チェンジ!

穂村一彦

チェンジ!

「ふーむ……」


 本棚に立てかけたハシゴの上で、オオカミが顔をしかめます。

 本をペラペラめくっては本棚に戻し、また違う本をとっては首を横に振り。


「あまり順調ではないようですね」


 ハシゴの下から私が声をかけると、オオカミは深くため息をつきました。


「ダメだね。やはり創作のネタに必要なのは生きた体験さ。リアルな表情は本からじゃ得られない」


 そう言うとニヤリと笑って、ハシゴの上から私を見下ろします。


「そういえば、博士。こんな話を知ってるかな? 最近、新種のセルリアンが……」

「もうオオカミの嘘には騙されないのですよ。私は賢いので」

「ちぇっ、ダメか。しょうがな……あっ」


 本棚へ向き直ろうとしたオオカミが、大きくバランスを崩しました。


「うわっ」


 そのまま足を踏み外し、こっちに向かって落ちてくるのです!


「うわあぁっ!」

「ちょっと待っ……いたぁっ!」


 大きな音をたてて、落ちてきたオオカミの頭と私の頭とが激突しました。

 くうっ……いっ、痛いのです!


「オオカミ! 気を付けるので……す……よ」

「いたた。ごめんごめ……ん……」

「えっ?」

「えっ?」


 言葉を失って見つめ合う我々……いえ、我々と言っていいのでしょうか?

 わ、私の目の前にいるのは……『私』なのです!?


「だ、誰ですか! あなた、なぜ私の顔を……!」


 あれ? 私の声がいつもと違うような……いえ、声だけじゃないのです! 手も、体も! 頭の上の翼もないのです!?


「これはもしや……二人の心と体が入れ替わってるようだね」


『私』が、自分の頭についた翼を触りながら、そう言います。


「そんな馬鹿な……!」


 しかし、そう叫ぶ私の声は確かにオオカミの声なのです。


「オオカミ! あなた一体何をしたのですか!」

「私は何もしてないさ。頭をぶつけたのが原因じゃないかな?」

「だったら、もう一度ぶつけるのです! きっと戻るのです!」

「まぁまぁ。急いで戻ることもないだろう? きっと貴重なネタになるよ」

「何を悠長なことを言ってるのです!」


 抵抗するオオカミの、というか、私の体を押さえつけます。オオカミは逃げようとしますが、幸い力が上なのは私の、つまり私の今の体のオオカミの……ああ、もう、ややこしいのです!


「うわっ! お、オオカミ! 博士に何をしてるのですか!」


 部屋に入ってきた助手が、争い合う我々を見て驚きの声をあげます。


「助手! 力を貸すのです! オオカミをおさえつけるのです!」


 私が助けを求めると、助手は不思議そうに首をかしげました。


「え? オオカミをおさえつければいいのです?」

「そうです! オオカミをおさえつけるのです!」

「わかりました。では」


 そう言って助手は、なんと私にのしかかってきたのです!


「な、何をするのですか、助手!」

「はあ? 自分をおさえつけてほしいと言ったのはオオカミ、あなたなのです」


 ああ、しまった! 助手からはそう見えているのでした!


「ふふっ、いやー、助かったよ、助手」


 本物のオオカミが服のホコリを払いながら立ち上がります。


「まったく。オオカミくんにも困ったものさ。なぜか急に暴れ始めたんだよ」

「なっ! 何を言ってるのですか、あなたは!」


 私は助手の瞳を見つめ、必死に訴えかけます。


「騙されてはいけませんよ、助手! 私が博士なのです!」

「はあ?」

「私は博士! で、そこの私の体は、中身がオオカミです! 我々は心と体が入れ替わったのですよ!」


 大丈夫、通じるはずなのです! ずっと一緒に過ごしてきた我々なら、どれだけ姿かたちが違っても……!


「…………はあ」


 助手は大きくため息をつき、


「馬鹿馬鹿しい……そう何度もオオカミの嘘には騙されないのですよ。我々は賢いので」


 しっ、しまったのです! この体、信用度が低すぎるのです!

 オオカミが、私の顔でニヤリと邪悪に笑います。


「ふふっ。こういうのは日ごろの行いが物を言うんだよ」

「それは普通、正直者が言うセリフなのです!」

「じゃあ助手。オオカミのことは頼んだよ。私はちょっと取材……いや、散歩に出かけてくるから」


 まずいのです! オオカミが私の体で他人と会ったりしたら……


『知らないのかい? きみたちペンギンは空を飛べるんだよ?』

『うそっ!? でも博士が言うなら間違いないわね! よし、飛んでみるわよ!』


 ひいぃっ、私の信用度まで失墜するのです!


「しかし、博士。もうすぐお昼なのです。今朝、かばんが作った料理が残ってるですよ」

「ああ、それは後で食べるよ。置いといてくれるかい?」

「……わかったのです。では、私はオオカミが逃げないようにしておけばいいのですね?」

「ああ、頼んだよ」


 オオカミが外へ出ようと、我々に背中を向けます。

 その瞬間。

 まるでつむじ風のように、音もなく助手はオオカミの……本物のオオカミの背中へと飛びつきました。


「なっ、何をするんだ!?」

「お言葉通り、オオカミが逃げないようにするのです」

「は、ははは、何を言ってるんだい? 私は博士であって……」


 助手はオオカミを羽交い絞めにしたまま、その耳元でつぶやきます。


「さぁ、ケガをしたくなければ、早く体を博士に返すのですよ、オオカミ……!」


 それはずっと一緒にいた私ですら聞いたことのない、地の底から響くような低い声。


「は……はい」


 これにはオオカミもかすれた声でうなづくしかできないのでした。


 * * * * *


 ごつっ。


「いたっ!」

「痛いのです! ……って、この声は!」


 自分の声が! ちゃんと自分の声なのです! 手、体、そして頭の上の翼を確認します。

 良かった! やはりもう一度頭をぶつければいいという仮説に間違いはありませんでした。ちゃんと戻れたのです!


「助手! 私が博士です! 名実ともに、本当の博士ですよ!」

「ええ。良かったのです、博士」


「やれやれ……もうちょっと楽しみたかったんだけどな」


 オオカミが頭のタンコブをさすりながら、


「まぁ、これはこれで良いネタになったよ。さっそく帰って漫画にするとしよう」


 と、帰っていきました。まったく、懲りないオオカミなのです。


「助手が気づいてくれて助かったのです。ありがとうなのです」

「どういたしましてなのです、博士」

「さすがは助手です! 賢いのです!」

「……それは違うのです」


 普段あまり表情を表に出さない助手が、にこっと微笑みます。


「私は博士とずっと一緒にいるのです。本物かどうかなんて、私にはちゃんとわかるのですよ」

「……そうですね!」


 その瞬間、私のおなかがグゥと鳴りました。


「ホッとしたらおなかがすいたのです。さぁ、料理を食べるのです」 

「そうですね。それでこそ、博士なのです」


 助手は楽しそうにまた微笑んで、


「料理を後回しにするなんて、本物の博士ならありえないのです」


(おわり)

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チェンジ! 穂村一彦 @homura13

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