第5話 1

 新型が納入された。

 その話にスタッフは、喜び半分、悲鳴半分の反応を見せた。

 新設計の機体とはつまり、これまでのノウハウが通じない機体である。

 文字通りのゼロからのスタート。

 普通、新型の建造にはパイロットの嗜好を始め、整備の経験、プログラムとの親和性など、「チームの総力」が投入される。その意味では、身内にすら秘密にしてことを進めてきた竜之介の方法は間違っている。

 しかしその問題は、村雨たち古参の復帰で、ある程度解消されていた。

 新旧の機体を比較して特徴を捉え、的確な調整を施す作業は、いくつもの機体に関わってきたベテランでなければ難しい。

 仮定の話になるが、旧来の体制を維持したまま、GDというものをよくわかったベテランの意見を中心にして、新型を建造することは十分可能だっただろう。だがそうしていた場合、若手のほとんどは今ほどの成長を見せず、テンペストが「従来機と比べてどう強くなったのか」――一歩進んで「勝つために重要な要素はどれか」がまだ理解できないはずだ。

 古参の解説を元に、若手が実作業を担う。理想的な人員配置ができあがっていた。

 調整を終えた機体は、登録のための審査に回される。審査は一週間ほどかかるが、この段階で不許可になった機体は、過去一機もない。単なる事務的な手続きだ。

 その間に、〈181リンドブルム〉のラストランがあった。

 入賞はならなかった。

 最後のレースで、リンドブルムは左腕を失い、Gドライブにも損傷を受けた。けれど、若干の推力低下のみで、きちんと完走を果たした。

「整備ががんばってくれたからだ」と慧一は思った。一方の整備班は「あの状態で最後まで保たせたのはパイロットの力量だ」と感じていた。

 リンドブルムの解体作業の前に、アンジェラが「お疲れ様」と言った。

〈181テンペスト〉が正式に登録されたのは、九月の第三週のことだった。


「……というわけで新型機の初舞台です。昨日までの日々は全部、練習だったと思って下さい」

 前検を終えたガレージ。居並ぶスタッフの前で、竜之介は訓辞を始めた。

「先月までのトラブルの数々は、想定内のことであります。今日こそが、我々の出発の日なのです。……何が言いたいのかといいますと、連敗したのは僕が無能だったからではない、とそういうことであります」

「おいおい」

 誰かが突っ込みを入れた。が、徹子の視線に黙らされる。

 竜之介は演技くさい咳払いをして続けた。

「もちろん、五十嵐監督が無能だったからでもありません。ヤン整備班長が経験不足だったからでもなければ、他の整備士の皆さんが未熟だったからでもありません。パイロットが悪くないことは、いまさら言うまでもありません。つまるところ我々は優秀なのです」

「…………」

 どこかで、すすり泣きのような音がした。

 訓辞の効果ではなく、今日までの苦労を思い出した影響だ。

 ただひたすらに負け続け、ほとんど意味のない――終わってみれば手が技術を覚えてくれたが――パーツの交換を繰り返し、明らかに使い勝手の悪い装備を調整した日々。

 スタッフの中には妻子持ちもいる。たまに家に帰って「お父さん、どうしてお父さんのチームは弱いの?」と子供に聞かれた者も少なくはない。それが理由でいじめられた子供すら、いたのかもしれない。

