第4話 3

 一体何を考えているのか――。

 ベッドにはぬいぐるみが押し込まれ、誰かが寝ているように見えるよう、工作がされていたそうだ。

 偽装してこっそり抜け出したということは、アンジェラは自分がまだ外出できない状態だと自覚していたはずだ。それをおしていなくなったからには、何か相当な理由があるはずだ。

 真っ先に考えられたのは、グラハムも言った通り、慧一のところ。

 あの事故は慧一が加害者、アンジェラが被害者のように見えるが、その原因はと言えばアンジェラの焦りであり、免許取り立ての船外作業での移動ミスである。

 病室でアンジェラは、自分のせいでレースを台無しにし、慧一の経歴に傷を付けてしまったことを悔いていたという。

 アンジェラが病室を抜け出したのは、慧一に謝りに行ったのではないか――グラハムたちがそう考えたのは自然な成り行きだった。

 だけど、アンジェラは慧一の家に来ていない。これから来るかもしれないので下手に動かないのが得策だ。そうは思ったが、事故で夫を亡くした美沙子の前で、似たような事故の話をさせたくなかった。

 慧一は富美にだけ事情を説明し、家を飛び出した。

 電動スクーターにまたがってキーをひねる。パイロットなら車に乗れ、それもなるべく頑丈な奴にだ、と竜之介が言っていたのをちらりと思い出す。トップアスリートが高級車に乗るのは伊達でも酔狂でもない、その方が、万一の際にも安心だからだ、と。

 そんなことは、今はどうでもいい。

 大通りを抜けて病院を目指す。途中で、ポケットの情報端末が電話呼び出しを告げた。路肩にスクーターを止めてイヤホンを引き出す。

『慧一君? 私よ』

「監督!」

 手早く情報を交換する。緊張感のせいか、二人ともレース中の交信のような声で話していた。

『そう。そっちには行ってないのね。今、しんらに降りているメンバーに招集をかけているところよ。私も探しに行きたいんだけど、こっちはこっちで大変なの。船が停電しちゃって、港にはいるんだけどハッチが開かない、空調も止まってて。このボロ船』

「大丈夫なんですか?」

 宇宙船の空調が止まるのは、乗員の死を意味する。たとえ港に降りていても、ハッチが開かないのでは、密閉された空間にいるも同じだ。

『平気よ。今、外部から給電する段取りが付いたから。でもしばらく身動きできないわ。慧一君は自宅付近を探してみて。……近くまで行ったけど決心がつかないでうろうろしているのかもしれないわ。まだ腕を吊っているから見つけるのは簡単なはずよ』

「わかりました」

 通話を終えてスクーターをUターンさせる。

 アンジェラの気持ちを想像してみる。

 謝りたいけど何を言われるかわからない。途方に暮れてうろうろする。心細い知らない土地。少し落ち着きたい。そんなときに目に入るのは――

「……公園」

 大急ぎで進路を変えて、法定速度ぎりぎりでかっ飛ばす。もっと急ぎたかったが、乗り物が貧相なのでこれが精一杯だった。それでも公園には五分で到着した。

 しかし、近所の児童公園にアンジェラの姿はなかった。遊具で遊んでいた子供をつかまえて聞いて見るも、「怪我をしたお姉ちゃん」は誰にも目撃されていなかった。

 どこに行ったのだろう。

 考えたが、わからなかった。

 自分はアンジェラのことを何も知らないのだと気づいた。一流大学卒の整備班長。ピンクの眼鏡とおかっぱ頭。不器用。その程度しか知らない。探せと言われても探しようがない。

 さらに気付く。

 チームのみんなともそうだった。

 連日顔を合わせていながら、話すことは機体の不調と交換パーツの在庫のことばかり。与えられた機体を機械的に飛ばしていただけ。慧一は、パーツの一つになっていた。機体を管理するパーツ。いや、ぶっ壊すだけのバグか。〈リンドブルム〉は、パイロット抜きで飛んでいたも同然だった。

 だから勝てないのだろう。

 わかってはいた。けれど、何のためにレースをしているのか、何のためにパイロットを続けているのか、その確固とした理由が見つからない。

 勝ちたいと思うその理由――動機がない。

 最初はもちろんあった。立派なパイロットになって、父に認められたかった。一人前になって、男と男として、ぶつかり合いたかった。

 父を理解したかった。

 年に二ヶ月しか家に帰れない仕事をしていて、どうしてああも満足気だったのか。

 何が面白くてレースをしているのか。

 答えを聞く前に、父は死んでしまった。

 戦う相手がいなくなってしまった。

『……ち。……いち、慧一!』

 耳の中で炸裂した怒鳴り声で我に返る。端末のイヤホンを突っ込んだままだった。

『聞こえてるか? 君までどこかに行ったらさすがの僕でも泣き出すぞ』

 いまいち緊張感のない竜之介の声。

「見つかりましたか?」

『アパートは外れだったが、別のところでそれらしい目撃証言が取れた。そっからだとまず第四居住区に向かって――』

「座標を送って下さい。その方が早い」

 慧一はポケットから携帯端末を取り出し、スクーターとケーブルでつないだ。火星では、あらゆる移動体にデータリンク機能が搭載されている。七万円の中古スクーターも例外ではない。

