第12話 百花繚乱の剣舞

「ここなら人も寄ってこないし、丁度良かったわ」


 地上に出た街からも少し離れた場所。周りは殆ど山か森で、さらには魔物が生息しているために、こんな場所に別荘を立てるのはフラルぐらいのものだった。


「……これで思う存分戦えるわね」

「…………」


 止める者がおらぬが故に、彼女は辺り一帯についても好き勝手しているようで。森の中に不自然に切り開かれた場所の中心で、二人は向かい合って立っていた。クルーデは既に剣を構え、それに対してフラルは普段と変わらず、余裕を崩すことなく笑みを浮かべるばかり。


「あ、そうそう。『本物の』とは言ったけど――私はこの姿のままで相手するから」

「……それでいいのか?」


「……はぁ。貴方を拾ってから、溜め息の数が増えた気がするわ」


 不満そうな声を上げ眉をひそめるクルーデに対して、フラルは『やれやれ』と肩を竦める。剣を構えた彼を前にしたところで――その優位が決して覆ることがないことを知っているから。


「だって体格差に任せて、力押しで勝っちゃうのもつまらないのよねぇ。そんなのは全然美しくないわ。それに――」


「――――っ」


 クルーデの息を呑む声。


 闖入者ちんにゅうしゃが現れたわけでもない。フラルから攻撃されたわけでもない。それでも『不意打った』と言えば、そうともとれるだろう。


 ――ただ姿。それも再びヒトの姿へと戻るまではほんの一瞬で、三度瞬きするぐらいの極々短い時間。にも関わらず――


「……ほら見てみなさい。これだけで貴方、ふらふらじゃないの」


 剣を杖代わりにして、クルーデは崩れ落ちまいと身体を支えていた。いつかまた、目にしたときは今度こそ倒れまいと。そう決心していたのにも関わらず、身体が言うことを聞かないでいて。


 その息は荒く、大きく肩を揺らし、途切れ途切れに酸素を求めていた。


「はっ……はっ……はぁ……!」

「少しは成長してるみたいだけれど、ね。仕方ないわ、心的外傷トラウマがあろうとなかろうと――私の前に立てば、誰だってそうなるもの」


 かつては世界中に轟いた“赤金竜”の名。地域によっては恐怖の対象に、また別の地域では神とまで称えられたフラルである。人一人で敵うような存在などでは到底無く、相対して立ち竦んだまま気を失うヒトなど、それこそ山のように見てきたのだった。


「舐めるなよ……身体さえ動けば戦うのには十分――っ!」

「はい、おしまい」


 その声と同時に、クルーデの視界に赤く煌めくものが映る。


 当初は視界に捉えることすらままならなかった赤金の枷に、なんとか反応しようとするクルーデだったが――息も絶え絶えの今の状態では避けきれる筈もなく。いとも容易く拘束されてしまう。


「――となって、つまらないでしょう? 少しは楽しませて、って言ってるの」

「このっ……!」


 起き上がろうにも身動きが取れず、フラルを見上げることしかできない状態で。文字通り手も足も出ないことを情けなく感じながらも、クルーデは黙って奥歯を噛み締めることしかできなかった。






