第2話 3

「今何つった? もういっぺん言って見ろ」

「英語がわからないんなら何度言ってもむだだろうよ」

「んだとこら」

 二人の整備士が、今にも殴りかかりそうな剣幕で額を付き合わせていた。

「俺の英語がおかしいんなら、俺とお前は何語で話してるんだか言ってみろや腐れヤンキー」

「俺はニューヨーカーじゃない。コロニー生まれで、ついでにフランス系だ。日本語で「ヤンキー」と言ったら君みたいなやつだろう」

「すかしやがって。表出ろや。今日こそシメる」

「上等だ。真空中でハラキリさせてやる」

 二人は同時に立ち上がった。

 長期間の無重力生活で筋肉を維持するためには、地上にいるよりもハードなトレーニングを必要とする。どうせ鍛えるなら、黙々とウェイトを持ち上げるより、何か意味のある動作をした方が気分的に楽だ。ということで、格闘技は宇宙生活者のたしなみの一つになっている。二人の構えはテコンドーと少林寺拳法、なかなか様にはなっているが、人間相手に使うつもりで学んだのではないので、やはりどこか腰が入っていない。

「労災もらって田舎に帰りな!」

 日系整備士がコロニーも貫けとばかりに必殺の抜き手を繰り出す。

「やめなさい!」

 そこに、げっそりとやつれた響が駆け込んできた。

「いったい何の騒ぎ? これ以上問題を増やさないで欲しいわ」

 整備士たちは顔を合わせ、同時に、

「こいつが悪い」と言った。

 あんたら小学生か。思うが、責任者は自制しなければならないと何度も言い聞かせて、響は自分を落ち着かせた。

「……それぞれの言い分を簡潔に」

 コロニー生まれの整備士が先に口を開いた。

「先週のレースで損傷した肩パーツですが、変形は軽微です。予備パーツは残り一つしかありませんから、耐熱コーティングの上塗りだけで対処するべきだと思い、それに取りかかったところ……」

「それじゃダメだって言っただろうが。通常へこまない場所がへこんでるんだ。干渉しないかチェックして、応力測定も必要に決まってる!」

「予算も時間もないじゃないか」

「テメエが早く帰りたいだけだろうが!」

「いけないかい? どうせまた今週末には壊れるさ。コーティングの張り直しだって一回にまとめたいくらいだよ俺は」

 響はこめかみを押さえた。

 開幕戦のリタイヤを皮切りに、チームは連敗記録を順調に伸ばしている。スポンサーはまた少し減った。クルーのやる気はもう、数値化するのもばからしいほどにしか残っていない。

 それにも増して痛いのは、五月に入って村雨班長がチームを離れてしまったことだ。それまでは、修理手順だけは心配しなくて良かったのに。

「大体、殻の換装に使う予算があるなら、少しは外装にも回すべきです」

 これには同感だったのか、日系整備士もうなずいていた。コックピットを含む殻パーツは、最も耐用年数の長いパーツである。

 なぜなら、殻は機体の新規建造の際、パイロットの意向を多分に取り入れ、一点物として作成するからである。使う前から仕様が固定されているパーツなので、運用を始めると手を入れなくても良くなるのだ。逆に、装甲や四肢パーツは、レースごとの消耗が激しく、細かなバージョンアップで多額の予算が必要になる部分だ。

 これもあの帰化火星人のせいか。

 響は、ここにいないオーナーを憎らしく思った。

 竜之介はチームの台所事情を改善するという名目で、火星各地を飛び回っている……らしい。

 月初め、その竜之介から荷物が届いた。中身はタイプの違うコックピットを載せた殻が三つほど。同封の手紙には『安く手に入ったので送る。全部試してデータを取ってね』。

 整備士をいじめて何が楽しい?

 追伸もあった『シミュレーションデータでごまかしたら誰かクビにしちゃうよ。恨まれたくなかったら良きに計らってたもれ』。

 監督をいじめて何が楽しい。

「監督、どっちが正しい?」

 自分の中に負の情念が、日に日に沸いてくるのを、響は実感していた。あんの多国籍無責任め、一体どういうつもりだ。

「なあ、監督」

「く」

「…………監督?」

「くわぁっ!」と響は吠えた。「そんなことテメエで考えろこの青びょうたんども! 仮にも大学出てるんだろうがその頭は水風船か? 知恵熱で膨張して破裂するの? 違うんだったら納得いくまで話し合え! 装甲が干渉するかもしれない? かもしれないってなによ? その程度の判断もできないならあんたら二人ともいなくていいわ。代わりにプラモデルが得意な小学生でも引っ張ってくるわよ。ええその方が千倍も万倍も有能でしょうよ!」

 息が切れる。顔は真っ赤で髪はほつれまくり。こうして人は女を捨てていくのね。

 知ったことか。

「くだらないことで私の邪魔をするなっ!」

 立ちすくむ二人に鉄拳を見舞う。まだ気分は晴れない。あのアフリカもどきの顔面にヒールを突き刺すまでは収まりそうもない。しかしヤツはここにいない。いなければ探し出してやるのみ、とは当然の思考経路だった。

 響はその足で駐車場に向かい、愛車のアクセルを底まで踏み抜いた。



 時計を見ると、六時ちょうどだった。

「俺たち、何でこんなことしてるんだろうな……」

「知らん。でもわかったことがある」

 徹夜作業を終えた整備士コンビは、取り外した装甲に寄りかかって放心の体だった。

「ああ。俺もわかった」

「せーので言うか?」

「……わかってるなら言わなくてもいい」

 監督を怒らせてはいけない。

「……責任者って短気じゃなきゃ務まらないのか?」

「もう言うな」

 下がふがいないから短気にならざるを得ないのかも知れない、と日系整備士は思った。

 あの後、響は竜之介の行方を突き止められなかったらしい。案外早く戻ってきて、まだ作業をしていた二人――早く帰る方向で進めていた――を捕まえ、「このぼんくらども手抜きをすれば後から倍になって返ってくるのが何でわからないのあんたら学習能力イタチ並なの現場が予算の計算なんかしなくていいんだから今すぐ完璧に直しなさい!」とのたまったのだ。

