第1話 2

 レースが終わった。

 ぼろぼろだった。機体も悪ければセッティングも悪い。パイロットの状態も悪かったことは、慧一自身が自覚していた。こんな状態で勝てるものではない。

 勝つことなど誰も考えていなかった。

 チームの今後に関しても、誰も何も考えていないのは、工房の状態から一目瞭然だ。

 シーズン開幕の頃は、戻ってくるなり整備班のテンションが最高潮になったものだが、今は機体もバラバラのままガレージに転がされている。安全確保のために拘束具で床に固定しなければならないのに、その作業すら進んでいない。

 怠ける整備士をどやすはずの監督の姿もない。無理もないか、と慧一は思った。

 よくよく思い出してみると、開幕直後の好成績も、「消える前のろうそく」状態だったのではないかとさえ思えてくる。

 パイロットが一人しかいないのがもう、そのチームの行く末を暗示したようなものだ。

 元いたパイロットが、条件のほとんど変わらない別チームに移籍したのは、どこかから情報を入手していたからに違いない。おかげで慧一は、プロ一年目からメインパイロットの地位を手に入れられたのだが、他人の癖がたっぷり染みついたお下がりの機体では、勝率を上げられなくて当然だ。

 GDチーム〈181来島モータース〉は設立以来の危機に瀕していた。

 勝てない、だとか、資金がない、だとかいったレベルの話ではない。それらも深刻な問題ではあるが、どうにかして持ち直す方法がある。最下位から奇跡の急上昇を遂げたチームも――月リーグの話ではあるが――存在する。

 来島の危機はもっと根元的なところ――チーム存続の危機なのだ。

 オーナーが逮捕されたのだ。罪状は「脱税」。額は一千万円だったか二千万円だったか。

 GD関係者は前科者であってはならない、という規則がある。特に金銭がらみの犯罪に関わり、有罪が確定してしまうと、二度と業界には戻れない。これはパイロットでも整備士でもオーナーでも、その他事務方の社員でも同じである。

 GDレースはスポーツであると同時に、世界最大の賭博でもある。

 大金の動く世界には誘惑が多い。八百長防止の観点からも、金銭にルーズな――あるいは際立って強欲な――人間を受け入れるわけにはいかないのだ。

 オーナーに司直の手が伸びた時点で、〈来島モータース〉の命運は決まっていた。

 慧一は今、GD協会が廉価で貸し出している小型の輸送ドッグ船に乗っている。

 GD一機の運用を前提に、組み立てと調整、修理などが行える作りとなっているこの船は、競技会場にそのまま乗りつけられ、レース中はピットの役割も果たす需要拠点なので、レンタルで済まそうなどとは、普通考えない。本当に強いチームは、自分たちの使い勝手に合わせたドッグ船を保有している。

 来島モータースにも、半年前には自前の船があった。

 今はない。資金繰りに苦しんだ末に売ってしまった。

 オーナーの脱税に――判決が出るのはもう少し先なのだが――真っ先に反応したのはスポンサー連だった。黒いイメージが波及するのを恐れた企業が相次いで撤退を表明。

 金がなければ補修部品の発注すらままならない。GDはただ飛ばすだけでも一回数百万円の電気代がかかる乗り物だ。弾薬を補充し、壊れた装甲を張り替え、推進器が摩耗していないか確認して……。整備に必要な機材にも費用がかさむ。もちろん人件費もある。一つの機体に整備士が三十人。プログラマが十人。レースのためにはさらに監督とオペレーターと……。年間で必要な予算がざっと二十億円。平均値ではない。最低レベルの運営で二十億だ。トップランカーはその二倍以上を費やしている。

 レースの準備だけでも莫大な額が飛んでいく業界だ。スポンサーが二割抜けたら、もう、どんな成績を出しても続けられない。

 いっそ来島オーナーの刑がすぐに確定していれば、身売りなどしてチームの再建を図ることもできたのだが、裁判がそう簡単に終わるはずもなく、結果、チームは退くも進むも出来ない状態になってしまった。

