第8話 月光-ツキアカリ-
「なんで私が……こんなに必死になってるのかしらね……」
クルーデたちを放り投げた直後、彼らを追って靄竜たちが数十頭も飛び出したのを、なんとか二体までに抑えるのが限界で。しかし抜けてしまったものは仕方がないと、きっと彼らなら、どうにか対処をしてみせるだろうと、フラルは溜め息を吐く。
――そもそも、これ以上向こうへ意識を割く余裕など。目の前に君臨するツィルニトラによって消し飛んでいた。
「まったく、似合わないったらありゃしない――!」
「ほぉら、さっさと潰されてしまえって! 床に型ぁ取って飾ってやるからさぁ!」
フラルは襲いかかる猛攻をたった一頭で抑えていた。
広間の中心で、最悪の存在と成った黒竜と対峙する赤金の竜。――あれだけ“醜い”と忌み嫌っていた己の正体を曝して。彼女は全力をもってして、目の前の脅威に抗い続ける。
何を生成したところでその巨体を貫くことも、縛ることもできず。故に彼女が取る手段はこれしか残っていなかった。――むざむざと、何もしないまま斃されるわけにはいかなかった。
叩きのめされ、姿もプライドもボロボロになって。それでも、彼女が何もかもをかなぐり捨ててこの姿を選んだのは――イグナの最期の姿を見たからに他ならない。
「醜い……? はっ」
さて、彼はどうだっただろうか――
無骨な身体に無骨な瓦礫を纏った彼の。
最後まで、パートナーのいるこの世界を守ろうとした彼の。
無茶をして、その命を散らせた彼の。
その姿は、醜かっただろうか。無様だっただろうか。
――否、醜くなどなかった。無様などでは決してなかった。
……そう感じたからこそ、私は――
「――っ! ああああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
勢いよく振り下ろされるツィルニトラの
「チィッ――腐っても
未だツィルニトラの一撃を弾き返す余力を残していたことに驚きながら、忌々しげに吐き捨てるロクァース。テリオたちを逃がしてから数分以上、今もなおツィルニトラの前に居続けるフラルに痺れを切らし始めていたのだが――
「――おぉ?」
「……もう動けなくなるだなんて。我ながら情けなくなってくるわね……」
ぐらりと揺れ、大きな音を立て、崩れ落ちるフラル。彼女が最後の力を振り絞って行ったのは――ツィルニトラへの決死の攻撃でもなく、玉座に佇むロクァースへの不意打ちでもなく。
――己の姿をヒトのものに変えることだった。
「ハッハァ――なかなかに手間をかけさせてくれたなァ。残りの奴等もすぐに後を追わせてやろうじゃあないか。……これで終わりだ、やってしまえツィルニトラ」
これが最後と言わんばかりに、ツィルニトラの腕が大きく振り上げられるものの、フラルにはそれに対応するだけの体力がもう残っていなかった。回避することも、盾を生成することもできず。いくら床を掻いたところで、身体を起き上がらせることすらできず。
――後に待つは、虫のように叩き潰される未来のみ。
「あーやだやだ……こんなみっともない死に方をするなんて……」
自身の死を悟り、薄く笑うフラル。
まだ
少し羨ましくも思って。少し悔しくも思えて。
己目がけて落ちてくる影が大きさを増していくのだけが、ゆっくりと認識できた。
そしてその風圧を身体に感じた直後――
――その影が、かき消されたかのように姿を失う。
「■■■■■■■■■■■―――!!」
その叫びは竜の咆哮を凌駕し。
その跳躍は竜の羽ばたきを凌駕し。
その一撃は竜の爪を凌駕していた。
ツィルニトラの腕が、新たに現れた影によって跳ね飛ばされる。
「――――っ」
その姿に見覚えはない。――が、その匂いはとても懐かしいもので。
フラルはやはりそうなったのかと、息を吐く。
――故に、この時点で勝敗は決していて。彼女は声にならない声で小さく笑う。予想はしていても、ここまで面白くなるとは思ってもみなかったから。キビィたちだからこそ掴めたこの結果に、言い様のない喜びを覚えたから。
「――フラル!」
「……はぁ。……当然、貴方も来てるわよねぇ」
そうしてキビィの――キビィと半同化したテリオの後に続いて現れたクルーデに、深く溜め息を吐いた。彼にだけは、こんな姿は見られたくなかったと。せめて主人として、格好良い姿のまま別れさせて欲しかったと。
「なんで……そんなにボロボロになって……」
「――――っ」
クルーデに抱きとめられ、彼の内側で変わったものを見て、はっと目を見開くフラル。そしてその身体は――徐々に光の粒子へと変わっていく。
「待ってくれっ! まだ俺は――お前に何一つ恩を返せちゃいないだろうが!」
「なぁんだ――」
必死に呼びかけるクルーデの瞳の奥に見えたのは、かつて垣間見た孤児院の風景。色のついた日常、暖かい笑顔。沢山の子供たちに、親しそうに接する婚約者の姿。
「貴方にも……帰る場所があるんじゃない」
抱きかかえているクルーデの頬にそっと手を添えて。フラルは最後の力を振り絞って柔らかく微笑む。――それは奇しくも、シエルの為に命を燃やしたイグナの、不器用ながらも想いを伝えたキビィの、最後の表情とよく似ていて。