 ナビ画面に出たのは七番斜坑。地表の工業地区への通路だった。


 係員に確認すると、確かに三角巾で腕を吊った女の子を通したと言う。こんなところに何の用だ。訝りながらも、慧一はエレベーターに乗った。

 その後の追跡は簡単だった。複数の目撃証言から「上はクリーム色のパーカー、プリーツスカートにハイカットブーツが似合わない、ピンクの眼鏡をかけた女の子」の行く手は容易に知れた。

 何らかの工場なのだろう、『この先重力制御変動! 注意!』と赤書きされたプレートがかかった建物があった。門はぴっちりと閉まっている。脇に身分証を通すスリットがある。慧一は試しに、自分のIDカードを通してみた。

 開いた。

「……嘘だろ?」

 しんら住民なら誰でも入れる工場、などあるはずがなかったが、詮索は後回しにして奥へ進む。背後でドアが自動的に閉まる。

 壁の色が変わるごとに、体が浮く感覚があった。重力制御が段階的に弱くなっていく。超重量の製品を扱う工場特有の設定――重力制御技術は重力を増すだけでなく、減らすことも出来る。地球のような高重力下ではあまり効かないが、火星ではほぼ0Gに近いところまで制御可能だ。

 ふわりと浮きそうになる体を移動用のバーにつかまらせ、慧一はさらに奥へと進んだ。

 いくつかあった気密ハッチを抜ける。ロックは解除されていた。誰かが中にいるのは間違いない。おそらくは、アンジェラが。

 最後のハッチを抜ける。巨大な空間。

 床がなかった。

 ひゅうっ、と、ため息なのか感嘆なのか。ほぼ無重力になった工場を、慧一はゆっくりと降下していく。

 視線がゆっくりと、それをたどった。

 新緑の、滑らかな輝きを持つ巨大な人型。

 丸みを帯びた三角形の額。鈍い透明の輝きを持つ、バイザー状のメインカメラ。短く、詰め襟のような装甲の隙間に各種センサのケーブル。

 むき出しの肩には拘束具。本来そこにあるべき装甲は、やや離れた位置でクレーンに吊られていた。可動のために防御を犠牲にした上腕。不釣り合いにたくましい下腕。左腕にだけ、小型だが分厚い盾が装着してあった。ゆるく開いた拳には何も握られていない。

 腰回り、花びらのような――あるいは妖精の衣装のような――先細りの積層装甲。続く腿に二つのラッチ、脛にも同じく、左右で合計四つのハードポイントは、装備の解除と装着を同時に行う工夫だろう。とがったつま先は接地のことなどまるで考えていない。現に今も、床面から一メートルは浮いていた。

 仕掛け人形ギミックドール――銀河最速を目指すためだけに作られた。

「慧一さん」

 アンジェラは、ちょうど機体の股間の真下に立っていた。

 慧一は床に降り立った。

 説明は必要なかった。

 ここは工房だ。

 そして、ライトグリーンは181のチームカラーだ。

 門が開いたのは、〈サザンクラウド〉のIDが有効だったから。

 南雲グループの四男が経営に参加していて、新規のスポンサーがいくつもついて、それでも予算がなかった理由がやっとわかった。全ての資金をこの新型の開発に回していたのだ。

「……班長が、これを?」

「いいえぇ。コンセプトは出しましたけど、具体的な作業はオーナーと村雨さんで……」

 元整備班長の名前が、意外なところで出てきた。

「実を言うとですね、表向き辞めたってことになっている人、何人もここにいます」

 慧一はざっと、背後の状況を整理してみた。

 新しい機体を作るには時間と予算と、何よりも人員が必要になる。経験豊富な人間ならなお良い。現場は新米中心にしてレース経験を積ませ、ベテランを一発逆転の秘策のために暗躍させる。それをパイロットにすら秘密にする。

 いかにもあのオーナーの考えそうなことだ。

「ようやく完成ですよ。明日搬入します。……その前に一度見ておきたかったんです。出走したら、すぐに痛んじゃいますから」

 うっとりと、アンジェラは新造機体を見上げた。

 その隣で慧一は、胸の痛みのようなものを感じていた。

「……他の奴が乗った方が、いいんだろうな」

「はい?」

 アンジェラが首をかしげる。

「俺が乗ったら壊される。『すぐに痛む』ってそういうことだろう」

「違いますよ!」

 出走すれば機体は消耗する。ロールアウトの状態など保てない。アンジェラがその意味で言ったことは、慧一も理解していた。だけど、

「俺じゃダメだよ」

「そんなことありません。才能あります」

「勝てないよ。現に今だって」

「一度は一着取ってるじゃないですか!」

「あんなものまぐれだ!」

 慧一は怒鳴った。

「一度だけさ。癖のばれていない新人がトップを取るのは、GDレースじゃよくあることなんだよ。そんなありがちな、まぐれの、偶然の一勝で俺を買いかぶるのはやめてくれ。……俺なんかよりいいパイロットはいくらでもいる」

 例えば賞金女王のように、例えば魔女のように。あるいは、まだ名前を知られていない新人の中に。

 GDパイロットの登録人数は百五十を超える。慧一より優秀なのに、運に恵まれずにレースシートを得られずにいるパイロットはいくらでもいるはずだ。

「……慧一さん」

「それに俺は……俺にはレースをする理由がない」

 これ以上は本当にダメだ。引くべきなのだ。チームに迷惑がかかる。

「私は、慧一さんに乗って欲しいです。慧一さんのレースが見たいです」

「…………」

 どこかで同じことを聞いた。どこだっただろう。

 ああ、そうだ。つい先日だ。羽瀬川玩具店。

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