬ動体視力。

 男子女子野球部どちらのノックも担当し、要求どおりの場所へ要求どおりの威力で打ち分ける。

 ライパチ先生も常々言っていた。



 カナとニシンを、足して割らずに使いたい、と。



 そう。カナが女子野球部のマネージャーに納まっているのは──守備がドへたくそだからだ。


 それはもう、ドへたくそだ。俺よりもへたくそだ。

 フライは頭にぶつけ、ライナーはあさっての方向に弾き返し、ゴロはいわずもがな。

 外野から遠投すれば明後日の方向に飛び、味方からの送球さえ取りこぼす。


 守備でへたくそが守るところを「穴」と比喩するが、カナのそれはまさにブラックホールだ。

 打ち取ったはずの当たりが二塁打になり、送球してアウトのはずがさらに進塁される。


 一振りで獲得できる最大得点は、4点だが……ブラックホールはそれ以上の点を相手に生む。

 ゆえに、カナは自らマネージャーをやっている。


 高校野球にDH制がないことが悔やまれた。


「にし──サトミちゃんが、やってみたらって言うから、代打で一打席だけ」

「また言った! ニシンって言った!」

「ご、ごめんね……懐かしくて、つい」

「あーもー、いいよもう、この三人の時は、ニシンで……」


 やっとあきらめたか、ニシンよ。


「それにしても、一打席で持っていったのか。──結果は?」

「ホームラン! カッキーン!」


 ニシンがニカッと笑ってスイングする。

 ──いや、お前じゃないだろう、打ったの。


「しかも逆転サヨナラだよ!」

「それは、男子もかわいそうだったな」

「はっはっはァ! 勝ちを確信した顔が、カナが出てきたとたん一気に泣きそうになったときは、痛快だったよ!」

「そうだろう、はっはっは」


 ──確信?