「……最初にそう言ってくれれば十二時前に終わったよな」

「……ああ」

「気を使ったつもりだったけどな……」

「余計だってか……。はあ、……眠……」

 チームの財政が、「厳しい」という状況をとっくに通り越していることを、全員が自覚していた。それぞれが、その中で考えて行動していたのだが。

 赤字が出て困るのは整備士ではない。責任を背負った人間――監督とオーナーだ。

「……普通は、現場の無駄使いを諫めるのが監督の役目なんだけどな」

「いいから寝ようぜ。明日……じゃない、今日もまた作業があるんだ」

「そうだな……おやすみ……」

 互いに寄りかかるようにして眠りに落ちる二人。


 少しして、一人の人物がガレージに入ってきた。

 だぶだぶの、新品の作業服を着た若い女……ではなく、少女だ。おかっぱ頭にピンクの眼鏡。マグネットを仕込んだ安全靴ががっちゃんがっちゃん。今は重力制御が利いているのだから、電磁石のスイッチを切れば歩きやすくなるのに。一歩ごとにブーツが床に張り付き、その度に転びそうになっている。明らかに不慣れで、不器用な歩き方だった。

 女の子は眠る二人を見つけ、がっちゃんがっちゃん歩み寄った。

「おはようございますッ!」

 痙攣して飛び上がった二人は、息の合った動作で、外した装甲の陰に逃げ込んだ。鬼監督ではない、と先に気付いたのはどっちが先立ったか。

「……誰?」

 少女は作業服の胸を「えっへん」と張り、

「本日から一緒になります、アンジェラ・ヤンと申します! ふつつか者ですがどうぞよろしく!」

 就職のあいさつじゃないぞ、それ。二人は同時に思った。

「あ、どうも。太田です」

「グラハムです」

 間の抜けたあいさつ。先輩の威厳も何もあったもんじゃない。

「……高卒?」グラハムが聞いた。

「どうしてみんなそっちから聞くんですか?」

 アンジェラは不満げに、

「大卒ですよぅ。神州工科大の宇宙物理」

「……なっ」絶句する太田。

 中国領神州省の神州工科大と言えば、火星南半球トップクラスの大学だ。しかも宇宙物理。入学倍率で七十倍の超難関。おまけに卒業できるのは半分以下という超エリート。東京大学しんら分校に並ぶ名門中の名門。

「えーっとですね。それで、私、整備班長なんですけど、いいですか?」

 救いの女神がやってきた。

 三流ぼんくら大卒の二人は、アンジェラの背中に後光を見た、気がした。


 世の中そんなに甘くはない。

 GDとは、電子装備ぎっちりに加え、重力子推進なんていう物騒な装置を乗っけた巨大物体だ。天才だとしても、たった一人の新人が加わった程度で、劇的な性能アップができるはずもなかった。

 六月に入っても〈リンドブルム〉の不調は続いていた。その原因のほとんどは、機体の疲労によるものだった。

 金属製のお人形ギミックドールは、不滅のヒーローメカではない。針金を何度も折り曲げればいずれは折れるように、レースに参加し、何度も被弾することで、装甲だけでなく内部にもダメージが蓄積する。

 問題のあるパーツとそうでないパーツを的確に区別し、限られた時間で最善の修理を施す――それこそが、よい整備士の仕事だ。必要なのは経験に裏打ちされた技術。

 アンジェラのメッキは二日目に剥げた。

 冷静になって考えればわかることだが、宇宙物理学は惑星の運行や恒星の誕生などを扱う学問であるり、レースとは何の関係もない。いや、重力子も扱うので重なるところもあるが、役に立つかというとそうでもないのだ。重力子推進機関は機体の基幹部分なだけあって、レースの合間にちょこちょこと調整できるものではない。

 加えてアンジェラには致命的な問題があった。船外作業免許を持っていなかったのだ。これがないとピット作業に出られない。班長なら奥でふんぞり返っていればいいというものでもなく、現場責任者が機体を直接見て、その場で判断しなければならないことというのは非常に多い。それらを小さなモニタ越しに、無線でやりとりしていては、ピット作業だけでレースが終わってしまう。

 アンジェラは整備にほとんど加わらず、連日のようにロボットアームの操作練習をすることとなった。マスタースレイブ方式の作業服を着て行う、無重力での積み木遊びだ。

『にゃっ、わ、待て!』

 汎用周波数にはいつも、そんな声が聞こえていた。

 練習用のブロックを飛ばしてしまい、慌てて追いかけているのだ。恥ずかしいから聞かれたくない、とアンジェラは思っているが、就業中は安全確保のため、常に無線を開いておく決まりになっている。

『お願い行かないでー』

 ガレージで作業している整備士たちは、その度に小さく笑う。

 今期はいまだ完走の一つもなく、連敗街道爆走中。しかし、チームの雰囲気は、開幕の頃とは少し違っていた。

「ま、しょうがない」

 呟いて、グラハムは班長専用の作業服を台車に乗せた。服とは言っているが、MS作業服は、どちらかといえば整備用機材に含まれる類のものだ。つまりでたらめに重い。片付けるだけで一苦労がある。

 俺たちがしっかりしなきゃなるめえ。監督も班長もまだまだひよっこなんだ。

 そんな気持ちが、スタッフの間に芽生えていた。

 しかし勝てないのはいかんともしがたく、チームの危機は続いている。

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