第1話 5

 ニキに付けられた、似合わないあだ名の理由は二つある。

 一つはその名前。かの有名な毒殺魔、ルクレチア・ボルジアと同姓だから。血縁関係は全くなく、先祖が火星移民の際「古めかしくてはったりの効く名前を」と考えて申請したものだとか。

 もう一つの理由は戦いぶりにある。ニキは「魔法を使ったかのように」忽然と死角を取り、それこそ猛毒を使ったような、鮮やかな一撃で敵機を沈めることを得意としている。

 訓練過程を半期も繰り上げ、古豪チーム〈ハロウィン〉のテストに応募。その際に、先任パイロットをこてんぱんにのしてシートをぶんどったらしい。他にも、デビュー戦で四機を撃墜し、エース獲得の最年少記録を塗り替えるなど、既に伝説をいくつも作っている。次世代のトップランカーになること間違いなしの前途有望なパイロットだ。

 そのニキは、何故だか知らないが慧一を目の敵にしているのだ。

 デビュー二ヶ月半でB2に昇格したにも関わらず、一般開催を選んで出場することもしばしば。その予定がぴたりと慧一と――〈来島モータース〉と合致していた。そして毎度の交戦。これはもう恨まれているとしか思えないのだが、慧一には思い当たる節がない。接点があるとすれば訓練校なのだが、ニキは慧一の一期後輩なのだ。実機教習でかち合うことはあり得ないし、普段の生活でニキと遭遇した記憶も、少なくとも慧一の側にはなかった。こんな目立つ少女――問題児と一度でも遭遇していたのなら、覚えていないはずがない。

 何しに来たんだろう。

 背後からの視線を浴びながら、慧一はそればかりを考えていた。

 答えが出る前に、自宅にたどり着いてしまった。

 家には上げたくなかった。なにせ苦手な相手だ。けれど、近所には人目を避けられるような喫茶店など存在しなかったし、有名人のニキと並んで公園のベンチというのもさすがにどうかと。父の事故以来、慧一は必要以上にカメラを警戒する癖がついていたが、そうでなくても相手は魔女だ。新年早々品の良くない記者に出くわすようなことは避けたい。

 玄関の鍵は閉まっていた。美沙子もどこかに出かけたらしい。家に入れなくなるとは思っても見なかった。鍵を持たずに出たことを後悔。母子家庭の風祭家では、玄関の鍵を郵便受けに貼り付けるようなことはしていない。

「……悪い。庭に回れば縁側に座れるから」

 慧一は植え込みの間を差した。先に立って歩くが、ニキはついてこない。キャップをぐりぐり、サイズが合わないかのようにいじり回す。

「あのさ。俺に用じゃなかったの?」

 ニキは口を開け、しかし意味のある言葉は何も言わずににうつむいた。

 ――もしかして、謝りに来たのか。

 十一月の最終戦。ニキの駆る〈トリッキーブルーム〉との交戦に機体が耐えられないと判断した慧一は、速度を落としてやり過ごそうとした。だが、ニキはとんでもない速度で慧一に接近し、〈リンドブルム〉の頭部を叩きつぶした。全機が同じ方向に進むGDレースではあり得ない相対速度変化だった。何のことはない、ニキがコースを逆走したのだ。慧一をぶん殴るため。

 逆走は重大なルール違反だ。一発退場に加え、最低でも一ヶ月間の出走禁止と罰金が課せられる。違反によって負傷者が出た場合、罰則はさらに厳しくなる。超高速で飛行する機体が正面衝突してしまえば、重力制御技術で守られているはずのコックピットも無事では済まない。そのため、慧一がパイロットポイントの減少なしだったのに対し、ニキは降格寸前にまでポイントを落とした。違反があったのが最終戦だったため、出走禁止は来期の開幕日から起算される。

 なんだってそこまでしなければならなかったのか、評議会でも首をひねったに違いない。

『君は彼女にプライベートで何かしたのかね?』

 それはこっちが聞きたい、と慧一は答えた。評議会を束ねる役員は困ったような顔で、『君たちに賭けているお客さんのことを忘れてはいけない』と言った。

 ニキの審議がどんなものだったかは知らない。けれど、相当こっぴどく絞られたのだろう、と想像することはできた。

「あ、の……」

 ようやく、ニキはそう言った。言ったきり押し黙る。飛び石の一つをスニーカーでほじくり出そうとがんばり始める。慧一もさすがにいらいらしてきた。

「あ、あたしはっ!」

 顔を上げ、キャップを跳ね飛ばし、ニキは真っ赤になって叫んだ。

「あれで勝ったなんて思ってないから!」

「……は?」

「それだけっ」

 全力疾走。小柄なパイロットはあっと言う間に視界から消えた。あれだけ軽ければレースでも有利だよなぁ、と、その程度のことしか慧一には考えられなかった。

 さっぱり訳がわからないまま、慧一は魔女の落とし物を拾った。

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