「……おい。もういいから、これを外してくれ」

「……『おい』? 『外してくれ』?」


 横たわっているクルーデに腰かけながら、フラルは笑顔を崩さず聞き返す。


「は、外してください……お願い……します……!」


 歯ぎしりをしながら頼むクルーデに、フラルは『ま、いいでしょ』と呟きながら腕を一振り、音を立てて枷が外れる。


「……それじゃあ始めるぞ」

「ちょっと待って。……兜と鎧を付けておきなさい。もちろん、上下ともよ」


「かえって動きにくくなるだろう。必要な――」

「――付けなさい」


 ぴしゃりと発せられた言葉に、クルーデの土埃を払う手が止まる。これまでとは声音もガラリと変わり、それは明白なまでの『命令』だった。


「下手をして殺してしまっては目も当てられないわ。もちろん、手加減はするのだけどね」


 フラルのどこまでも上からの目線に苛立ちを覚えながらも、その物騒な物言いと気迫に押され。しぶしぶと兜と鎧を身につけたクルーデは剣を構える。


「……そうやって、馬鹿にできるのも今のうちだぞ」

「この姿相手ならまだ戦える、と思っているのが既に大きな勘違いだと。そう言っているのだけれど――ねぇ!」


 ――先に仕掛けたのは、フラルの方からだった。


 武器をまだ構えていない状態――否、彼女の正体は赤金竜。クルーデがこれまで何度も見てきたように、指先から伸びた五線が襲い掛かっていく。


「速い――!」


 下から掬い上げるように振るった腕に合わせて、ガリガリと地面を抉っていく鋼線。クルーデはそれを剣の腹で受けながら、軌道を横へ逸らすのに精いっぱいだった。


 たとえ鎧で受けることができたとしてもリスクが高く――赤金の糸に絡めとられてしまったが最後、身動きが取れなくなり先程の二の舞になってしまう。


「おおおぉぉぉぉぉ!」


 それだけは避けなければならないと、クルーデがフラルの攻撃の間を掻い潜り、確実に迫っていく。――が、それでもなお、フラルはそこから一歩も動こうとせずに腕を振るい続けていた。


 考えがあってのことなのか、それともただの余裕か。兜と鎧を生成し、少なからず体力が削られているのにも関わらず、その動きの鋭さは衰えた様子を見せず。


 一筋、二筋、一度に五筋。時には同時に、時には時間差で。

 まずは小手調べと言わんばかりに、フラルは様々な軌道で糸を繰り出す。


 一直線に振り下ろされたものには身体ごと捻って躱し、足元を払うように迫ってきた一閃は、横宙返りの要領で飛び越えていく。――グラチネで港から船へと飛び移った時にも感じたように、まるで服の延長線とでも言わんばかりの軽さにクルーデは舌を巻く。


「赤金の鎧――! 気に入ってくれたようじゃないの!」

「だからっ! 心を読むなと言っているだろうが!」


 そして口に出したところでクルーデは気付く、気付いてしまう。

 ……心を読まれている以上、こちらの動きなど筒抜けなのでは?


「――それで? それに気が付いた貴方は、いったいどうするのかしらね!」

「心を読むような暇をやらなければいいんだろっ!」


 鋼線による斬撃の嵐の隙間に、無理やりに身体をねじ込むようにして。クルーデは真っ直ぐに剣を突き出す。放たれたその一撃は、フラルの喉元を捉えていたものの――彼女が一歩下がれば簡単に避けられてしまう、そんなギリギリ届くような距離で。


 考えが向こうにもバレている以上、足を止めるわけにもいかず。すかさず距離を詰めて二撃目へと移ろうとしたところで――フラルの行動に虚を突かれ、驚きに目を見開く。


「なっ!? 早く避け――」


 剣先が向かっている先には、依然として彼女の白く細い首があった。


「――退


 たとえ彼女の正体が“竜”だったとしても、生物の急所である以上当たれば致命傷となりかねない。クルーデ自身が止めようとしても、既に勢いがつきすぎて逸らすこともできない。


 この局面、この状況。糸での守りがあったような手ごたえなど、一撃を放った時には感じられず。今から糸で絡め捕るつもりならば、あまりにも遅すぎる。彼からすれば正気を疑わざるを得ない発言だった。


 そしてその刃が届こうとした瞬間――緋色の煌めきがクルーデの視界に映る。

 カキンと硬質な音を立てて、刃の軌道が無理やりに捻じ曲げられる。


「…………っ!?」

「あーやだやだ、そんな顔しちゃって。もしかして私が――使とでも思っていたのかしら?」


 そう言ったフラルの右手には――。左手には同色の、小型の盾が握られていた。


「こっちの方が楽しめそうだから、ね。……安心なさいな。ナヴァランに置いてあった剣とは違って、鍛錬されてないし切れ味も落ちるわ。でも……」


 盾の影から笑いかけるフラル。その風貌は剣士としてはあまりにもかけ離れえており、不釣り合いな印象が否めない。そんな彼女が剣の切っ先をクルーデへと向け、挑発するかのように彼の構えを真似する。


