第4話 2

「暇してるかね、ミスターパイロット」

 サングラスにアロハシャツというくだけすぎた――似合ってはいたが――格好の竜之介が慧一を訪ねてきたのは、処分が決定した翌週のことだった。

 光線の具合によって色が変わって見えるど派手なオープンカー。ステレオから聞こえていたのは、古いアニメの主題歌だった。

「ちょいとドライブに行こう。というか運転してくれ。オーナー命令だ」

 断りたかったのだが、珍しい生き物を見るようなご近所の視線に耐えかね、慧一はハンドルを握ってしまった。

「事務所にいると息が詰まる。みんなそろって予算予算予算。そんなに僕に腎臓を売らせたいのか?」

「こんな車に乗る余裕があるなら、少しは回せって言いたくなるんでしょう」

「君も?」

「…………」

 答えない慧一を横目で見て、竜之介は「フッ……」と笑った。なんだかわからないが馬鹿にされている。そんな気がして、慧一はアクセルを強く踏んでいた。

「良い車だろう? 輸送コストを考えたら地球に置いてきた方が良かったんだろうけどね。実家に置いておくと、ゆかりに解体される危険があったんで。あ、紫ってのは一番下の妹。ウチは兄弟多いよ。男が四人に女が三人。僕は下から三番目ね。血がつながっているのはええっと……」

 そんな話は聞きたくなかった。

「用があるなら早くしてくれませんか? こういうの、好きじゃないんで」

「ん?」

「自分の成績は知っています。覚悟はできてます。いい機会なんでしょう? 解雇通告の」

「ただのドライブだよ。そこ左。……わっと。ぶつけるなよ、ここまでチューンするのに何年かかったと思ってるんだ」

 竜之介はにやにや笑っていた。それが面白くなくて、慧一はさらに高速でコーナーを攻めた。

 三十分のドライブの後、目的地に到着した。

〈羽瀬川玩具店〉

 控えめな店舗に不釣り合いな巨大な看板。駐車場はがらがらだった。

「さて慧一君」竜之介はメモ用紙を取り出した。「君の任務はこれこれを購入することにある。その間に僕は、向こうのケーキ屋に行ってくる」

「……は?」

「もうすぐ『行列しても食べられないフィナンシェ』の焼き上がり時間なのだよ。極秘の内部情報だ。この機を逃すわけにはいかない。君の運転がうまくて助かった。さすがパイロットだ。……ではっ!」

 そう言い残して、竜之介は全力で駆けていった。

 止める間などどこにもなかった。

「……はぁ……」

 ため息一つ。慧一は腕時計を見た。間もなく三時になるところだった。

 ケーキを買いに来たついでにおもちゃを――どっちが本命かは謎だが――買う予定だったのだろう。ところが時間が足りなくて、どちらもあきらめたくなかったから、強引に慧一を駆り出したのか。

 もう一回ため息。こっちは真剣に悩んでいるのに。


『シリコン十キロ。アルミ線一メートル。真鍮パイプ三ミリ五ミリ各一本。「極まる関節!」の中サイズを二セット。もりあげくん缶入り一キロさらさらちゃん二キロ。今月のD―CLUB復刻モデル全種、保存用と製作用』

「……なんだこりゃ?」

 思わず声に出てしまった。

 羽瀬川玩具店店内は、おもちゃ屋というよりホームセンターのような雰囲気だった。木材、金属板、塗料に薄め液、何故だか小石の詰まった袋や、釣り用の重りまである――火星に海はないが、釣り堀ならある――そういった「材料」に混じって、ラジコンのヘリや戦車が陳列されていた。それも箱から出してすぐ遊べるものではなく、組み立てキットばかりだ。

