第5話 5

 酔って暴れたことなどすっかり忘れたような雪村の放送に、整備班は苦笑を禁じ得なかった。――あのジジイ、いい根性してるぜ。

 だけれども、あの騒ぎは実際に「なかったこと」になっている。そうしなければ、またなんやかんやレース以外のことでトラブルが発生してしまう。無かったことにした方がいいのだ。

 スタッフが雪村をあっさり受け入れたのには、もう一つの理由があった。

 レーシングチームだって一つの職場だ。生活の保障は欲しい。スタッフはGDを愛しているが、何もかもをレースに捧げる覚悟で参加しているわけではない。老後の心配をしなくて済むかどうかは、非常に重要な問題だった。

 南雲オーナーは、ただ結果を追い求めるだけの、冷酷な事業家ではない。不要な人間を容赦なく切り捨てるようなことはしない。雪村の処遇で、そのことが解ったのだ。

 まだ「生活」や「老後」を意識しないアンジェラにも、雰囲気の変化は感じ取れていた。

 なんだか、一つの家族になったみたい。

「がんばりましょうね、慧一さん」

 言いながら脇を見ると、パイロットはプログラマと真剣な顔で話し合っていた。

「そういう心配はない。ダミーコードはセンサーをごまかすためのものだから、腕をひねる速度には影響しないはずです」

「はず……ですか。確証は」

「ありません。試験飛行の時間が取れなかったんだからしょうがないでしょう。それより気にして欲しいのは、最大出力にしてからの時間」

「全力噴射に制限がかかるんですね」

「違う違う。Gドライブはいくら使っても構わない。同時に電磁筋のテンションを上げると危ないんです」

「……ん」

「今ひとつ飲み込めない?」ハーレイは端末のキーを押し込み、「少し修正したのでもう一度テスト行きましょう」

「はい」

 慧一がスティックを握る。ハーレイがモニタをのぞく。

「切り返して、レベルマックスでモーション31。……そこ! そのままキープ」

 レースで電磁筋肉がロックされた状態の再現だ。シミュレーション上の機体は加速度を維持しているので、コースを外れて大きな円軌道を描く。実戦ならコースアウトしている軌道だ。

「切り返して。もっと速く、全速で。回り続けて」

 言われた通りに最速のターンを決める。問題なく動く。時間の経過と共に挙動がおかしくなるようなことはなかった。ここまでは問題ない。

「戻して下さい」

「はい」

 だが、スティックは全く動かなかった。機体は元のベクトルで円を描き続けている。

「今、ターン終了後も何秒かそのままの姿勢を保持したでしょう? そこが限界です。ダミーコードはシステムをごまかしているだけですから、ずうっと維持できるわけではないんです。閾値を越えたらいきなりアウトです」

「ああ、なるほど……」

 シミュレーションを初期状態に戻し、慧一はいくつかの想定で機体を振り回してみた。以前は一瞬で制御不能になっていたのだが、調整を施された結果、その心配はなくなった。ただし根本的な解決ではなく、二十秒ほどで限界が訪れるようだ。おまけに、嘘をつかれたシステムは警告メッセージすら表示しない。本当に「いきなりどかん」だ。

「もう少し何とかなりませんか? これ、コーナーリングより戦闘機動の最中にロックされそうで恐い」

「これ以上は無理です」

「何とかして下さい。できるでしょうが」

 ふと、アンジェラは思った。

 ――男の子に生まれたかったな。

 レース直前の整備班というのは、意外とやることが少ない。競技場に向かう時点で機体の調整はほとんど終わっている。終わっていなければならない。ハードウェアが検査の寸前まで問題を抱えているようでは勝負にならないのである。しかし、プログラムはぎりぎりまで修正が効く。機械的な問題をプログラムで補正してやることができる。だから、今忙しいのがプログラム班だけ。整備としては何も頼まれない方がいい状態だ。

 けれど、もし今、何か緊急の作業が必要になっても、誰も自分に「できるでしょうが」なんて口の利き方はしないと思う。みんなそうだ。アンジェラに対してどこか遠慮がある。それはきっと、自分が女の子だからだろう。

 慧一とハーレイが言い合いを始めた。開きっぱなしで二十秒も闘うことなんか滅多にないでしょう。滅多にないは絶対じゃありません。じゃあまた出力落とした方がいいのか。そうは言ってません。わかっているだろう? リミッターをかけるのが一番安全な方法なんだ。だけどそれじゃ勝てない。だから完璧にしろなんて言ってないじゃないですか。同じことですよ君の要求は。

 男の子ならムキになっても許される。男の子ならロボットが好きで当たり前。男の子なら、本気で言い合える。

「……アンジェラ?」

 はっとして、アンジェラは物思いから返った。何度か呼びかけたのだろう、ハーレイが怪訝そうな顔をしていた。

「風祭とやり合ってもらちが明かない。そっちでどうにかできませんか?」

「私が?」

「整備班長でしょう」当然のように、ハーレイは言った。「この程度やってもらわないと困ります」

「……あ」

 何を一人でいじけていたのだ。飾りじゃない。私だってチームの一員なのだ。

「はい!」

 アンジェラは大きな声で言った。

「部屋に行って資料取ってきます!」


 アンジェラがデータディスクを抱えて戻ってきたのは五分後だった。プログラム、整備の両班から人員を集め、パイロットそっちのけで専門的な言葉を交わす。しばらくして慧一は、他のスタッフに呼ばれて離れていった。装備の調整で意見が衝突したらしい。

 アンジェラたちの話し合いは十分ほどで終了した。

 ダミーコードを使う以上、二十秒以上の全力機動は不可能。今から総合的な制御プログラムの書き換えは間に合わない。ハードウェアの側から、強制的にデータを入れ替えることは可能で、それによって全力機動を維持することは可能だが、その場合は十秒おきに十ミリ秒程度の制御不能時間が生まれる。システムダウンの危険を抱えるか、交戦中の隙を抱えるか。

「後のことは知りません。用意だけして、パイロットに決めさせましょう」

 ハーレイはそう締めくくった。

 プログラム班が電算室に戻って表示関連のパッチを組み、整備班がセンサの配線をいじりにかかる。実を言うと、新プランのひな形になるプログラムはもう組み上げてある。

 手が空いたので、ハーレイはガレージに居残ることにした。

 ちょっとばかりまぶしいものを見る目で、ハーレイはアンジェラの作業を見守った。不器用な整備班長はボルトをぽろぽろ落とした。

 誰にだって、できることとできないことがある。

『周囲が優秀なら頼ってみてはどうですか? お手本がたくさんあるのはいいことです。それと、あなたは思い詰めやすいように見受けられます。思い切って責任を余所に預けるのも一つの手です。開き直りがいい結果を生むこともあります』

 それは、ネット上で偶然見つけたサイトでハーレイが受けたアドバイスだった。ロボット背魚のためのプログラム講座のはずなのに、何故か人生相談化かしている変なサイト。

 誰だって完璧ではないのだ。足りない分は仲間に補ってもらえばいい。自分の担当分を完璧にできないからといって、他の部分への発言権を失うわけではない。できない部分はいくら助けてもらってもいい。むしろ、抱え込んで自滅する方が、周囲に迷惑をかけることになる。それに気付いた途端、ハーレイのプログラムは滑らかさを持った。

「勝たせてやりましょう」

「何言っているんですか。勝つのは私たちみんなです」

「うん」

 そうだった、とハーレイは強くうなずいた。


 かくして、今季最後のレースが始まる。

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