第4話 5

店に戻ると静がむくれていた。それでも、慧一の姿を認めて精一杯の笑顔を作る。

「商品はお車に運んでおきました」

 慧一は礼を言い、カードで支払いをしようとしたが、もう済んでいた。

 静は何か話したそうにしていたが、親子連れがちらほら店内に見え始めていて、レジを放り出すわけにはいかない様子だった。

「がんばって下さい」と静が手を差し出す。

 慧一は複雑な気分で握手に応じた。静の爪に残った、プライマーの白さが目に痛かった。

 店を出て車に戻る。

「おかえり」

 ハンドルに足を乗せて、竜之介は金塊のような外観の焼き菓子を食べていた。

「これがホントの金食い虫。……自分で言っておいてなんだが、つまらんな」

 慧一は黙っていた。竜之介がふざけるのは、真面目な話の前振りの場合が多い。

「ちったあやる気でたか?」

 やっぱりそうか、と思った。

 計算ずくの行動だったのだ。

 思いつきでドライブに誘ったのでも、手が足りなくて慧一を担ぎ出したのでもない。

 徐々に上向きになりつつあるチームの最後の懸念――パイロットのやる気の問題を解決するため、予定された一日だったのだ。

 スポーツ選手にとって、ファンの声援は何よりの栄養剤。

 世間ではそう言われている。

 それは半分しか正解ではない気がした。元々のやる気があって、動機付けもされていて、しかし道を見失った選手には有効な手だろう。

 慧一は、そもそもの動機が弱い。見失うほどの道が見えていない。

 それにもう一つ

 ――こんな手でおだてられるものか。

 自分の抱える問題は、それほど安直ではないという思いもあった。

 ひどい言い方をするなら「父を殺したGDレース」に、闘志をたぎらせて挑むことなど、自分にはできない。ではなぜ、今まで続けていられたのか――その自問を、慧一は黙殺した。

「回りくどいことが好きなんですね」

「策士と言ってくれ。……食べるか? 絶品だぞ」

「いりません」

「強情だな。……じゃあこういうのはどうだ? ダッシュボード開けて」

 竜之介は残っていた焼き菓子を口の中に押し込み、カードの束を指差した。

「キャッシュカードの下。そうそれ」

「……これは……」

 競技用人型航宙機械操縦免許証。発行元はGD協会月支部。登録名は「リュウノスケ・ナグモ」。十年前の日付。写真の中で、今よりもずいぶん若い、髪も短い竜之介が澄ましていた。

「……パイロットだったんですか」

「昔ね。一回も更新してないから、もう乗れっこないんだけど。人生には不要になっても捨てられないもの、があるだろう。これはその一つさ」

 二人の前を、買ったばかりのプラモデルを抱えた男の子が走り抜けた。竜之介はサングラスをちょっとずらして、男の子を見送った。その片目が白濁していることに、慧一は気付いた。

「……公式戦には一回も出られなかった。訓練校で卒業記念レースをやるだろう? 今は免許取ってしまえば卒業を待たずに契約できるから、本当にただの記念でしかないけど、昔はそうじゃなかった。スカウトマン集めてみんなで一斉に「俺はこれだけ才能ありますよ」って見せ合う機会だったんだな。一発勝負だ。負けたらそこでおしまい。昨日まで同じメシくって、徹夜で戦術を議論した連中が、みんな敵になる。情けも容赦もしない。遠慮する奴は、そもそも勝負事に向いてない。デビューするべきじゃないね」

 それで……? 

 気になったが、促せなかった。

 竜之介はサングラスを戻し、車のキーをひねった。ラジオのチューニングを変える。

『――まれていたティア・ラングレー、周囲の喧噪などものともしない堂々の一着。近頃出走回数が減ったことを危惧していたファンも、これで一安心といったところでしょうか。今、月リーグ時代からの盟友、苑原設計士に送り出され、女王が表彰台に上がりました』

 今日は日曜日。レースの日だと慧一は思い出した。そんなことも忘れていた。

「ティアと香住と僕と、言い負かすのはいつも香住で、訓練で勝つのはいつも僕で、けど、卒業記念で勝ったのはティアだった。……あれが僕の、パイロット人生の終わりだった」

 竜之介はふっと笑った。

 十年前――慧一は小学生だった。その頃のことはよく知らないが、パイロットになってから知った話では、今よりも規定がゆるく――安全基準も低かったらしい。競技中の死人も毎回のようにあって、反対運動も盛んだったと聞く。

「入院していると、同室になった患者がレース好きだったりするわけだ。それが辛かったね。僕はパイロットなんだ。退院したらすぐにでも勝ってみせる。毎日そう考えた。視力が元に戻らないって聞くまでは。再生医療でもどうにもならない場合もあるんだと」

「……どうして、またレースに関わる気になったんです」

 それには答えず、竜之介はアクセルを踏んだ。リアシートに積まれた模型の材料がかたかた揺れた。

 慧一が答えを待っていることは分かっているのだろうに、竜之介は、火星の道路事情についていきなり悪態をつき始め、続けて高級車のメリットについて語り出した。ろくでなしにカマ掘られて人生を棒に振るのはまっぴらだとか何とか。後半はまた少し真面目路線に戻ったようだが、慧一は聞き流した。車を買うほどの稼ぎもない。パイロットは体が資本なのはわかっているが、そもそもパイロットを続けるかどうかすら、はっきりしていないのだ。それにオーナーのいいなりになるのもなんだか癪だ。あんたとチャンピオンに因縁があろうが無かろうが俺には関係ない。代理で飛ぶなんてまっぴらだ。そんなことを思っていた。

 ネタが切れたか、それとも返事をしない慧一に愛想を尽かしたか、竜之介はすぐに黙ってしまった。

「ちょっと面白い噂を聞いた」

 竜之介がそう言ったのは、慧一の自宅付近に来てからだった。

「火星の四十八期の卒業記念レースで、パイロットの入れ替わりがあったらしい。本来のパイロットは裸にむかれてロッカーの中。代わりに出場していたのは、一期下の訓練生、オポチュニティ出身のちびこい女の子で、ようやく免許が取れたところだった。当たり前だけどぼこぼこにやられた。その女の子はその後、真面目に訓練に参加して、卒業を待たずにプロ契約を結んだ。……ちなみにゼッケンは八番だったそうだけど、心当たりはある?」

「ああぅ」

 とアンジェラみたいな調子で、慧一はうめいた。四十八期と言えば自分の卒業期、いっこ下で卒業前にデビューした女子選手といえば一人しかいない。

 魔女。ニキ・ボルジア。

「繰り返すけど噂だよ。しかしあれだ「私の初めてを奪った相手」にこだわっちゃうのは、何とも純だねえ」

「……そういう言い方は……」

「お気に召さない? GD関係者のギャンブルは御法度だけど、これは賭けてもいい。あの子は君に惚れている。初めての相手がぼろくそ負けているんだ。ケツひっぱたいて活を入れたくなる気持ち、僕にはよくわかるけどなあ」

 それこそ買いかぶりだと慧一は思ったが、あいにくここにニキはいない。

 竜之介は楽しそうに、鼻歌なんぞ歌っている。

「まあ考えたまえよ少年。九月からの契約をどうするか決めたらオフィスまで。書類の書き方は御堂に聞いてくれ」

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