エピローグ 明日へ

GD協会広報部では、投票式のアンケートを常時行っている。

 放送内容やサテライトの運営、GD協会の対応、商品化されたらうれしいアイテム、などについて、お客様の側からの意見を求めるのが主な目的ではあるが、

『好きなチーム、機体、パイロットを教えて下さい』

 という俗っぽい項目も存在する。

 ここでも、上位はAランクパイロットとその機体で占められている。

 なんといってもレースなのだ。速い機体、巧いパイロットが人気になるのは当然だ。しかし、人気投票の順位は、必ずしもランキングの順とは限らない。登録ランクA、獲得賞金総額歴代一位のティア・ラングレーでさえ、人気投票ではぎりぎりの一桁台だ。「強すぎて面白味に欠ける」というのが反対票の主な理由。ちなみにパイロット部門の人気投票第一位は、〈大中人形公司〉の〈イケメン太子〉、ユン・イーモウ選手である。

 ファン投票レースは、ランクもキャリアも無視して、全てのパイロットが出場できる。出場資格はただ一つ「人気投票で総合上位二十番以内に入ること」。

 出場機数が十五機なのに二十番まで資格が与えられるのは、出場辞退するパイロットがいるからである。十五チーム以上が出場の意思を示した場合は、人気上位の選手が優先される。

「……信じられない」

 コックピットで、慧一はそう呟いた。

 ファン投票レースに出場することは、ある意味で、賞金王になるより名誉なことである。慧一のレースを楽しみにしている人がいる、という証拠だからだ。

 自分は望まれている。信じられない。あれだけ負けて、まだ誰かに必要とされている。

 これは夢の続きなのか。

『慧一くん』

 響の声。慧一はすぐに反応できなかった。

「あ、はいっ!」

『そう固くならないで。公式戦じゃないんだから、気楽に気楽に』

『そんな甘っちょろいことでどうする? 慧一、狙うは女王の首一つだ。死んでも取れ。取れなかったら来期の年俸ダウンだ』

 通信に竜之介が割り込んだ。

『それはあんたの私情でしょ? 無茶苦茶な要求をして給料を減らすなんて、悪質なリストラの手口はやめなさい』

『なっ』珍しく、竜之介の声に動揺が混じっていた『何を言ってる僕はだなぁ……』

『慧一君、この馬鹿に付き合う必要はないわよ』

「はあ」

『ここで勝っても一勝には数えられないんだから、気負っちゃダメよ』

『僕はだね! その発想がいかんと……うぐぅっ』

 不吉な打撃音が聞こえたが、気のせいだろう。管制室に一斗缶があるはずない。

 この漫才はパイロットの緊張を紛らわせるためかも。そう思って慧一は苦笑い。

「監督。今日はオーナーが正しいです」

 確かに勝てるレースではない。ティア・ラングレーを始め、Aランクのパイロットが四人、Bランクからも、近い将来の昇格が有望視される面々が――無論〈魔女〉も含め――そろっているのだ。Cランクからの出場は慧一たった一人だった。単勝で八百倍の高配当は、「火星人の化石発見」並の超大穴。

 これで慧一が勝った日には、サテライトで暴動すら起きかねない。

「出るからには勝ちに行きます。それがトップランカーへの礼儀でもあります」

『よく言った! いけ。慧一!』

「はいっ!」

 Gドライブ始動。発生した重力子は千分の一秒で崩壊、推進力と光に転換される。

 爆発的な加速度を得て〈テンペスト〉がコースに飛び込んだ。


 シーズンが終わって、各チームが後回しにしていた書類の整理に追われる年末。

「引退する気になったかい?」

 竜之介は電話の相手にそう囁いた。

 長い手足を折りたたみ、受話器を抱えて小さくなって、事務室の机の下にはまりこんだ姿である。誰が見たって情けなく思うのは間違いのないところだが、誰かに見られちゃまずいと思う以上、そうする意外に方法はなかった。