 それはつまり、『この打者なら絶対に勝てる』と思ってたところを、代打にひっくり返されたわけで──


「お前、笑い事じゃないだろう」

「いたっ」


 とりあえずニシンの頭を、ライパチ先生の代わりにひっぱたいておいた。


 ◇ ◇ ◇


「ユウくん、野球ゲームを作ってるんでしょう? だから、参考になると思って誘ったの」


 そういうわけで、ありがたく同伴させていただいた。

 実際、球場はまず入る前からして、知らないことでいっぱいだった。


「なんかいろいろ売ってるな」

「まずはここに来なきゃね」


 ウキウキとニシンがはしゃぐ。

 球場の入り口の前では、屋台というか……簡易な出店で、球団の関連商品が売られていた。


「ユウはどの選手のユニフォーム買う?」

「え? いや、特にファンでもないし、買わないぞ」

「ほーう、周りを見てもそんなことが言える?」


 周り。ぐるりと見渡すと、球団のファンがぞろぞろいた。

 ──五割ぐらい、ユニフォームを着ている。

 そして、振り返ればニシンも着ていた。いつの間に。


「ユニフォームを着てないとか、パジャマで学校に行くようなものだよ!」

「やったことが?」

「なっ、ないし! 例えだよ、例え!」

「しかし、これぐらいの比率なら別に私服でもいいだろう」

「でも、ユウくん──」


 カナが冷静に指摘する。


「その、今来ている服の配色──敵チームのユニフォームとまるかぶりだよ」

「分かった、買おう」


 過激なファンに殺されかねない。

 しかし、服にしてはなかなかいい値段がするな……ここでぐらいでしか着ないのに。


「あとタオルと、メガホンも買って」

「メガホンは使い道が分かるが……タオル?」

「振り回すんだよ!」


 ライブかよ。


「いや……懐が厳しい。両方ともやめておこう」


 メガホン持ったところで、何を叫んでいいのかさっぱりわからん。


「じゃあジェット風船! ジェット風船買って! ねえねえ買って!」

「だだっ子かよ……何に使うんだ」

「7回の攻撃前に飛ばすのが恒例になっているんだよ」


 なるほど。まあ、これは安いから買ってもいいな。

 複数個のセット売りだから、仕方ない、ニシンにも分けてやろう。


「しかし、風船を飛ばす? グラウンドに落ちたらどうするんだ?」

「そのタイミングでスタッフさんがたくさん並んで拾ってるよ。ちなみに球場によっては禁止されてるところもあるんだよ」


 そりゃ大変だ。というか、試合進行にさしさわりがあるなら、やめたほうがいいんじゃないか。


「楽しいから、いーんだよ!」


 ……という、ニシンのようなヤツが多いんだな。うん。


 他には……リストバンドとか、バットを模した鳴り物とか、マスコット関連の商品か。


「これは……選手のブロマイド? こんなのも売ってるのか」

「ええー、ユウ、やらしいなー? 欲しいの?」

「誰が男の写真が欲しいものか」

「でもユウくん、タイガ選手のもあるよ?」


 タイガ選手。


 野球に興味のない人間だって名前ぐらい聞いたことはあるだろう。単身プロ野球に殴り込み、女子野球ブームを引き起こした日本初の女子プロ野球選手の名前だ。

 正確には『初の女子プロ野球選手』というのは違うらしいのだが、初と言ってもいいだろう。今年で何年目か知らないが、先発として定着して今やすっかり球団の顔だ。顔だが──ブロマイド、すごい微妙な顔で写ってるな。泣きそうだぞ。

 ちなみに、タイガ選手は今日は出場しない。たぶん出場するとなったら客はもう少し多いのだろう。それぐらい女性人気が高いのだ。


「いらないと言ってるだろう。……しかし、こんなに色々売ってるのに、なんでこんな簡素な売り場なんだ?」

「どういうこと?」

「いや、もっとしっかりした屋根付きのとか、あるいは建物と一体化するとか、あるだろう。これだと雨の日とか辛いんじゃないか?」


 ああ、それは。と、頭脳担当のカナが答える。


「ほら、今日はこの球団が試合をするけど、別の日はまた違う球団が球場を使うでしょう? 特定球団のためのお店をおくようなことは、球場としては難しいんじゃないかな」

「なるほど……日によって入れ替わりになるんじゃ、在庫とかも置いておけないな」


 他にも都合はあるんだろうが、とりあえず納得した。


「おーい、早く入ろうよ! 中もいろいろあるんだぞー!」

「わかったわかった」


 ずいぶん一人で先に進んでいるニシンの後を追って、球場の中に入る。

 ここは……構造的に応援席の下か。思っていたよりもずいぶん広いんだな。


「お弁当買おう、お弁当!」

「もう腹が減ったのか」


 まだ夕方というにも早い時間だと思うのだが。


「違うし! ハラペコキャラじゃないし! 早めに買わないと、売り切れちゃうんだよ!」


 そうなのか。そういうことにしてやろう。

 正直、弁当屋以外にもホットドッグだの、ハンバーガーだのを売ってる店がぞろぞろあって、食べるに困るような事態になるとは思えないが、そういうことにしてやろう。


「ほら、タイガ弁当!」

「名前がついてるだけで、普通の弁当じゃないか?」

「エビフライ入ってるんだよ!」


 エビフライは普通だと思うんだが。コラボ商品とはそういうものなのだろうか……選手も大変だな。


「さあ、グッズもお弁当も買ったし! 応援席に行きますか!」


 タイガ弁当のほかにポテトの盛り合わせなど買って上機嫌のニシンが言う。

 言うんだが──ここまで来ておいてなんだが、確認しないといけないことがあった。


「ところで、ライパチ先生が提供したチケットは、ペアチケットだろう? あと一人分はどうなってるんだ?」

「そこは、それ」


 ふふん、とニシンは懐からチケットを取り出した。三枚目がある。


「買ったのさ!」


 そう得意げに言って、こちらに手のひらを差し出してくる。

 しかたないな。激励の握手をしてやろう。


「ちがうっ! 三分の一払えっ!」

「なんだ、そんなの当たり前だろう。どれ……この外野席のほうだな?」


 三塁側内野席が二枚、外野席が一枚。


「三人で座れればよかったんだけど、さすがに急には取れなくて」

「手配してくれただけでもありがたい話だ」


 そう言って、金を渡しながら外野席のチケットを取ろうとして──ニシンに避けられる。

 はっはっは。子供っぽいことをするな。そう軽く笑ってチケットを取ろうとして──避けられる。

 避けられる。避けられる。避けられる。


「なぜだ」


 金は出しただろう。


「ちがーう! それじゃ、意味がないでしょが!」

「は?」

「あっ、じゃ、なくて! 公平! そう、公平にいこうって話ッ!」

「公平だったら、実際に試合をして勝ち取ったお前たちのほうが内野に行く、で正しいだろう」

「だからその──」


 何が言いたいのかわからない。ニシンの公平と俺の公平は意味が違うのだろうか。


「ええとね、ニシンちゃんと話して決めたんだよ。チケットを買ったのは来城先生。それをもらう立場としては、三人は平等だって。だから席も公平に決めようって……ね?」

「そうそう! ジャンケン! ジャンケンだ、ユウ!」


 なるほど。確かに最大の功労者のライパチ先生のことを考えれば、三人の機会均等をはかってもおかしくはないか。

 そもそも、俺が言わなければライパチ先生はチケットを手放すこともなかったんだしな。うん。――ゴミ箱には行っていたかもしれないが。


「──いいだろう。後で後悔しても知らないぞ。読み合いなら負けないぞ」


 ニシンの初手はグーだ。……小学生から成長していなければ。


「ふふん、望むところだ!」

「恨みっこなし、だよ」


 カナとニシンが、真剣な表情で拳を握る。


「じゃーんけーん……!」



 ◇ ◇ ◇



 階段を上がりきると、スタンドが一望できる。

 急に広がる視界と、人々の熱気に、こちらも少なからず興奮してしまう。

 試合開始は間もなくらしい。チアガールとマスコットが、グラウンドからはけていく。

 チケットを確認しながら、自分の席へ。


 ──いやあしかし、やっぱり外野席からだと遠いな。

 しかも球場が大きいからだろう、この間よりも人が小さく見える。


「えーと」


 席は……ここか。

 ここだ……ここだが、隣のおっさんの荷物が置かれている。困ったものだ。


「ここは自分の席なんだが、どけてもらえないか」

「おっ? おお、すまねえな、兄ちゃん」


 物分りのいいおっさんだったようで助かった。席に座る。


「球場は初めてかい?」


 と思ったら、わりとなれなれしいおっさんだった。それはそれで困る。人付き合いは得意じゃないのだ。


「どうして初めてだと?」

「そのユニ、タグついてるもんよ、買ったばかりだろう?」


 これは恥ずかしい。というか、二人も気付いて言ってくれればいいのに。


「がはは、気にするな! おじさんもよくやって母ちゃんから文句言われてらあ!」


 その母ちゃんとやらの姿が見えないが、一人で来ているのだろうか。

 というか、酒臭い。よく見たらビールの入っていたであろうカップをぶらぶらさせている。


「何にせよ、若いファンがこうして球場に来るのは歓迎さ! がはは!」

「おっさんは、いつから球場で観戦を?」

「五十年来のファンさ。球団の名前が三回変わるぐらいの付き合いだな! まったく、オシャレな名前になりやがって! がはは!」


 そういえば記憶にあった名前と違っていた。


「球団名が変わると、やはり慣れないものかな?」

「そりゃ、しばらくはな。だがオーナーが変わるのはしかたねえし、中身は──魂は変わらねえ。だったら、おじさんらファンはついていくだけさ」


 おっさんはなんか──格好つけていた。そういうのは嫌いではないが。


「何より、長年付き合ってきちゃってるからなあ。名前が変わった程度じゃ、ファンはやめられねえよ」

「なるほど」


 例えばニシンがサバに改名したとして、付き合いをやめるかと言われたら、やめないだろう。そういう気持ち……だろう、たぶん。


「兄ちゃん、外野席は遠いだろ?」

「遠いな」


 普段眼鏡が必要なわけではないのだが、かといって目に望遠機能がついているわけでもなく。


「ラジオ聴くかい?」

「ラジオ?」

「ラジオの実況聴きながら見たほうが、分かりやすくていいんだよ。ビール飲んでる時にホームラン打たれちゃたまんねえからなあ」


 なるほど、そういう観戦の仕方もあるのか。

 しかし差し出されたイヤホンは丁重にお断りした。気持ちはうれしいが、さすがにおっさんと耳垢の共有はしたくない。


「おっ、始まるぜ。うちの先攻だ、さあ応援するぞ! 立った立った!」

「えっ」


 立つのか。

 立つ──んだな、周りも立ってるし。座って見るものだとばかり思ったんだが。


 これは、なかなか大変そうだ……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る