第13話 追う者、逃げる者
「はぁ……」
腹に刃を当てられたままに、フラルはため息を吐き――大剣とクルーデの義手を一度回収したかと思うと、そのまま彼の頭部をバシリと叩く。
「痛っ!?」
「なぁにが、『俺の勝ちだな』なんだか」
呆れたように腕を組みながら、身体をくの字に曲げたクルーデを見下ろすフラル。
「私相手だったからいいものの……他の戦いで義手をそんな使い方したら、また首輪して折檻するわよ。分かってるの?」
兜に守られているとはいえ、殴られた衝撃は伝わっており。ぐわんぐわんする頭のままに、首をさするクルーデ。口をとがらせて反論をするその様子は、まるでいたずらがバレて言い訳する子供のようだった。
「そんなことを言ったってな……。現にこうして、不意を打って勝てたじゃないか」
肉を切らせて骨を断つ。左腕の義手を犠牲にしての、文字通りの捨身の一撃。実際の殺し合いをしていたのならば、あそこで刃を引き抜けばクルーデの勝利である。
「あのねぇ。そんな勝ち方しか選べないようじゃ、まだまだって話よ。……こんなことになったら、義手を失った状態でどうするつもりなのかしら」
「お、おい――!」
フラルは剣を取り、そのままの流れで刃を自分の喉へと向ける。あまりに自然な動きに、身体も反応せず声を上げることしかできないクルーデ。そんな彼の様子を楽しむように微笑みを浮かべながら、フラルは切っ先を自分の喉へ押し込む。
「…………!」
刃が気道を貫くかと思いきや――刃はフラルの皮膚に突き刺さるどころか、めり込む様子すらなく。あっけにとられるクルーデに、フラルは『嫌ね、何を焦ってるのかしら』と剣を返す。
「人化して見た目がヒトになってるとはいえ、私の本質は“竜”なのよ? もっとヒトに近づこうとすれば、少し話は変わってくるけれど――今の状態ならこんな刃程度じゃ傷もつかないわ」
「お、お前……言っていることとやっていることが違うだろうが!」
『ズルはしないから』と言っていた裏ではこの始末。よくよく考えてみれば、心を読む上に後から新しい武器を生成と、やりたい放題のフラルにクルーデは非難の声を上げる。
「まぁいいじゃないの。どうせ一撃でも食らえば貴方の勝ちにしようと思っていたんだから」
“結果としては”クルーデの勝ち。あくまで‟ただの手合せ”だったからこそ、ここで勝負がついたのである。彼が『それならば、事前に言っておけ』と口にする前に――
「言ったら言ったで、今みたいに無茶するでしょうに。……もういいわ、満足したし戻りましょう。貴方も、私に聞きたいことがあるんでしょう?」
心を読んだフラルが、先に口を開くのだった。
そうして二人は別荘へと戻り――フラルはクルーデを椅子に座らせ、新しい義手を生成する。兜も鎧も、左腕の義手も、フラルが回収した時には傷だらけで。『まだまだ戦うのが下手よねぇ』と彼女は小さく呟く。
「……何でも聞いていいんだな?」
「えぇ。貴方が勝ったのだし、もちろん答えてあげるわ」
クルーデの義手の調子を確認し終えたフラルは、向かい合うようにして椅子に座る。『さて、何が聞きたいのかしら』『分かっている癖に尋ねるなよ』とそんなやりとりを交わして。
「こういうものは様式美と言ってね。貴方が勝ちとった権利なのだから、貴方が使わないでどうするのかしら」
そうフラルに促されて、クルーデは質問を言葉にして吐き出す。
「……お前が追っている“あの子”ってのはどんな奴なんだ?」
――“あの子”。
グラチネで一度だけ、フラルが『キビィ』と呼んでいた女性のこと。フラルが世界中を旅して足跡を追っていた彼女のことをクルーデは尋ねる。
これまでにも何度か軽く尋ねたことはあるものの、明確に答えが返ってきたことは一度もない。今が全てを知るときだと、そう感じたが故の質問だった。
「私の古い友達でね。もちろん彼女も‟竜”よ、私と同じでヒトの姿になれるわ」
「“竜”……」
竜。同族。それがある種の親しみを込めて呼んでいた理由。古い友達、というのならばフラルと同じぐらいの時を生きているのだろう。
百年? 二百年? 彼女もフラルと同様に、ヒトの生活に溶けこんでいるのだろうか。フラルが彼女を追う理由はなんなのだろうか。
「この際だから全部話してあげるわよ。聞きたいことはぜーんぶ。順序を追って説明するから、少し落ち着きなさいな」
