第11話 灰色の記憶、戻れぬ場所

「地上は険しい山々に遮られていて、空でも飛ばない限り移動は困難なの。だからこうして、逐一地下へと潜る必要があるってわけ」


 クルーデがヴァープールを訪れてから、今日が最初の移動日。三つある別荘を回る為、二人は二つ目への別荘のある場所へと移動するのだが――フラルの言っていたように地上からは行き来が出来ず、再び地下へと潜る形に。ちょうど昼食時だったこともあり、二人は適当な料理店で食事を取ることにしたのだった。


「ご注文の料理をお持ちいたしましたー」

 

 二人のテーブルに料理を持ってきたのは、小さな女の子で。

 フラルはそんな彼女に、『あら、可愛い』と微笑む。


「ありがとね、お嬢ちゃん」

「ご、ごゆっくりどうぞ!」


 少女はフラルから向けられた笑顔に、顔を赤らめながらぺこりとお辞儀をすると――他にも仕事があるのかカウンターの奥へと引っ込んでいく。


「…………」

「……さっきからどうしたのよ?」


 店に着いてから――正確には少女が料理を持ってきてから顔色の悪くなっていたクルーデ。フラルが声をかけるも、彼からの返事はない。見たことのあるような症状にそれならばと、中身を覗くフラルの意識に流れ込んできたのは――






『クルーデさん! また騎士団でのこと話してよ!』

『テリオがさぁ、何回頼んでも魔物狩りに連れてってくれないから退屈でさぁ』


『おい! またお前らクルーデに無理言ってんじゃないだろうな!』


 それは色褪せたクルーデの記憶だった。


 沢山の子供に囲まれている状況――石畳の広がっている中庭で、遠くで選択物を干している青年が子供たちをたしなめていた。


 ――兄弟? 家族?


「……違うわね。きっとここは――」


 実際に訪れたことはなくとも、フラルでもだいたいの雰囲気から察することができた。おそらく孤児院のような場所なのだろう、身寄りのない子供たちが集められ、共同の場所で生活している様子。


 洗濯物の量にしても、子供の数にしても一つの家に住むには多すぎる。複数の家族が住んでいるにしても、大人の姿を見ないことをみても、何かしらの施設だと考えるのが妥当だった。


「料理屋の女の子の影響かしら……」


 まさかこんなことで一時的に記憶が戻った状態なんてと。こんなところでクルーデの過去に触れることができるなんてと、フラルは、他にも何か情報を得ることは出来ないかと、クルーデの目線を介して流れてくる映像の端々に意識を集中する。


 流石のフラルとは言えども、記憶の中の者に対して能力ちからを使うことなど不可能で。せいぜい可能なのは、あくまで人でも可能な程度。その視線、その仕草から“こう考えているだろう”というのを読み取るだけの――あくまで人でもできる程度の範囲内である。


「――――」


 例えば、先ほどの洗濯物を干していた青年――その右腕にはこの記憶の中にいるクルーデと同様に、義手が取り付けられていた。加えて、彼から言葉から伝わってくる信頼の感情。


 ――が、記憶の中でのクルーデは青年からすぐに目線を逸らし、腰のあたりに纏わりついてくる子供たちの相手へと戻っていた。そして、彼の内側に湧き上がる黒い感情。それはどこか、あの靄に似ていて――


『ちょっと!? クルーデが戻ってきたのなら私にも――』


「…………?」


 ――驚いたような女性の声が背後から聞こえ、クルーデが振り向く瞬間に。

 それまで流れていた映像がぷつりと途切れた。






「――さん! お客さん! 大丈夫です!?」


 はっと我に返った――というべきか、突然かけられた声に元の世界へと引き戻されたフラル。不用意にも深い部分まで潜りすぎていたようで、周りに気を配ることが疎かになっていたのだった。


「え、えぇ、大丈夫よ。ごめんなさい、あまりに美味しそうだったから夢中になっちゃって。ほら、クルーデ。あなたも食べなさいな」


 先ほどの少女が異変に気づいて母親に知らせたのだろう。騒ぎになっても面倒だと、フラルは愛想のよい笑顔で店主である女性に応える。


「……そうかい? 見たところ旅の人みたいだけど、無理をしないようにね」

「はい、ありがとうございます」


 それでも少し気にかけたような表情をしながらも、店主は厨房へと戻って行く。


 あまり不審な印象を持たれても、今後の動きにも支障が出てきかねない。自分にしては迂闊なことをしたと、フラルはため息を吐く。


「フラル……」

「――何かしら」


 そんな彼女に、未だ頭を押さえながらクルーデは唸るように尋ねる。


「……俺の中に、何を見た?」

「…………」


 己の身体に異変が起きた段階で、目の前の彼女に記憶を覗かれてしまうのは覚悟していて。痛みでそれどころではなかったが故に、クルーデは彼女を責めることもせずただ答えを待つ。