「故郷に婚約者がいるんでしょう? この赤い糸が、きっとその子に届きますように――」
添えた方とは逆の、残った右手でクルーデの左手を握るフラル。彼女が手を離したときには、クルーデの薬指には赤金の指輪が嵌められており――それと対になるもう一つの指輪が、彼の手に握られていた。
「……それじゃあ、これでお別れだから。最後ぐらい、そんなみっともない表情は隠しておきなさい。貴方は私のパートナーだったのだから」
「…………っ! ……あぁ」
――私は私らしく。貴方は貴方らしく。
これまで一緒に旅をしてきて、培った関係をそのままに。
故に、最後に浮かべるのは泣き顔ではないだろうと。
終わりまで、高貴であれと彼女は静かに笑う。
「ありがとう……お前に拾われて、本当に幸せだった」
「こちらこそ、良い拾い物をしたわ。本当に、ね」
フラルの身体はクルーデに抱きしめられたまま、光となって消えていった。
最後に残ったのは、彼女の遺した赤金の指輪のみ。薬指に嵌められたものはそのままに、もう片方を大事に仕舞い込んだ。
「…………」
クルーデは涙を拭うと、ゆっくりと立ち上がる。――その瞳に、静かな炎を宿して。
最初の一撃で右腕が吹き飛ばされ、続く剣の応酬に右へ左へとツィルニトラが揺れる。目を凝らさなければ確認できない、そんな速度で切りかかる様はまさに暴風。
「なんだこの悪夢は……! なんだコイツはァ!」
驚愕の声を上げているのは、他でもない。
先ほどまで玉座で勝ち誇っていたロクァースだった。
ツィルニトラが残った左腕を振るって抵抗するものの、テリオが流星剣を振り上げただけで、その手先が消し飛んでしまう。完全体と成ったツィルニトラが、突如現れた何者かによって一方的に叩きのめされるなど――彼にとって悪夢以外のなんと言えるのだろうか。
なぜ今になって立ち塞がる者がいるのかと。ロクァースは頭を掻き毟りながら、現実味のない光景を眺めるしかなかった。
「邪魔をするんじゃないって――言っているだろうがぁぁぁ! もうすぐ……あと少しで神話世界の扉が開く、そうすれば――」
ありったけの魔法をテリオに向けて撃つも、効果があるようには見えず。見る見るうちにツィルニトラの腕が、肩が、頭が。テリオの一撃一撃によって切り裂かれていく。
「やめろ――やめろやめろやめろ――! 私のツィルニトラが……私の夢がこんな所で終わるはずが……」
「……あの竜も、お前の夢も――お前の命も、何もかもここで終わりだ」
両足を崩され、床へと叩きつけられるツィルニトラをただただ見ていることしかできない。そんなロクァースへと、抑揚も無くかけられる声。
「――お前はっ!? 死にかけて階下へと落ちたはず――」
「逃がしはしない。加減もしない。今、ここで――お前は確実に殺しておく。俺たち全員の怒りを、大切な者を失った痛みを、ここで
ゆっくりと迫ってくるクルーデの言葉は、間違いなく死の宣告で。テリオを止めるのに全力を出し切ったロクァースに、彼を退ける力など残っていなかった。
「このままだと、お前まで
「なんでだよォ! 力の源となった
クルーデは二度と動くことのない赤金の左腕でロクァースを殴り倒し、そのままロクァースの右腕に剣を突き立てた。軽々と肉を貫き、切っ先が水晶の床を砕いてめり込む。
「っあああぁぁぁぁあぁああぁぁぁ!?」
「どうして……?」
痛みに耐えられず、ロクァースは叫ぶ。剣を引き抜いても、のたうち回ることしかできない。そんな彼を静かに見下ろしながら――クルーデは長剣を降り下ろす。
「……ツキに見放されたんだろうさ」
空虚な玉座の前で――竜を従えた革命家の悲鳴が、ぷつんと途切れた。
クルーデの手によってロクァースは死に、ツィルニトラも流星剣を持ったテリオによって消え去り。世界が終わる可能性を孕んでいた程の死闘を乗り越えて。水晶の宮殿に最後まで残ったのは――パートナーを失った、テリオ、クルーデ、そしてシエルの三人だけ。
勝ったところで高揚感などは無く。得られたものも無く。
失ったものだけがただ大きく、重く圧し掛かっていた。
そんな三人に――月の光だけが降り注いていた。
「―――――」
ツィルニトラが消え、その力が消え。
姿を消していた月が少しずつ形を取り戻していた。
「っ――」
全身を覆っていた黒い靄が消え、その場に倒れるテリオ。そして、既に限界を越えていたクルーデも半ば気絶するように崩れ落ちる。
「ちょっと!? 私一人で担いで帰れっていうの!?」
一人取り残され戸惑うシエルだったものの、大人二人を担いで歩くことも
しかし幸いなことに、宮殿から出たところで――ツィルニトラの能力によって落ちていた長い眠りから覚めたエルミセルの住人と、外の大陸から送られてきた兵士たちによって丁重に運ばれたのだった。
――トクンッ。
シエルも、他の誰も気づかないほど小さな鼓動が――
テリオの中で、一度だけ鳴った。
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