「……極まる関節?」

 メモに書かれた意味不明な商品も、探せばどこかにあるのだろう。しかし、模型を趣味としていない自分が探し回っても時間の無駄になるように思えた。

「あの……ちょっとすいません」

 店員を呼ぶ。レジで伝票を整理していたのは、不健康な顔色の女だった。名札には『アルバイト 伊藤静』とあった。左手の親指の爪のみが白いのは何なのだろう。

「はい! いらっしゃ……。あ、か!」

 店員は慧一を見るなり顔色を変えた。

「ちょっと探し物があるんですけ、ど?」

「クローッ!」

 出し抜けに店員が叫んだ。

「うるせーっ! いま休憩中! 寝かせろ!」

 店の奥から怒鳴り声が返ってくる。

「休憩なんかしてる暇じゃないのよすぐ来なさい今来なさい大変なのよ!」

「何だよこの時間なら一人でできるだろうが……あ」

 店の奥から出てきたのは、髪を逆立てた少年だった。こちらの名札には『アルバイト 伊藤九郎』とある。

「本物?」と、九郎は言った。

「え? 本物……ですよね?」静が言った。

「……何の?」と慧一。

 視線で火を付けられそうなほど慧一を凝視していた九郎が、頬を震わせながらうなずく。

「本物だよこの声! すげーよそっくりさんじゃねえよ。どうなってんだよ静。俺夢見てるのか?」

「夢じゃないわよ九郎あの変な人も本物のGD関係者だったのよ。パイロットに会わせてくれるって言ってたじゃない。それをあんたアダルトビデオのスカウト扱いして追い出したりして。ああもうなんてことでしょうどうしましょう」

「どうしましょうってそりゃ……」

「あの……」

 なんだか取り残されている気がして、慧一は言葉を挟んだ。

 途端、

「サイン下さい!」

 静にエプロンの裾を、九郎にカッティングマットを差し出されていた。


 模型屋になど連れて行かれたから、子供にプラモデルを作ってあげる夢を見たのだ。そこにいまださめやらぬ事故のショックが重なって、あんな結末になったのだろう。

 そう結論づけて、慧一は風呂場を出た。

 バスタオルで髪をぬぐいながら居間に入ると、隣の和室から、

「大人気じゃないのよ」

「どうしましょう?」

 そんな声が聞こえた。一つは母、美佐子の声。もう一つは、ヘルパーの小堺富美の声だった。来客――とは言い難いが――があるのならきちんとしたほうがいいな。スウェット姿の自分を見下ろし、慧一はそう思った。しかし、自分の部屋に戻る前に、母に見つかってしまった。

「あら慧一。おはよう」

「おはよう」

 とりあえず答える。

「ねえ慧一さん。ちょっと見てごらんなさい」

 脇から顔を出した富美が手招きする。下がる機会を逸して、慧一はそちらに歩いた。文机の上にパソコンをのっけて、その前に二人は座っていた。富美はパソコンの画面を指差している。

「……マダム・Kの簡単プログラム教室?」

 とりあえず呆れる。母がネット経由で社会復帰を目指していることは聞いていたが、こんなことをしていたとは。Kは小堺のKだと思いたいが、確かめる勇気はなかった。

 富美が差していたのは、「今週のお悩み」のコーナーだった。

『二十九歳の専業プログラマです。職場で自分だけが無能のような気がしてなりません。どんなプログラムが要求されているのかもわかりません。それに、自分の担当部分からだけ、バグが多く発生している気がします。職を変えるべきでしょうか?』

「悩み……」

 プログラム教室なのだからプログラムに関する技術的な悩みを送るのが普通ではないのだろうか。これではまるで人生相談だ。

「慧一ならどう答える?」

「どう、って……」

 がんばれ、というのが真っ先に浮かんだが、即座に否定。こんな陳腐な言葉でやる気を出せる人などいない。どうしてそう思うのか――慧一は気付いた。

 これは自分と同じ悩みだ。

 勝てなくて、いくらやっても勝てなくて、勝とうともあまり思ってなくて――。

 そんな人間に贈る言葉があるのか。

「ダメよ美沙子さん。慧一は口べたなんだから。……あら、電話が鳴っている」

「いいよ。俺が出る」

 逃げるようにして、慧一は居間に向かった。古風な受話器を持ち上げる。

『サザンクラウドの整備士のグラハムというものですが、風祭慧一さんはいらっしゃいますか?』

 チームからだった。自分が出て良かった、と思いながら、慧一は和室をちらりと見た。美沙子がキーを叩く手を止めてこちらを見ている。(俺宛)の意味で慧一は自分の鼻をつついた。

「俺です」

『慧一か?』

 名乗った途端、グラハムの声が変わった。

『そっちにアンジェラ行ってないか? 見舞いに行ったらベッドがぬいぐるみの山で、何か責任感じて落ち込んでたから……』

「班長が? 何?」

 飲み込めないまま問い返す。

『解れよ!』

 無茶言うな、と答える前に、グラハムは急き込んで続けた。

『アンジェラが病院を抜け出したんだ! 今、行方不明で捜索中なんだよ!』

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