 予算がなくて部品が手に入らない状況は、整備士の腕の見せ所がない、ということにつながる。

 銀河最高峰のレースに関わる技術者たちは、総じてプライドが高い。能力を十分に発揮させてくれない職場に見切りをつけ、シーズン半ばで移籍していった者もかなりいた。

 人のいなくなった組織に語るべきことは何もない。存在しないも同じだ。

 そんなチームで慧一は、最初のシーズンを終えた。通算成績二十戦一勝。被撃墜数四。復勝率は十パーセント。数字としては並だろう。新人パイロットなどこんなものだ。

 慧一の一勝は、デビュー戦での一勝だった。二戦目でも三着につけている。だが、最近の三戦は、三つともリタイヤだった。

「期待の大型新人」ともてはやされた初期と比べて、現在はあまりにもひどい。

 慧一は思う。

 そもそも、自分は争いごとに向いた人間ではなかったのだ。

 そろそろ潮時なのだ。

 居住区への通路を曲がり、自室が見えたところで、船体ががくんと揺れた。減速軌道に入ったのだ。港へ降りるのに、もう三十分といったところか。久しぶりに地面に足をつけるわけだが、開放感はなかった。どうしてこんなことを続けているのだろう。その思いに囚われていて、自室の前にいた人物に気付くのが遅れた。


「遅いわよ。コックピットで泣いていたの?」

 待っていたのは広報担当の五十嵐響だった。短く揃えた髪の下で、大振りのイヤリングが揺れている。化粧は控えめなのだが、目と口が大きいため、やけに派手な顔つきに見える。

「そんなことしませんよ」

「ならいいけど。はい、これ」

 響は四つに折りたたんだ紙を慧一に渡した。このために待っていたのだろう。受け取って開く。書面は、契約期間の終了を告げるところから始まり、形式的に慧一の能力を褒め、チームの状況を理由に、契約更新ができないことで閉じられていた。

「さっき、一報が入って。オーナー、有罪判決。控訴しないそうよ」

「そうですか」

 一つのチームが終わりを告げたのだ、と慧一は思った。

「……五十嵐さんはこれからどうします?」

「あたし?」響はちょっと考え「次は学科試験の予定」

「はい?」

 誰もいないのに、響は周囲を見回した。

「国連環境保全委員の一般公募よ」

 いきなりの話に、慧一は「はあ」としか答えられない。響は構わず続ける。

「今だから言っちゃうけど、ここでの仕事って、つなぎだったのよ。お給料はそんなでもないけど、とにかくフリーの時間が多かったから勉強にうってつけだったし」

 世間ではそれをサボりという。

「うまいこと合格したら地球に住めるのよね。馬鹿高い税金は一ドルも納めずに……って、なに言わせるのよ」

 年下の慧一はあいまいに笑って流した。

 響はレース中、実況を担当している――今となっては「していた」と言うべきか。

 GDチームはレース中、公式チャンネルとは別に、独自の音声解説を放送している。響の職を専門的には〈ブロードキャスター〉という。

『さて満身創痍の〈リンドブルム〉ですが、この程度の損傷にはパイロットの風祭も慣れっこであります。まだまだ勝負はわからない。ただいま全体の半分を終えたところ。そろそろ二度目のピットインを意識する必要が出てきましたが、おおっと! ここで風祭が仕掛けた! 不利であっても果敢に勝負を挑む、このガッツがこれまでも何度も勝利を呼び込んできました!』

 もちろん専門的な理論や戦術も解説するのだが、大体はこんな感じだ。ちなみにこの実況にあるような、半分終わって満身創痍の状況では、まず入賞は見込めない。それでも勝てそうに聞こえるのは、公平な実況をしていないからである。ブロードキャスターにとって、技術的な解説など二の次。とにかく煽って盛り上げるのが仕事だ。

「じゃあ、そういうことだから。慧一君もがんばってね。もっと良いチームから声がかかるわよ、きっと」

「はぁ」

 慧一は生返事で響を見送った。

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