第6話 3
コックピットの慧一は、順位をそれほど気にしていなかった。
勝ちたくないと言えば嘘になるが、新型に乗ってやる気を出したらいきなり成績が向上する、なんて甘い話はフィクションの中にしかないことを慧一は知っている。栄光は遠くてあたりまえ。しかし、それでも前を見る人間だけが、そこにたどり着けるのだ。
「気にしないで」
補給でのタイムロスを詫びたアンジェラに、慧一はそう返した。
整備班を責めるつもりはない。ここからでも十分逆転は可能だ。隠し球も用意してもらった。
上位陣に追いすがりながら――それ自体は難しくない。今回のレースでは、〈テンペスト〉は高性能の部類に入る――慧一はじっとチャンスを待った。
二十周目。
二十一周目。
残り周回が減っていく。
レーダーに映る機影が一つ消えた。いや、重なった。〈311シャインビー〉が〈489テリブルマスター〉に仕掛けたのだ。メインモニタでは遠すぎて状況がつかめない。
「監督」
『〈シャインビー〉がマウントアタック』
コーナリング中の敵機に体当たりを行い、「上に乗る」ようにして衝突の勢いを殺し、強引に曲がるテクニックをそう呼ぶ。不意打ちでもない限りまず成功しない上、仕掛けた側も一緒にコースアウトすることがあるという「死なばもろとも」的な技なので、使うパイロットは滅多にいない。
『311も切羽詰まってるわね。こっちにはチャンスだけど』
響が状況分析している間、もちろん慧一はぼうっとしていなかった。
(動くなら今だ)
待ち望んでいた上位勢同士のつぶし合いが訪れたのだ。三位につけていた〈ジャックポット〉と共に、首位を奪おうと猛然と加速。
〈シャインビー〉が立ち直ったところに〈ジャックポット〉が接近戦を挑む。その隙に慧一はさらに前に出ようとする。が、ぎりぎりコースアウトを免れた〈テリブルマスター〉が牽制の射撃を行う。出鼻をくじかれたところに〈シャインビー〉が滑り込む。三機の乱戦はわずか半秒。トップが入れ替わり、慧一は二位につけた。三番手にいたはずの〈ジャックポット〉が頭部を失って漂い、一秒前までトップだった〈テリブルマスター〉はリアカメラからも消えていた。
『警告。急速接近する機体あり』
レーダーに紫色の輝点があった。
三番手に上がってきたのは、〈107トリッキーブルーム〉。
重力子ロッドを後方に向けたその姿が、箒に横座りした魔女を連想させる。
――ようやく勝負ができるわね。
そんな声が聞こえた。幻聴だ。パイロット同士の直接の通信は禁止されている。聞こえるはずがない。けれど、ニキがそう言ったのが、慧一にははっきりとわかった。
リアカメラに映った魔女が、跳ねるように動いた。カメラ境界に小さなGドライブの光が見えた。
後ろへの警戒をしつつ、前方の注意をコースを確認。まっすぐに進んで右に曲がり、それから真上に曲がる。立体クランクとでも言おうか、宇宙でしかできない癖のあるレイアウト。直線の組み合わせだが、行動の自由度は低い。
最小限の減速でクランクを通過。ニキも無理には仕掛けてこなかった。
邪魔な相手はぶっ飛ばしてもいいのがGDレースだが、叩きつぶすことが「勝つ」ことではない。前に出て、一番でゴールにたどり着くことが勝利なのだ。
定石に従えば、交戦はコーナー手前で行われる。
有利なのは先行する側。直線で後ろに仕掛けるためには、ある程度加速を捨てなければならなくなるが、元々減速と旋回の必要があるコーナーでは、迎撃と旋回を一挙動にまとめることができる。一方、追い越そうとする側は、ぎりぎりまで減速を遅らせ、突っ込む必要がある。速度を重視すれば射撃の的にされ、だからといって慎重に回っていてはいつまでたっても順位を上げられない。
魔女は、定石を無視した。
魔術や奇術がそうであるように、相手を騙すには、「普通はできないこと」をする必要がある。
立体クランクの立ち上がり、ニキは驚異的な加速を見せた。〈テンペスト〉のリアカメラが勝手に拡大処理を行ったような錯覚を慧一は覚える。〈トリッキーブルーム〉が重力子ロッドを補助推進器として利用したのだ。
ほぼ真後ろにニキが迫る。
焦るな、と慧一は自分に言い聞かせた。後ろを取られたところで問題はない。機体背面にはGドライブがあり、そこから生まれる重力子の壁がある。仕掛けてくるのは横からだ。右か、左か――。いや、ここは宇宙だ。
「下ぁ!」
勘だけで機体を滑らせる。当たり。ニキの進路をブロック。そのまま機体を沈めていく。コース下端にたどり着くまでに、やや速度を落としておく。瞬間的に最大出力。機体をひねる。どんぴしゃ! ニキが切り返したタイミングと完全に合致した。トップスピードに乗せた状態での背面飛行に移行。機体三つ分の隙間に、ありったけの弾丸をぶちまける。ほとんど当たりはしなかったがかまいはしない。回避運動に専念したニキが離れていく。撃ち切った銃は捨ててしまいたかったが、ルール上それはできない。装備の解除と交換はピットで行わなくてはいけない。
もはやお守りでしかなくなった銃を左腿のハードポイントに固定する。そうしている間に次のコーナーが迫った。
「くそっ」
レコードラインは取れなかった。周回遅れの機体がいたのだ。周回に差がある機体間での戦闘はできない。直線であれば遅い方が進路を譲る決まりだが、コーナーリング中は安全のため、前にいる方が優先される。〈テンペスト〉が外側にふくれ、〈トリッキーブルーム〉がインをさす。順位が入れ替わる。だが、その先にも周回遅れの機体が二つ。チャンスだ。〈トリッキーブルーム〉は頭を押さえられる形になり、持ち味の機動力を活かせない。
〈テンペスト〉が追い上げる。
届け。
間違いなく勝負所。最初で最後の。加速力は向こうが上だ。スペックなど見なくてもわかる。最後尾スタートから上がってきた機体だ。ここで前に出られたら慧一に勝ちはない。
既に抜刀は済ませていた。
届け。
魔女は周回遅れの処理に手間取っている。うまい具合に横腹が見えていた。
届いた!
