竜記伝-終末世界の偶像竜《ツィルニトラ》- 結

第7話 晦夜に吼えて

 フラルによって階下へと放り投げられ、ただただ落下していく三人。


「ここからどうするんだ!?」


 竜であるキビィが行動不能である今、人間二人で安全に着地できる手段などあるわけもなく。フラルのパートナーとして旅をしていたクルーデならば――『任せる』と言われた彼ならば、きっとなにかあるのだろうと尋ねるものの、クルーデは呆然とフラルの残った最上階の方を向いたまま言葉を発そうとしない。


「クルーデ! このままじゃ三人とも――っ!?」


 あわや地面に激突するという寸前――三人の身体が、重力に逆らうかのようにガクンと速度を緩めた。咄嗟に反応し、何とか体勢を整え、そのまま着地するクルーデとテリオ。キビィは依然としてテリオの腕の中で弱々しい呼吸を続けていた。


「――無茶しやがって!」


 フラルの見えない糸で補助されるのは想像がついていたものの、明らかに普段とは違った様子にクルーデは走り出す。ふわりと浮かせてふわりと降ろして。そんなことは朝飯前と、いつだって軽々とやっていただけに。雑に操作された糸からはフラルの危機がありありと滲み出ていた。


 彼女をあのまま一人にしておくわけにはいかないと、クルーデが最上階への道を行こうとするも――


「こいつらっ!? 邪魔だ、どけぇ!!」


 新たに上空から降ってきた大型の靄竜二頭が、それを阻止しようと立ち塞がる。剣を構えるクルーデとテリオ――だったのだが。


「テリオ……」

「……キビィ?」


 戦闘に巻き込まれないよう地面に寝かされたキビィが、靄竜へと向かっていこうとするテリオを引き留めた。


「……っ! クルーデ!」


 その瞳の光は今にも失われそうで、まるで風前の灯のようにゆらゆらと揺らめいて。その様子から、もはや一刻の猶予はないのだとテリオは悟る。


「済まない、数分だけ……いや、数十秒だけ時間を稼いでくれ!」

「お前何を言って――」


「頼む……!」


 必死に懇願するように声を絞り出したテリオの表情は今にも泣きそうで。クルーデの脳裏に浮かんだのは、先ほどのイグナとシエルの別れの瞬間だった。力なく腕を伸ばしたキビィの様子から、否が応でも察してしまう。


 彼女ももう――最期の時が近いのだと。


「――二分だけだぞ……!」


 全ての決着は、全ての清算は――あの時、大渓谷の戦いで済ませた。何もかもを元通りに、とはいかなくても。『あれは自分の弱さが招いたもの』と、少なくとも後悔や引け目は未だに引きずっていても、テリオに対する嫉妬や恨みなどは既に無い。


 ――今もなお、己のことを“親友”と呼ぶテリオ親友の為に。


 クルーデはたった一人、壁のように立ち塞がる靄竜の前へと出たのだった。






 テリオは膝をつき、ゆっくりと上げられたキビィの手を取る。


「テリオ……あのお伽噺だがな……最後はどうなるか知ってるか?」

「……いいや」


 ――お伽噺。テリオが思い当たるのは、キビィが己の目の前で初めて竜としての正体を現した時に言っていたこと。月を食べた黒い竜の話である。


「あの後、黒の竜から月は取り上げられて――ヒトと竜が争い始めて。それから一人の少年が……ゲホッ」


 その口から少しずつ語られるのは、物語の続き。キビィが過去に誰ともわからず伝え聞いて。想いを馳せていた、そんな物語の続きの話。


「もういい……無理に喋らなくていい。このままじゃキビィが――」

「……いいから聞け。それでも……ケホッ……最後には――」


 己の無理を止めようとするテリオに逆らうように、キビィは彼の口元に手をあてる。最後まで言わせて欲しいと、そう思いを込めて。大事なことだから、聞いて欲しいと。


「―――と―――だ」

「…………?」


 それでも、キビィの口から出てくるのは掠れた言葉だけで。辛そうな空咳だけで。彼女が何を伝えようとしているのか、テリオには思うように聞き取れない。パクパクと音の伴わない言葉を吐き続けるために、彼が口元に耳を寄せようと顔を近づけたところで――


「――――っ」


 先ほどまであてていた手を頬へと添えて、キビィがそっと静かに唇を重ねた。


「……ヒトと竜が力を合わせて、月を取り戻すんだ」


『どうだ?』と微笑むキビィ。その口付けは一瞬で。突然のことだったにも関わらず、テリオの中にも驚きは無く。まるでそれが当然のことだったかのように、彼も彼女へと微笑み返す。