『確かに、そんなことを言った覚えもあるけれど。他人に年齢のことを言われるとむかつくのよ。判る?』

「いやいや年齢が問題なんじゃない。君は十分にチャーミングさ」

 ふざけているのは口調だけ、もしもこの場に誰かいたら、竜之介の真剣な表情に惚れてしまったかも知れない。いや、姿勢とのギャップに笑い転げるのが先か。

『あなたに負けたわけじゃないわ』

「そう言うとは思ったけどね」

 竜之介は窮屈な思いをしながら、ポケットから小さな箱を取り出した。ビロード張りの小箱の中身は、若干大きめの指輪だった。一見しただけではサイズがわからなかったこともあるが、年中操縦桿を握っている女性だからと、一般的な基準よりも大きなものを選んでおいた。

「賞金王も逃したし、ファン投票レースでも入賞できなかった」

『だから引退?』

 と、電話の相手――ティア・ラングレーはため息を漏らした。

 三年連続の賞金王は、確かに獲得できなかった。だが、当然のことでもあった。〈ポーラースター〉は長く王座に君臨しすぎた。高性能ではあっても旧型に属する。手の内がばれている機体で勝ち続けることは不可能だ。それでも、ティアの今期の賞金総額は三位だった。

 ファン投票レースの方は、そもそも勝とうと思っていなかった。あれは公式戦ではない。ただのお祭りだ。

『頼むから三流記者みたいなことはいわないで。あなたがそんなに俗っぽくなったとは思いたくないの』

「僕は今でも純粋だよ」

『だったらわかるでしょう? 私、来期のことを考えるので忙しいの。規則改定でオーナーパイロットが禁止になって事務手続きもしなきゃいけないし。あなたに構っている暇なんてないの』

「そう言わずに一時間でいいから、会って話を、」

『ノー。ノン。イイエ』

 どんな理由も聞き入れないとでも言うように、ティアは三カ国語で拒否し、

『一応言っておくけど、ニューイヤーは香住の実家に行く予定だから邪魔しないで』

 がちゃん。

 火星の電話には、そういう効果音が設定されている。ふざけているわけではない。話し手が通話を終了させた――通信事故ではないことを強調するためなのだが、今の竜之介には、あまりにも無情な響きだった。

 それから十五分ほどして。

「ただいま。とりあえず今期の収支報告を……?」

 所用を終えて戻ってきた響は、胸を押さえてデスクの下に横たわる国籍不明男を見た。

「…………殺人事件?」

 当たらずとも遠からず。死因は心臓麻痺むねのいたみ


「勝ったらお嫁さんになる?」

 うん、と慧一はうなずきだけでアンジェラに答えた。声が出せない。

 設定重力が〇・八五Gとは言え、五キロ走るとさすがにきつい。

 犬のようにぜいぜい言いながらポケットを探る。カードを自販機のスリットに通そうとしたところで、

「どうぞ」

 アンジェラがリュックからスポーツドリンクを取り出した。ありがたく頂戴して一気飲み。ふう、と一息。

「女王と……あ、もう違うのか……ラングレー選手とオーナー、月リーグの訓練校で同期だったんだって」

 アンジェラはうなずいた。そこまでのことは、チームの誰もが知っていた。

「で、卒業記念レースの前に、賭けをしたんだ」

「俺が勝ったら結婚してくれ! ……男らしいプロポーズですねぇ」

 いやいやいや、と慧一は手を振った。

「負けた方が引退して家のことを全部やる、っていう条件で」

「はい?」

 アンジェラは少し考え、結論にたどり着いた。いや、別の疑問につかまった。どっちが勝っても結婚するということは、竜之介とティアは両想いで――。勝負する必要がどこにあったのだろう。

「……多分、二人とも意地っ張りなんだろうね」

「いじっぱり」

「同じチームに所属してしまったら、同じレースには出場できなくなる。二人とも世界一になるつもりだったら、これがまずいのはわかるよね?」

「えと、共闘防止条項です。同一チームのパイロットが同一レースに同時に出場してはならない。また、所属を異にしていても、競技中の協力関係はこれを禁止する」

「そう。現役同士で結婚したら、どうしたって八百長疑惑がついて回ることになってしまうんだ」

 アンジェラは難しげな顔で聞いていた。

「気の回し過ぎじゃないですか?」

「俺もそう思うけど。昔、実際にいたパイロット夫婦で、夫のためにわざと負けた女性パイロットがいたんだって。それ以来うるさいらしいよ。ランクが違えばかち合う心配は減るけど、絶対じゃない」