武装スティックを持つ右手に力が入る。
「なっ!」
〈テンペスト〉が剣を振るった瞬間、〈魔女〉は信じられない機動を見せた。
斜めに伸ばした片腕で重力子ロッドを保持し、ロッドの出力を全開にしたのだ。進行方向に対し直角、機体水平面に添い、垂直断面からややずれた方向に重力子が噴射される。〈テンペスト〉を狙ったのでも、ルール違反覚悟で周回遅れの機体を狙ったのでもない。一見でたらめで破れかぶれな行動に見えたニキの操作は、〈トリッキーブルーム〉に、重心のずれた回転力を与えた。
バレルロール。戦闘機乗りが機銃を回避するために編み出した技術を、ニキは空力に頼らずにやってのけた。〈テンペスト〉の剣が虚空を切った。すぐに構えは直せたが、続けての斬撃を慧一は強制コマンドでキャンセルした。
〈トリッキーブルーム〉は周回遅れを盾にする位置に移動していたのだ。
三機が横一列。間に挟まっているのは周回遅れ。この状態ではどうやっても攻撃できない。後は加速力にものを言わせれば終わりだ。
いい勝負だった、とニキは思った。
幼い頃から何でもできた。ベースボールでもフットボールでもテニスでもカンフーでも。ちょっとやれば簡単にコツがつかめた。体力面では年長者に敵わないこともあったけれど、結果が筋肉の量で決まらない種目であれば、ニキは負けたことなど一度もなかった。もっと難しい競技はないものかと、毎日探していた。そしてGDに出会った。
免許は簡単に取れた。これもつまんないかも、と思っていたあの日、
名前も知らない奴に負けた。信じたくなかったけど、事実だった。
彼のことは後になってから知った。日本人。デビュー戦で一着を取って見せた。
やっと相手が見つかったと、そう思った。
プロになって再戦――唖然とした。これがあのケーイチか? あたしを撃墜したあのテクニックは忘れてしまったのか?
違う、と思った。
機体に差がありすぎるのだ。貧乏チームは旧型を引っ張るしかないから。だから。
彼は本当は強いのだ。
そして今日。
設計思想の違いこそあれ、同等の機体で勝負ができた。
ぞくぞくした。
前に出る――ただそれだけのために、全てを出して競い合う。そして勝つ。
何て楽しいんだろう。
大きな達成感に満たされ、ニキはペダルを踏もうとした。
『ニキ!』
機体に衝撃が走ったのは、その時だった。
何かが激突した。機体が引っ張られ、視界がぐるぐる回る。モニタの隅にアラート表示が出ていたが、シートが揺れすぎていて判別できない。それでも天性のセンスで機体の回転方向を見定め、ニキは重力子ロッドにコマンドを送る――反応がなかった。何をされたのか全くわからない。
二度目の衝撃が機体を襲う。皮肉にもその一撃が機体の回転を止めた。
メインモニタは半分以上がノイズで埋まっていたが、それでも赤い文字は読めた「右マニピュレータ破損。頸部コネクタに深刻なダメージ」――リタイヤするしかない。
ニキと慧一の間にいた、周回遅れの機体がいまさらのように速度を落とす。
そうしてニキは、自分を撃墜したものの正体を見た。
〈テンペスト〉の左腕から伸びるワイヤー。その先にある盾のようなパーツ。盾の裏側に見える無数の小さな光。
何て綺麗なんだろう。まるで妖精が乱舞しているみたい――ニキはそう思った。
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