 そんな日々とはさようなら。

 誰もが、そう思った。

「我々は優秀です。これから何をするか、わかりますね?」

「あったり前だ!」

「やるからには勝つ!」

「銀河最速は俺たちだ!」

 自分を信じるものには祝杯をあげさせてやる。竜之介は就任時に、そう確約している。

 あの頃は誰も本気にしていなかったその言葉を、今は、信じられる。

 オーナーは目前の一勝に惑わされる人間ではなかった。明確なビジョン――長期的な戦略を持って火星に来たということを、疑う者はいなくなった。

「御堂」

 竜之介は秘書に合図した。秘書は事務員に合図。二人の事務員が前に出る。手には大きな布を持っていた。壁に貼り付ける。横断幕だ。

 その途端、スタッフが動揺を見せた。

 横断幕に書かれていたのは、ありがちなスローガンではなかった。いや、ある意味ではありがちなのだが、生半可な目標ではなかった。

『打倒! F・O・Rラングレー』

 流麗かつアグレッシブな毛筆。

 右の隅にはものすげえサイズの朱印で『南雲竜之介之印』。

 女王を倒す。それはつまり、トップリーグでの優勝を意味する。

 ――本気かよ。

 チームの勢いは確かに増しつつある。対外的な数字はまだ一つも上げていないが、これからそうなるであろうことは、慧一も疑っていなかった。

 だからといって、いきなり頂点を目指すと言われても、竜之介お得意のはったりにしか思えない。

 まずは一勝――それが大事。目標というものは、今やるべきことを明確にするために掲げるものだ。それがわからない竜之介ではないだろう。

 慧一だけではなく、スタッフも皆、同じ気持ちだった。真意を測りかねた視線が竜之介に殺到する。

 と、

 ずだぁん、というものすごい音がガレージに響いた。

 皆の視線が一斉に動いた先に、片方のパンプスを手に持った響がいた。靴底を机に叩きつけたのだろう。踵が取れかけ、机は一部がへこんでいた。

「いまさらびびるのは無し! 銀河最速というのはそういう意味でしょう! わかったら返事! 私たちは勝つの? 負けるの?」

 一瞬の間があって、

「勝つ!」


『まああんまり気負わないでね』

 慧一が機体に乗り込み出走を待ってると、通信機から、ちょっと恥ずかしそうな響の声が届いた。

『あいつの大言壮語は今に始まったことじゃないし、実際問題として、Cランクの慧一君じゃ女王とは戦えないもの。当面はB2への昇格を目指すこと。そのためにまず一勝。わかってるわね?』

 スタッフのテンションを上げるために、響はわざとやったのだ。そして、レース直前に前言をひるがえすようなことを言うのは、慧一の緊張をほぐすためだ。それがすんなり理解できる。我ながら良い精神状態だな、と慧一は思った。

 まだ固さの残る感圧スティックを、小指に引っかけてぐりぐり回す。使い込むのにどれくらいかかるだろう。その先何本のスティックをすり減らすだろう。ニキが使っているスティックは何本目だろう。女王は一体何本のスティックを使い潰したのだろう。

「監督も案外小さいこと言いますね」

『なんですって?』

 たどり着けない境地ではない、と思う。

 回路は切ったまま、あちこちのボタンを一つずつ押し込んでみる。新品のスティックはスイッチが引っかかることがある。実戦前に何度か押してほぐすのは、地味だが重要な手順だ。続いてペダルの具合を確かめる。良い仕上がりだ。ややゆるく感じるが、レース後半、体力的に辛くなったときにはこの方が助かる。

「一着で戻ります。絶対」

 勝つ楽しみを知ってやろうじゃないか。


「言うようになったねぇ」

 ドック船の管制室。竜之介は満足そうに言い、ふんぞり返った。

「僕の若い頃にそっくりだ」

「……そう言われるとなんだか不安だわ」

 とりあえず皮肉で返す響。

 オペレーターがGドライブの起動を告げた。出力正常、エラー無し。

 シミュレーションは何度も行っているが、それでも不安は残る。数値精度をどんなに上げたところで、コンピュータの演算結果は数字に過ぎないのだ。実機では何が起こるかわからない。

 響は機体のパラメータと競技宙域全景を示すモニタを交互に見ながら、出走の時を待った。

 建造時に余計に作ったパーツがあるから、二、三回は壊れても大丈夫。その後の補充は集めたデータをフィードバックさせたいから来期のこととして、ああもうそんなことより今日の戦略を考えないと。出走チームの顔ぶれからして勝てなくはない。無理をさせずに進ませるか。ああでも交戦データも欲しい。

 展示飛行の間、響はそのように考えていた。

 考え過ぎだ。

 全体を見て的確な指示を下すのが監督の仕事ではあるが、始まる前から、どんな風にレースを運ぶかなど、意識するだけ無駄だ。勝負は相手があって始まるものであり、何をどう判断するかは、その時になってみないとわからない。

「とりあえずパイロットの好きにさせたら? あいつだって新型に慣れてないんだし」

 竜之介がそう言った。珍しくいいこと言うじゃない、と響はうなずいた。

 出走機体がコースを一周して戻ってくる。進行方向に対して逆V字の編隊の右翼三番目に、本日デビューとなる〈181テンペスト〉は位置していた。

「スタートします」

 オペレーターが告げた。各機は既に出力全開に移行している。コントロールラインを越えた機体から順次、編隊を乱して思い思いのコース取りに移行していく。

「いった!」竜之介が短く叫んだ。「よく集中している」

 慧一はきれいなスタートを切り、トップの脇につけた。

 スタートの配列はハンディキャップの意味も含め、ランクの低いパイロットほど前に並べられる。GDレースはギャンブルでもあるため、番狂わせが多くなるよう、恣意的な調整があちこちに施されているのだ。それでもほとんどは上位パイロットが勝つ。スタート時のハンデは、交戦やピットインで消費する時間に比べるとそれほど多くない。

 飛ばしすぎるのは良くない、と響は考えた。頭を押さえるのは確かに有利だが、序盤で消費しすぎると、終盤で余計な時間を食う羽目になる。どうせ、いま先頭集団にいるのは小物――ここまでの慧一よりひどい成績か、あるいはほとんど経験のない新人――ばかりだ。

「慧一君、焦って前に出ることはないわ。慣らしも兼ねて燃費重視で」

『違う!監督、』

 と慧一が答えるのと、

「エラー一〇二九! 電磁筋がロックされました!」

 オペレーターが叫ぶのが一緒だった。

「へ?」

『コントロール不能! 向きが変えられない!』

 その通信を最後に、テンペストは第一コーナーに、文字通りの一直線で突っ込んでいった。戻ってこなかった。


 開始二十九秒で失格は、不本意ながら、歴代「一位」記録であった。

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