「……そいつはいい終わり方だ」

「そりゃあ、物語の最後はそうでないとな」


 テリオの腕の中で、キビィの身体が変化が訪れる。――終わりが訪れる。


 それはイグナの時のような光の粒ではなく。彼女の身体を構成する最小単位、黒い靄へと変わり始め。それがテリオの身体へと、少しずつ流れ込んでいた。


「キビィ……!」


 崩れてしまわないよう、しっかりと抱きかかえていた筈のキビィの姿は消え。テリオの右腕が――否、右腕だけではなく、彼の全身を黒い靄が包み始める。


『……分かるか、テリオ。あのときは単なる宿主としてだったが今は違う。私は心の底から――お前の力になりたいんだ』


 黒、黒、黒――靄によって視界が黒に包まれたテリオの内側で、キビィの声が響く。『あの時とは違うから』と語りかける。恐れないでくれと。厭わないでくれと。疎まないでくれと。


 ――自分を信じてくれと。


『恐れない、厭わない、疎まない。ここまで一緒に過ごしてきたキビィを――俺が受け入れない筈がないだろうが!』


 彼女から預かった全てを胸の中に感じ。己の内側に彼女を感じ。

 テリオは静かに頷く。


『きっちりと――落とし前を付けてやる』


 ――直後、計り知れない程の圧力が辺りに放たれた。






「――――っ!?」


 一人で二頭の靄竜を抑えていたクルーデも、その異変に目を向けざるを得なかった。彼が背後から感じたのは恐怖以外の何物では無く。


 それは幼い頃に出会った黒竜から感じたものと――かつて自分を屈服させるために顕現した赤金竜から感じたものと、何ら遜色がなかったから。


「■■■■■■■■■■■―――!!」


 ――水晶の壁の表面が、一斉に砕け落ちた。


 テリオの口から発せられたのはヒトの声ではなく、竜の鳴き声ですらない。爆発音のようなその咆哮は、天災そのもので。あたりの大気を震わせるだけには留まらず、叫びだけで床面が震え、細かい亀裂を広げていく。


「なっ――……!」


 それまでクルーデが苦戦していた大型の靄竜たちが、一瞬のうちに立ち消え,クルーデから驚愕の声が漏れる。


 ヒトの限界を遥かに超えた跳躍力でクルーデの脇を抜け、振るわれた右腕。まるでクルーデがかつて目にして、心魅かれたテリオの一閃によく似た一撃に――感情のない靄竜ですらその圧に怯み、なす術もなく引き裂かれていた。


「…………」

「テリオ……なんだよな……?」


 一瞬の出来事に呆気にとられながらクルーデが声をかけるも、テリオからの応えは返ってこない。そのまま上空を見上げ、跳び上がろうとしたテリオを遮るように声を上げたのは、イグナとの別れに泣き崩れたままだったはずのシエルだった。


「これって……どうなってるの……!? テリオは!?」

「――あそこにいる奴がそうだよ。……あいつキビィが消えた途端にこの有様だ」


 姿形は変われども、意識はどうやらあるらしく。テリオはシエルに気づいたようで、ゆっくりと向き直す。変わり果てた姿のテリオを見て、ゴクリと喉を鳴らすシエル。


「テリオ……」


 ――間に合わなかった。その事実に、シエルもショックを受ける。


「……でも、まだ終わっちゃいない。ここで諦めてしまえば、本当に終わりが来る。……まだ戦うつもりだ、俺も――テリオも」


 先ほどのテリオと同様に、最上階を見上げるクルーデ。そこでは未だフラルが自分たちのために時間を稼いでいるに違いなく、ここで終わっていいはずがなかった。


「……お願い、テリオ。これを……イグナも、一緒に連れていって欲しいの」






『なんで……こんなことをするんですか?』

『……絶対にこれが必要になる時が来るからよ。私は先に行くけど、貴方は必ずこれを運んできなさい。分かったわね』


 なぜ役目を終えたイグナを、彼が残した金属塊を加工したのか。力に多少の自信のある自分でさえも持ち上げるのがやっとの物を、なぜ彼女は辛そうな状態になりながらも作り出したのか。そして、なぜ自分にそれをテリオの元まで運ばせたのか。


 有無を言わせず投げられた指示の、その意味を――フラルの意図を全て理解したシエルは、ここまで運んできた金属塊をテリオに渡す。


 ――イグナが残した星鉄、それをフラルの能力で加工して造られた流星剣。大きさはテリオの身長の数倍どころではない。この世界に存在するどの剣よりも長く、重く。それでいて竜の爪すらも凌駕するほどの鋭さを、何もかもを切り裂く魔力を持っていた。


「…………」


 およそ剣と呼ぶには似つかわしくない代物だった。


 あまりに巨大すぎて、ヒトの手で振るうことなど到底敵わず。シエルでさえ運ぶのでやっとのそれを、テリオは軽々と担ぎ上げる。


 ――今のテリオには振るうことができる。

 そう、キビィの力を全身に纏った今のテリオならば。


 シエルが決死の想いで運んできた流星剣イグナを両手で構え直して。テリオは思いっきり大地を蹴り、直接に最上階へと向かったのだった。

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