「あれはきっと孤児院かしらね。沢山の小さな子供たちに囲まれてたわ。それと――貴方と同じぐらいの年をした男の子が一人。右腕があなたと同じ義手で――」

「義手――ぐっ……!?」


「あーもう。今は無理に思い出さない方がいいんじゃなくて? ……ほら、水でも飲んで落ち着きなさい」


 差し出されたコップを受け取り、少しずつ喉を潤していくクルーデ。そんな彼を見て、意識を失うことはないだろうと判断したフラルは、食事を始める前にほんの少しだけ続けた。


「何から何にまで拒否反応を示しちゃって、過去の貴方は一体何をしてきたのかしら。……騎士団に所属してるような生活なら、何も不満なんてないでしょうに」

「……そんなこと、今の俺が知るわけがないだろう」


 恨めしそうに言い返すクルーデを置いて、フラルは料理を口へと運ぶ。


 多少は冷めてしまったものの、味は決して悪くは無く。十分に満足できる量の料理を腹へと収めていく。そうして満腹になった二人は、少女のいた料理店を後にして、次の別荘へと向かったのだった。






 地上へ出て別荘で何日かを過ごし、地下へと潜って次の別荘へ。ひたすらそれの繰り返しで、何事もない日常を繰り返している二人。


「あ、フラルさん。クルーデさんも、いらっしゃい」


 そうして別荘を転々とする度にヴァープールを経由しているおかげで、顔馴染の店もできるようになっていた。もちろん、例の料理店へも頻繁に足を運んでいたために、二人は店員の少女に名前を憶えられていたのだった。


「今日は何にします?」


 初めてフラルと出会った時のように顔を赤らめることもなく。今はニコニコとしている少女――ティオが、慣れた手つきで注文を受けていた。


「それじゃあ俺は――」

「これとこれを、お願いね」


 クルーデが選ぼうとした料理を、フラルが先を取って注文する。


「おい、心を読むな」

「……? い、以上でよろしいですか?」


 いつ見ても不思議なやりとりに、戸惑うティオ。二回に一度はこういった感じに、フラルが勝手にクルーデの料理も決めてしまい――


「……あぁ、それでよろしく頼む」


 当のクルーデもそれを変更することなく了承する。まるで彼が頼みたいものを分かっているかのような素振りも、フラウほどの美女ならば可能なのではないかとさえ思えるほど。


「お待たせしました!」


 それから少しして、ティオが料理を運んで来る。


「ありがとね、ティオ」

「い、いえ……こちらこそ、毎度ありがとうございます」


 丁寧に礼を言うフラルにティオはいつものようにぺこりと頭を下げ、カウンターへと戻って他の客の対応をしに行く。それをフラウは微笑みながら見送ったあと、今度はクルーデへと視線を移した。


「そろそろ拒否反応も収まってきたようじゃない」

「そりゃあ、何度も顔を合わせれば慣れてもくるさ」


 別段気にするような様子も見せず。クルーデは一旦を手を止めて答えると、再び食事へと向かう。店に来るたびに青い顔をしては、少女に心配をかけると必死に耐えていたのが初めの何回かのこと。


「靄竜もあれから出てこないしねぇ……。貴方に変化があるかどうかなんて、確かめようもないのよ」

「……もう平気だ。あの程度の‟竜”なら簡単に処理できる」


 グラチネの港で戦った時から既に何日も経っており、コンポートからこのヴァープールへの道中でも、幾度と魔物を退けてきた。別荘でも、無為に時間を過ごしていたわけではなく、フラルのによって当初あった時よりも格段に成長している。


 もう遅れをとることはないと、‟竜”と強調して自信たっぷりに言うクルーデの態度が、フラルには鼻についたようで――


「そろそろ――の竜というものを思い出させてあげようかしら?」

「――――っ!」


 その瞳の奥まで覗き込むようなフラルの目は、決して笑っていない。

 ただただ佇んでいるだけにも関わらず、竜の時と同じ威圧感を発していた。


「ちょうど力試しをしたいと思っていたところだし、特別指導といきましょうか。前も言ったと思うけど――あれはどこまで行っても紛い物なの。そうそう簡単に、本物を知った気にならないことよ」


 その笑みも、今やどこか獣じみていて。それはクルーデが――フラルと手合わせをしたいという意思を持っていたことも、一つの原因となっていた。


「その特別指導――私と戦って耐えきることができたのなら、も教えてあげる。……次の別荘が楽しみになってきたわね」

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