「これで負けたら恥ずかしいわよねぇ?」

「抜かせっ! 同じ土俵剣対剣なら、いくらでも対応のしようはあるんだよ!」


 ――挑発に応え、吼えるクルーデ。


 先ほどとは攻防が入れ替わり、クルーデの嵐のような剣技をフラルが受け続ける形となる。それでもなお、フラルは最初の位置から一歩も退くことはなく。タイミングを合わせてクルーデの剣を盾で弾き、隙が出来たところで剣を振るっていく。


 右、左と剣戟を交わす二人。赤金の煌めきと、金属が打ち合わされる火花が。二人の間で瞬き続ける。


 記憶は無くとも、騎士団に所属していたクルーデの動きは一般人とはかけ離れていた。――が、それに難なく付いていくフラルも、やはり常軌を逸していると言えるのだった。


 その剣の動きは、クルーデが纏っている鎧と同じぐらいに軽やかで。


「動きの先読みがあるにしても、これに付いてこれるなんて……!」

「まだまだ余裕は残ってるわよ。貴方の体力の方は大丈夫?」


「…………?」


 そうして間に会話を挟みながらも、刃を交わしていくうちにクルーデは異変に気付く。打ち鳴らされる金属音、ジワジワと蓄積されていく剣を握る手の痺れ。


 フラルの繰り出す一撃が、回数を重ねるごとに重たくなっていた。


 最初は軽くいなすことのできていた剣が、今では両手で受けなければ弾き飛ばされてしまうほど。これにクルーデが思い当たる理由といえば――


「――まさかっ」

「ご名答。私の身体がら作られた剣なら、。そして――」


 クルーデが振り下ろした剣を盾で受けとめ、剣を横薙ぎに降るフラル。そんなものは見切ったと、最小限の動きで剣を躱し再び攻撃に移ろうとしたところで――


「がっ――!?」


 これまで躱せていた筈の一撃が、ものの見事に脇腹へ直撃していた。決して軽傷では済まない一撃。赤金の鎧のおかげで、胴から真っ二つになることだけは避けられたが、その衝撃は確実にクルーデの内蔵を揺さぶっていた。


「その長さも当然、自由に変えられるの」

「……こんなのアリなのか……?」


 戦闘中に得物の重さも、長さも変える剣士など有るものかと。


 記憶は無くとも、それぐらいの常識はクルーデに残っていた。――否、今は常識に縛られていたと言った方が正しかった。


 今となってはフラルは盾を捨て、大型の両手剣を構えていて。


 変幻自在、百花繚乱。手を変え品を変え、赤金の華が咲き乱れる。


「まぁ、安心しなさいな。全身から棘を生やして――だなんてズルはしないから」

「そうかよ――!」


 退いても追ってくるのなら、そんなものに惑わされない距離に近づくまで。伸縮自在の剣に臆することなく、クルーデは再び距離を詰めていく。互いの剣の柄同士がぶつかるまでに接近して、ここで決めると言わんばかりに、クルーデは全力で剣を押し込む。


「おおぉぉぉぉぉ!」

「――力押しは嫌いだと言ったはずよ?」


 そう言って、フラルは――

 支えを失ったのだから、押し込んでいた形のクルーデは勢い余って倒れ込むのも必然で。作り出したその隙を、当の彼女が逃すはずが無かった。


「……全身から棘はないだろうけど――もう一本剣を持っているってことはあるわよねぇ。攻撃の手が休むなんてことは有り得ないわ。私に限っては、ね」


 一瞬のうちに完全に優位に立ったフラル。彼女は新しく生成した剣を、無防備に晒されたクルーデの背中へと振り下ろす。


「少しの間、痛みで動けないでしょうけど、悪く思わ――」

「これで……終わりだと思うなっ!」


 空を切った剣をそのまま地面に突き刺し、身体が倒れ込むのを止めた上で――クルーデは義手である左腕を振り上げる。振り下ろした剣と、振り上げた腕。刃を受け止めた義手が、ベキリと嫌な音を立てて折れ曲がる。


「ちょっと! 何を――っ!?」


 そしてクルーデは残った右腕で剣を地面から振り抜き、フラルの腹部へと刃を添わせていた。彼女の剣は義手に弾かれ、直ぐに振るうことはできない。次の瞬間にどちらが傷を負うかは、一目瞭然の状態だった。


「……俺の……勝ちだな……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る