第6話 2
ここに来てかち合うか。
そうは思ったが、うんざりはしなかった。
むしろ、そうなる方が自然だと思った。
展示飛行の最後尾にいるバイオレットの機体――〈107トリッキーブルーム〉。そのコックピットには魔女――ニキ・ボルジア。
あれほどの技術があって、あれほどの機体を与えられ、移籍する必要などどこにもない彼女が、いまさら堅実なポイント稼ぎでもないだろう。
真空を貫く視線を、慧一は確かに感じていた。
ニキの目的は、慧一と戦うことだ。訓練校での一敗に、彼女は今もこだわっている。
それじゃあダメだよ、と言ってやりたかった。
訓練校で君が感じたものは、ただの幻だ。ここにいるのはとてつもなく強い先輩パイロットではない。同じコースに挑む、同じ立場の競争相手だ。
ありもしないものにこだわって、潰れてしまったら面白くないだろう?
もっと速く、もっと強く。誰よりも高く。
そう願ってパイロットになったんだろう?
君は競争する楽しみを知っていたはずだ。
パイロット同士の通信が許されるなら、そう言いたかった。
いや、伝えられる。
『スタート十秒前。九、八……』
慧一はペダルに足をかけた。シートから低いうねり。脈動。人形が意思を注がれ、息を荒らげる。
パイロットに言葉はいらない。ただ、飛べばいい。
『ゼロ』
ペダルを一気に踏み抜く。Gドライブが光翼を広げる。速度メーターが桁を増す。内側に切り込むように進路を変える。格下の一機を瞬く間に置き去り。出力全開のまま第一コーナーへ。
トラブルめ、隠れているならここで出てこい。勝負どころで俺の邪魔をするんじゃない。
念じならがスティックをひねる。片翼を消して急旋回。サブスラスターを吹かしつつ武装スティックを倒す。関節は――ロックされない。コーナリングの隙を狙っていた一機にカウンターを浴びせる。装填はハンマー。衝撃に弾かれた機体が後続を巻き込んでもつれる。その隙に次のコーナーへ機体を向ける。噴射。
「どんなもんだ!」
慧一はコックピットで快哉を叫んだ。
大きく回った影響で、順位は四着。そんなことはどうでも良かった。思い通りに機体が動く喜びを、慧一は全身で味わっていた。楽しすぎて鳥肌が立ってくる。
第二コーナーを抜ける。先行する三機との間が少し開いていた。開始直後の混乱をうまく抜けたグループは戦闘を避け、今のうちに距離を稼ぐ作戦のようだ。後続は第一コーナーを抜けたところで団子になっていた。
加速。トップグループを追いかける。三週目で〈オリオンアロー〉に追いついた。その間にもつれていた後続が解け、十五機がほぼ一列になって進む形ができていた。一機の脱落もない。レースはまだ序盤だ。けれど、慧一の勢いは止まらない。音声コマンド。
「抜刀!」
『ちょっと慧……あ』
ヘッドギアから響の声。それが途中で止まったのは、慧一の目論見に気付いたからだろう。
長剣を抜いた〈テンペスト〉が速度を上げる。〈オリオンアロー〉が機体を回して応戦、熱化学弾の乱射を、〈テンペスト〉はコース下方に沈んで回避。フルブレーキ、フルスロットル。
見当違いの方向に打ち出された弾丸を尻目に、〈テンペスト〉はS字を一直線に駆け抜けた。
〈オリオンアロー〉のパイロットの驚きの顔が見えるようだった。
慧一は巡航モードのまま、格闘モーションを用意せずに抜刀していたのだ。外部からではこの違いは全くわからない。フェイントとしてはごく初歩的なものだが、これまでのレース運びによって、慧一に対する評価が武闘派――突っ込むだけの猪パイロット――として固まっていただけに、効果は絶大なものがあった。先入観に囚われた相手の自滅。いや、慧一が心理戦を仕掛け、B2パイロットを制した瞬間だった。
四週目を迎える前に、慧一はさらに一つ順位を上げた。トップを飛行していた機体がトラブルで緊急ピットインを行い、そのままリタイヤしたのだ。
しかし、変わってトップとなった〈テリブルマスター〉が典型的な先行逃げ切り型の機体だったこともあって、なかなか距離を詰められずにいた。後ろの方では若干の順位変動があったが、撃墜にいたるまでの交戦は発生していない。
単機トップを行く〈テリブルマスター〉、かなり遅れて〈テンペスト〉、その後方に三位争いの集団、と続く。
変化が生まれたのは六週目だった。響は予定よりもだいぶ早く、ピットインの指示を出した。