クルーデの中でそんな質問が次々に湧いてきたのを見透かしたかのように。――ように、ではなく実際に見透かしたフラルは、そんな彼を窘めながら続ける。
「ヒトの姿はその時その時で違うけど、竜の時は黒い身体をしていて――」
「黒い竜――? ……っ」
記憶のどこかでピッタリと締められた蓋に、小さな亀裂が入ったかのような。そんな痛みがクルーデを襲った。頭を押さえながらも、彼は続きを促す。
「だ、大丈夫だ。続けてくれ」
「……耐えられないようなら早めに言いなさいよ。……それでね、あの子の特徴というか固有の性質なんだけど――」
そうして話すのは、彼女の秘密とも言える事柄。本来ならば他人になど話すようなことではないものの、クルーデには十分に関係のあること。自分たちのこれまでと、これからに深く関わっているかもしれないが故に、ここで話すべきだと判断したのだった。
「黒い靄として生きていて、別の生き物に寄生することができるの。大概は自分の本来の身体に似た死体を見つけて、作り変えたりしているんだけどね」
フラルが赤金を自由に操る力とはまた別の、彼女の存在自体に関わる重要な能力。それがあるからこそ、何十年も何百年も生きることができて。実質的には死とは無縁の存在であると言っても過言ではない。
「黒い靄って……俺たちを追っていた奴か?」
「あれじゃないわ。あれとはよく似ているけど全く違う。むしろ“あの子”を真似した粗悪品というのが、私の視た感じでは一番しっくりくるわ」
あれがキビィの能力によるものならば、キビィの気配や匂いのような物があるはず。にも関わらず、あの靄竜達は何も無かったのだった。‟模造品”というにも完成度が低すぎる。真似しきれない“粗悪品”と言ってもいいぐらいの空虚さ。
それはフラルにとっては、気分が悪いこと以外の何物でもなかった。
「で、彼女の話に戻るのだけれど。きっとあの子のことであろう、ルヴニールの竜討伐で、しばらく鳴りを潜めているかと思ったところで――アヴァンとエストラを渡す渓谷で彼女の痕跡を見つけた上に、貴方が崖の上から落ちてきたってわけ」
崖の壁面を流れる黒い液体。その直後の黒竜の頭。なにより匂いが間違いなくキビィのものだったと、フラルは記憶を反芻する。
「……どういうことだ?」
「貴方の中に断片的にしか記憶がないから、これは予想でしかないけど――竜討伐の際に貴方に寄生していたキビィが、何らかの理由で貴方を襲ったってところかしらね」
「俺に……寄生……」
クルーデは左腕を、中身の無い空っぽの義手を眺めながら――記憶を失う前の自分はいったい、どれだけロクでもない人生を歩んできたのだろうと、そうぼんやりと考えていた。
「――彼女、私と違ってヒトが大好きでね。正確に言えば、ヒトの作る料理が大好きで。味覚に飢えすぎて自分の尾を齧っていたっていうのは笑い話の一つよ」
あらかた必要な情報は話し終え――それでもなにか、というならばと。そうして話しているのは、過去の彼女との思い出について。彼女を追う上での何かのきっかけになれば、とキビィの好みについて話している時だった。
「あの子ったら嗅覚も異常でね、一度嗅いだことのある臭いなら世界中のどこにいても匂いで見つけられる……って……。――っ!」
椅子から弾けたように立ち上がるフラル。どうしてこんなことを失念していたのかと、彼女は内心で舌打ちをしていた。
「まさか――クルーデ、今すぐ移動するわよ」
「……フラル?」
「同じ場所に数日間以上いただけで、何処からともなく私たちの居場所を察知してやってきたのよ。私たちはここにどれだけ滞在してたのかしら?」
「何を言っているんだ? もっと分かり易く説明してくれ」
その模造品たちが、粗悪品たちが。キビィのその嗅覚までもを真似しているのだとしたら。どれぐらいの精度、規模かは分からなくとも、この程度のかく乱ではまだ足りない可能性があった。
「あの靄竜がいつ襲ってきてもおかしくないような状況、それに加えて――真っ先に危険なのはあの
そう話しながら、ヴァ―プールへと繋がる地下洞窟に入った瞬間――
「――――」
何処からともなく。何かが燃えるような臭気が、フラルの鼻をついたのだった。
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