第5話 2
原因は、すぐにはわからなかった。
シミュレーター上では問題なくコーナーを曲がれる。ところが実際に機体を動かすと、ペダルを一杯に踏んだ途端、全ての駆動系がロックされてしまう。一旦その症状が出てしまうと、ペダルを緩めてもロックが解除されない。
これは純粋に機械的な問題だとプログラム班は主張し、シミュレータか制御プログラムのどちらかに欠陥があるのだと整備班は反論した。
議論は平行線をたどり、妥協案として、出力を九十パーセントに抑制するパッチを当てることとなった。
これによってトラブルは収まったのだが、本来の性能を出せない機体で勝てるはずもなく、続くレースで〈テンペスト〉は九着に沈んだ。
がっくりと落ち込む慧一の姿を見て感じるものがあったのだろう。スタッフは責任の押し付け合いをやめた。次の出走予定を取り消し、機体は分解整備、プログラムは一から点検をやり直した。
しかし原因はつかめない。誰もが途方に暮れた。
「参ったわね。これまでははっきりした問題ばかりだったけど、ここに来てこんなことが起きるとは思わなかったわ」
響は事務所でため息をついた。現場が気になるのだが、ことが技術的な問題だけに、自分が行っても何の役にも立たないことは承知している。多少の心得があるのか、竜之介は村雨と対策を協議するため外出していた。
事務所には響の他に、帳簿を山と積んでキーボードを叩く徹子しかいない。
「まさにレースは魔物ですか」
「そういう月並みで安直な表現、嫌いよ」
「ビジネス界では気取った表現より慣用句が好まれます。安直であるほど、誤解されるリスクは減少しますから。……そうですね、やり手と評判の人間があいまいな物言いをしたら、注意した方がよろしいですよ」
「あっそう」
しょせんあんたはそっちの人間よね。
出かかった言葉を、響は喉の奥に押し込んだ。八つ当たりをしそうになった自分を恥じる。徹子に罪はない。徹子は立場としては竜之介の個人秘書で、チームのメンバーではない。けれど彼女がチームにとって欠かせない人材であることを、響はよく理解している。
徹子は黙々とキーを打ち続けていた。何か、彼女なりに打開策の当てがあるのかと思い、響は徹子に話しかけた。
「何してるの?」
「収益の方が予想外に増えまして、その処理です」
「……へえ」
期待とは違ったが、珍しく景気のいい話を聞いた。響は徹子のデスクに寄った。脇からディスプレイをのぞき込む。
「げ」
思わず声に出してから、指差す。
「何よこれ」
ディスプレイに映っていたのは、〈サザンクラウド〉の公式サイトだった。出走予定や過去の成績、主要スタッフの紹介に関連商品の発売予定が載っている。どこのチームでもやっている広報活動の一環で、それ自体は驚くものでも何でもない。響も「監督のコメント」をいくつか頼まれ、書いた記憶がある。
響が顔をしかめたのは、
『今回はちょっと失敗しちゃいました。次こそはうまく行くと思うんですけど、アンジェラ一人では不安です。やっぱり、皆さんの励ましの言葉があるとがんばりかたが』以下は空欄。現在入力途中の一文は、伝言板ではなく別のウィンドウに表示されていた。
「……あんたが書いてるのよね? これまでのも全部」
「いけませんか?」徹子はしれっとして答えた。入力を再開。『ちがってくるんです。きっと今夜も徹夜です。もしも目の下真っ黒になっちゃったら、恥ずかしいのでサイトの写真を削除してもらおうかと考えています。そうならないように応援して下さい。ではではでは。』送信。
「アクセスが増えた分だけ、広告収入が増えますから」
スタッフ紹介ページにはもちろん、アンジェラの写真が貼ってある。入社当時のものだから、世間知らずの天然っぽい――徹子の入力した文体のイメージに近い写真だ。
あざとい。実にあざとい。
「収益が見込めるポイントを見逃すようでは、会社員は務まりません」
平然と言って、徹子は湯飲みを両手で持った。
ちょうどその時だった。
電話がけたたましく鳴り響いた。それが災害用の非常線であることに、二人は同時に気付いた。響が「ああっ、このぼろ船は」とぼやく間に、徹子は竜之介の私用端末を呼び出しにかかっていた。
『監督! 整備のアルフレッドです! 大変なことになりました!』
「今度は何が壊れたの? 避難が必要な状況?」
停泊中で良かった、と響は頭の片隅で思った。航行中に事故が起きてスタッフ全員宇宙空間に放り出される羽目になったら――考えただけでも背筋が寒くなる。
『いえ……』
アルフレッド整備士はわずかに迷い、
『雪村さんが来て暴れてます』
「誰? ……あ」
自分の前任者のプロレス大好きジジイだと思い出した途端、胃がきりきりと痛み出した。
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