 出走スケジュールがぶつからないようにする方法は……と考え、アンジェラはすぐに考えるのをやめた。賞金王を目指すなら、昇格はどうしても必要だ。二人ともAランクになったとして、出走を半々にした時点で既に、賞金王になれないのだと計算できた。

「あきらめるなら早い方がいい。で、卒業記念で勝負」

 しかし、そのレースで竜之介は重傷を負ってしまった。ティアも、そんな竜之介に家のことをやらせる図太さはなかった。近くにいることも辛くなって火星リーグに移籍した――というのは、勘ぐりすぎだろうか。

「……と、今朝オーナーから電話で教えてもらった。今頃プロポーズしているんじゃないかな」

「断られますね」

 アンジェラは全く間をおかずにそう答えた。

「断られるね」

 慧一もうなずく。

 ファン投票レースで、慧一はティアと交戦した。

 十年越しの勝負を、女王が意識していたかどうか、慧一にはわからない。知りたいとも思わない。慧一は慧一自身の意思で〈ポーラースター〉に挑んだ。

 ぼろ負けだった。

 弾丸はことごとくかわされ、剣はただの一度も届かなかった。切り札の〈エアリアルクライ〉は使った途端に無効化された。ワイヤーに銃身を絡められたのだ。逆に動きを制限され、〈テンペスト〉は頭部を失ってリタイヤした。その直後に〈ポーラースター〉を強襲した〈トリッキーブルーム〉も、一撃も浴びせることなく撃墜された。

 お話にもなりゃしなかった。

 レースそのものは〈883サイプレス〉――B1パイロット、フレディ・ファレルの勝利で幕を閉じた。

〈ポーラースター〉の敗因はGドライブの不調によるもの、と〈F・O・Rラングレー〉は発表している。噂では、新型のGドライブを開発しているらしい。

 負けても終わりではない。来期はすぐにやってくる。

「慧一さんはそういうの考えたことないですか?」

「そういうの?」

「結婚……は先として、恋愛とか、好きな人とか」

「…………」

 ふと脳裏によみがえったのは、四ヶ月前のあの夢だった。いまだに覚えているのが自分でも驚きだ。まさか本当に――。

 いやいやそんなことはない。あれは事故の罪悪感が見せた幻であって、俺の意思じゃない。

 慧一はすっと目をそらした。俺は班長のことなんか意識してないぞ、とわざわざ役職名で考える。そうしてしまうことの矛盾を自分の中に見つけた。

「休憩終わり!」

 怒鳴って、慧一は逃げるように駆けだした。

 変なことは考えるな、まずは勝つことだ。そのためには体力作りだ。

「あ、待って下さーい!」

 アンジェラは急いでリュックのファスナーを閉めた。リュックを背負い直して自転車にまたがる。きこきこ鳴らしながら慧一を追いかける。

 逃げる慧一、追うアンジェラ。

 その差は五十メートルほどか。届かない距離ではない。

 公園を抜けて団地を迂回し坂道を上る。ふと、アンジェラはペダルをこぐ力を緩めた。

 頂上には火星ならではの――季節感を無視した――穏やかで小さな森。

 緑色の風が吹いた気がした。いい兆候だ、と勝手に決める。

「よっし!」

 気合いを入れてペダルを踏み込む。

 坂道を下る。ペダルの抵抗が消失する。

「慧一さーん! 私、来季はもっとすごい機体作りますからー、だから、次は絶対勝ちましょうね!」

「ああ!」

 向かい風にしっかりと目を開けて、二人は、走り続ける。

 勝利に向かって。明日に向かって。

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ギミックドールグランプリ 上野遊 @uenoyou

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