速いマシンほど消耗が激しい。どんなレースでも同じことだが、GDはその傾向が特に強く出る。
宇宙空間でのレース、という特性がそうさせるのだ。
宇宙空間には空気抵抗がない。もちろん地面もない。加速された物体はどこまでも同じ速度で飛び続ける。燃費が良くなりそうなものだが、これはあくまでも、まっすぐに飛ぶ場合に限った話だ。GDレースにもカーブはある。曲がるためにはベクトルを変えなくてはならない――それまでに持っていた運動エネルギーをある程度殺さなくてはならないのだが、その力を、地面との摩擦などの、外部の力に頼れないのだ。減速するには加速したのと同じだけのエネルギーが必要になる。加えて戦闘など、不測の消費がつきまとうため、補給なしで完走するのは事実上不可能となっている。
ただしそれでも、Gドライブ稼働のためのバッテリーは、まず交換する必要がない。問題があってはならないパーツの筆頭に上がるだけあって容量も大きく、やたらとしっかり取り付けられている。いきおい、交換にはかなりの時間を要する。バッテリー交換は、敗北と同じことを意味しているのだ。
ピットで補充しなければならないのは、武装と、四肢に組み込まれたサブスラスターの推進剤だ。Gドライブは瞬間的に大出力を得られるが、細かな制御には向かない。姿勢制御にはサブスラスターがどうしても必要で、これが使えなくなると、カーブを曲がりきれなくなったり、悪いときには戦闘機動が取れなくなってしまう。人間にたとえるなら「足腰が弱ったような」状態に陥るのだ。
「充填は六十パーセント。今のうちに前に出るわよ」
〈テンペスト〉が、一番にピットインを行った。
先行している〈テリブルマスター〉は推進剤をフル充填するだろう。うまくいけば作業時間の差でケツに付けられる。
武装はこちらの方が強力だ。GDレースは妨害自由だから、一旦手が届けば最高速度で負けていても勝機が出てくる。
三位以下の機体が続々とピットインを行う隙間を縫って、慧一はコースに戻った。ピット作業の間に順位が入れ替わり、六位に落ちていた。だが、前にいるのはまだピットインしていない機体ばかりだ。見た目の順位に気をもむ必要はなかった。
二週が過ぎる。粘っていた機体がまとめてピットに向かう。入れ替わるように復帰する〈テリブルマスター〉。その位置は、〈テンペスト〉のかなり前方と、響の目論見を裏切る場所だった。
「しまった!」
悔しさに響は唇を噛んだ。機体は悪くない。パイロットの調子もチームの勢いも上向き。不安要素はほとんどなかったのだが。
「経験不足は仕方ない。僕らはあの機体にまだ慣れていないんだ」
「それもあるけど。ねえ、この一年でピット作業は何回やったかしら」
「え?」
竜之介は答えられない。隣の徹子も同様だった。
響は無線でアンジェラを呼び出した。
「今期、ピットに何回入ったかしら?」
『七回か、八回くらい、かな? 誰かわかります?』
正確な数字を聞く前に、響は天井を仰いでいた。
ああなんてこったい。
さんざん撃墜されたから、そっちの方も腕を上げていると思いこんでいた。大いなる勘違い。完走できない機体が補給をしていたはずもない。〈サザンクラウド〉は、ピットワークに関してはほとんど進歩していなかったのだ。
「おまけに今日は新造船で出張っているのよ。初めてのピットインも同然だわ」
「……そうか、うかつだった」
使う設備は同じでも、船を変えればレイアウトが変わる。使い慣れない道具も同じだ。これでは作業時間が短くなるはずがなかった。
作業時間もそうだが、ピットに入れるタイミングも悪かった。戻った位置が団子状態では、いかに新型の性能が良くても意味はない。
残り周回がじわじわと減っていく。
絶望的ではあったが、まだあきらめるには速かった。
「監督」
オペレーターの声に視線を動かすと、レーダー上でトップを示す輝点が、思ったよりも離れていなかった。
〈テリブルマスター〉に何らかの不調が発生したようだ。まだ勝機は無くなっていない。終盤で追いつけるはずだ。
だが、響の表情は難しいままだった。次のピットワークでもたついたら、今の順位を維持することも難しいかも知れない。
響の懸念は十八周目に現実のものとなった。
残っている全機体が二度目のピットインを終えた時点で、慧一は四位に沈んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます