ナンバー
西陽 葵
1
ここ三日ほどだろうか。道行く人々の頭上に、数字が現れるようになった。不思議な、そして恐ろしい現象である。念のために言っておくが、私は幻覚を見るような薬は服用していないし、心身ともに至って健康なはずである。
仕事中に、移動中に、休憩中に。鏡に映る自分や、テレビの映像、新聞の写真にすらついて回る頭上の数字に、参ってしまいそうだった。しかしこんな症状を人に相談したところで、病院へ行け以外の回答も期待できない。私は一人でこの謎の現象と戦うべく、情報収集を始めることにした。これは、その闘争の記録である。
・○月○日
本日は快晴である。晴れ渡った空に無数に浮かぶ数字がなければもっと気持ちのいい朝だっただろう。
オカルト系の書籍を実際に手に取る勇気が出なかったため、インターネットに似たような事例がないか調べてみることにした。
幻覚の記述が出てきた。やはりインターネットはあてにならない。
・○月×日
テレビを見ていたところ、私と似たような症例の再現ドラマが流れていた。彼女――女性の例であった――の場合は、相手の寿命が見えてしまうようだった。恐ろしい話だと背筋を震わせていると、ホラー系番組のタイトルが流れた。全く、いらぬ心配をさせないでほしい。
しかし、私のような人間がほかにもいたのかと期待したのに、創作であったとはひどい話である。
・○月△日
数字が見え始めて六日になるが、一向に消える様子がない。まさか一生の付き合いになるのだろうかと思うとぞっとする。
今日になって、見える数字のほとんどが二桁であることに気付いた。子供でも成人でも多少のばらつきがあるが、大抵は二桁である。大柄な男性などはまれに三桁だが、それでも110、120程度であった。
赤ん坊は大抵30程度であることから、昨日のホラー番組とは違い、私が見ているのは寿命ではなさそうだと推測できた。街中の乳児がみな三十代で死ぬというのは、きっとありえない。
・○月□日
数字が見え始めるようになり、とうとう今日で一週間である。どうすれば消えてなくなるのか、今すぐにでも知りたい。
スマートフォンにメールが一件届いていた。内容を確認してみたところ、不思議な数字に悩まされていませんか?とあった。
詐欺だとは思うが、今は藁にもすがりたい。来週メールの送り主と会うことになった。念のためにボイスレコーダーを持っていこうと思う。解決の鍵になるといいのだが。
指定したカフェを訪れれば、既にそこには一人の女性がいた。スーツ姿の、どこにでもいそうなOLの姿である。どうでもいい話だが、頭上に浮かぶ数字は86だった。
「失礼、遅くなりました」
「いいえ、メールへのお返事、ありがとうございました」
半ば事務的な会話を交わし、彼女の正面に腰かけた。
「まずは挨拶でも、と言いたいところですが、一刻を争う事態ですので先にご説明だけさせていただきます」
存外に不躾な女性であった。しかし深刻な表情で言われては、頷かざるを得ない。彼女は気持ちを落ち着けるように深呼吸してから言った。
「あなたの目には今、人間の座高が見えています」
「座高」
私は鸚鵡のように復唱した。私を悩ませる謎の数字が、座高。どんな顔をすればいいのか、正直に言って分からなかった。
「今までにも数人、あなたと同様の症状が現れた方がいらっしゃいました。同じようにアポイントメントを取らせていただいていたのですが、ある日……」
「ある日?」
「公共の場所で近くにいた方の座高の話をしてしまい、名誉棄損で訴えられました」
「…………」
この話を聞かされて、どんな顔をしろというのだろうか。黙りこくった私に、彼女は熱を込めた顔で言った。
「あの不幸を、二度と繰り返すわけにはいきません――どうか私と一緒に来てはくださいませんか。もちろん、ただでとは申しません! 実は私こういうものでして」
今更ながらに、彼女は名刺を差し出してきた。その小さな紙片にはこうあった。
『身体計測能力合同会社 人事部 遠野千里』
あまりにも胡散くさいその内容に、私は半眼で答えた。
「お断りします」
「そんな!」
悲鳴じみた声を上げる遠野の前に、千円札を一枚置いて、私は立ち上がった。収穫は、見えている数字が座高であった可能性に気付いたことだけである。帰宅したら調べてみるのもいいかもしれない。
諦めませんからね!――という遠野の声に見送られながら、私は帰宅の途についた。
ナンバー 西陽 葵 @nishibi
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