第1話 3
「来島ァー! なぜだあー」
裁判所の前。報道陣もほとんどいない広場のど真ん中。
雪村朔郎はごま塩頭をかきむしり、慟哭の雄叫びを上げていた。
「ちょっとやめて下さいよ監督。恥ずかしいじゃないですか」
同行していた酒井ハーレイは、周囲を気にしてか、雪村から少し離れてそう言った。二人の間の距離が、奇妙さを余計に増しているのだが、そこまでは気が回らない。
「ここで叫んだって何も解決しないんですから。もうあきらめて帰りましょうよ」
「何だと若造ッ」
怒鳴って、雪村はハーレイにドロップキックを決めた。もんどりうって倒れる老人と若者。裁判所の門衛がトランシーバーに手をかけた。
「若造ッ! 貴様にはワシと来島の友情がわからんのかッ! この三十年、苦楽を共にしてチームを運営してきたワシらの友情がッ!」
わかるはずがなかった。ハーレイはオーナーに会ったことすらない。顔を知ったのだって、逮捕を知らせるニュースが初めてだったのだ。
二人はよろめきながら立ち上がる。雪村は高齢のため。ハーレイはプログラマ特有の体力不足のため。
「監督にも黙って、チームを脱税の隠れ蓑にした人でしょう。友情なんかとっくの昔に」
「口答えするなァッ!」
中腰からのダイビングクロスチョップ炸裂。吹っ飛ぶハーレイ。強化タイルが頬に冷たい。
「お前なんか、お前なんかクビだッ!」
「そ、それだけはっ!」
解雇で結構、あんたのチームなどこっちから願い下げだッ! と怒鳴り返せない理由は、こんな状況になるまでハーレイがチームに残留していたことからもうかがえる。
凡百なのだ。酒井ハーレイは。
火星の二大職業といえるのが、船外作業員とプログラマである。
地球から遠く離れたこの星は、移民当初から、工業と情報技術の世界だった。
食料供給を外部に頼らざるを得ない、観光、娯楽施設など臨むべくもない、という環境から、必然的にその方面での発展を遂げるしかなかったのだが、地球に比べて小さい重力は、結果的に宇宙との行き来を容易にし、通信、衛星、宇宙航行の技術をすさまじい勢いで発展させることになった。月と火星は「地面はあるけど宇宙の一部」だ。今では地球軌道を巡る衛星のほとんどが、火星の技術で作られている。それらを制御するプログラムも同様だ。
全体的な能力が高いものだから、普通の能力しか持たないものは、相対的に低く見られる。半人前のプログラマのことを、火星では「虫取り網」と呼ぶ。自分の力では何も出来ず、誰かに使ってもらわないと
凡人のハーレイは己の腕一本で世を渡ることができない。再就職も厳しいだろう。だからこそ、監督にはすぐにチームに戻ってもらい、来期のこと――具体的に言うなら来期の雇用のことを考えてもらいたかった。
警備員がこちらに歩いてくるのが見えた。ハーレイのやや遅い頭脳は必死になって回転した。ここで逮捕されでもしたら、もう本当にどうにもならなくなる。嘘でもいいから監督を説得しなければ。
「冷静になって下さい監督。監督がしっかりしないとダメなんです」
「ワシのどこが激昂しているかッ!」
怒鳴りながらかかと落としを放つ雪村。ハーレイはそれをがっしと受け止めた。火事場の――というか生活の危機による馬鹿力であった。
「むッ」
「……オーナーが帰ってきたときのためにも、今はチームを立て直さなくてはいけないのではないでしょうか? いいえ、監督の道はそれしかありません!」
僕の生活もそれしかないんです! 本音は胸の奥深く。
「まずはスポンサー巡りです。頭を下げるのは屈辱でしょう。でも、今はそれが必要なんです! 生まれ変わる〈来島モータース〉のために!」
「……言いよるな、若造」
雪村が不敵に笑った。熱いまなざしを交わす二人。
「監督ッ」
「そうと決まれば今すぐ行くか。どこからだ?」
「監督ぅッ」
真摯な思いは必ず通じる。
目を潤ませるハーレイ。その肩に、ぽんと手が置かれた。そちらを見ると、濃紺の制服を着た男。
「最初はうちにしてもらおうか?」
警棒で詰め所を指しながら、警備員はそう言った。
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