第15話 畏怖と妬心

「――


 燃え盛る炎の中から、キビィの声が上がる。


 ――悲鳴ではなく、呪詛でもない。体が焼かれているというのに、その声に慌てた様子などは一切なく。その異常な光景に、テリオもクルーデも、ただ茫然としていた。


「おっと。このままじゃ、あまりに無礼だな」


 まるで何事もないかのように立ち上がり、さっと服を払う。すると炎はたちどころに消え、無傷のままのキビィがそこにいた。


「キビィ……!?」

「どういうことだ! 骨も残らないどころか、火傷一つ負っていないだなんて――」


 それこそ魔法のように、幻だったかのように。刺されて開いた服の穴ですら、きれいさっぱり消えている。


「笑わせるな。に焼かれて死ぬ阿呆がどこにいる?」


 今や黒々とした舞台で、大仰な身振りでそう言い放つキビィに――震える声で反応したのはクルーデだった。


「まさか――」

「自己紹介はしなくていいな? ここまで言えば馬鹿でも分かるだろう」


 そこまで聞いて、テリオも答えに行きつく。黒い炎――というより、黒い靄。二人がそれを始めて目にしたのは何時の事だったか。


「……あの時の竜か……?」


「半分正解だな。正確に言えば――あの時、竜の体を依代にしていた呪いそのものだよ、私は。死に際にお前たちから腕を奪った結果、その時に呪いとしてその力を与えて――」

「お前がぁぁぁぁぁぁ!」


 キビィが全て言い終わらないうちに駆け出し、襲い掛かろうとするクルーデ。その標的は――テリオからキビィへと移っていた。


「――――っ」


 しかし、その刃はキビィへと届かない。


 テリオは一足で回り込み、キビィへと振るわれる剣を右手で受けとめていた。通常ならば義手が歪むほどの衝撃を軽々と受け止め、ギリリと刃の部分を


 不可能を可能にしたその右腕は――クルーデと同様に、黒い靄で形成された黒腕となっていた。


「また……お前が邪魔をするのか……!」

「…………」


 無言でキビィを庇ったテリオだったが、その瞳には迷いの色は無い。そんなテリオの態度に、クルーデの怒りは更に燃え上がる。


「自分の腕を食ったやつを庇ってるんだぞ、お前……!」

「……そうだな。だからと言って――キビィを殺させるわけにはいかない!」


 テリオの握っていた部分から、ベキンッという金属の折れる音が鳴る。それと共に、クルーデの剣は先から三分の一を失っていた。


「っ!?」


 剣を握り折るほどの握力に、クルーデは目を見張る。テリオの周りに漂う黒い靄は、今もなお量を増やし続けていた。


「なんで……これほどまでに差が……」


 クルーデが力を得たことを自覚したのは、村を襲撃した日よりも遥か前――

騎士団に入って間もない頃だった。その時には、それが呪いだという認識もなく。日々戦い続けることで、己の内で力が大きくなっていくのを感じていた。


「数年間ずっと戦い続けて、ここまでの力を得たんだぞ!?」


 呪いによって、徐々に増していく破壊衝動。それから逃げるように、戦場で戦い続ける。そうした悪循環の中で、危うい均衡を保ちながら生活していたクルーデだったが――あることをきっかけに、それが一気に崩れ始めた。


 ――世界の胎動。

 テリオが激痛に倒れた、あの時。


 あの瞬間をきっかけに呪いが爆発的に活性化し、己の中の破壊衝動を抑えきれなくなった結果が、騎士団長やルヴニールに行った襲撃である。


「どうして俺じゃないんだ!? どうして!!」

「クルーデ……」


 喉が張り裂けるかのような咆哮。鬼気迫るその様は、一匹の獣のようで。そんな時、警戒を強めるテリオの脇をすり抜けるように――ゆらりとキビィが前に出た。


「……分かっているだろうに。哀れな奴だ」


 目の前に立つキビィから発せられる圧力に、テリオまでもが総毛立つ。不穏な気配を察知したクルーデは、後ろに飛び退き、落ちていたルティスの剣を拾った。


 しかしキビィは気にした様子も見せず、真っ直ぐにクルーデを指さす。


退?」

「――っ!」


「…………?」


 キビィの言葉にビクリと身体を震わせ、動揺を見せるクルーデだったが、テリオには何の話をしているのかが理解できない。 


退

「違うっ! 俺は退いてなんか――」


 それは幼少期、二人が両腕を失った瞬間。呪いという存在であるキビィが竜の身体を失い、二人の身体に宿った時の話だった。


 クルーデは弁明するように声を上げるが、キビィは構わず続ける。


「その時に私は次の憑代を決めた。相応しいのはお前よりもテリオだと判断した」


 正確に言うなれば、テリオたちを襲ったのは憑代となっていた竜の意思であり、キビィはそれを俯瞰で見ていたに過ぎない。しかし――だからこそ、その時の状況を誰よりも理解していた。


 突きだされた二本の剣のうち、上顎を貫いたのはテリオのもので。一歩退くどころか、ことも、キビィは全て見ていた。


 その瞬間を見ていないルティスには、それがどちらの剣かは判断できないのは当然で、クルーデも腕を食われた衝撃で、そんなことを考えている余裕などない。


この力は腰抜けが手にするには勿体なさすぎる。本来ならば全て、テリオが持っている筈なんだ」

「…………」


 真実を知るのは、貫いた感触をその手に感じることのできたテリオと――貫かれながらも、その腕を味わい貪った黒竜のみである。もちろん、その感覚は全てキビィも受けていた。


「お前は、

「――――っ!」 


 その言葉に、クルーデの過去の記憶が呼び起こされた。






 二人が片腕を失うよりも前――


 今となっては簡単に狩れるような小型の魔物に、ミーテが襲われた時があった。

 クルーデが助けようにも、距離は離れていて。

 傍にいるテリオも、クルーデからみれば頼りない。


あいつテリオじゃ、ミーテは守れない――! せめて少しでも時間を稼いでくれれば……』


 そう思いながら、全力で走って。走って、走って――


 テリオがミーテの盾となって、前に出たのを見た瞬間。

 クルーデにとって、信じられない事態が起こったのだった。


 テリオが腰に提げていた剣を抜いたかと思うと――

 次の瞬間には音もなく、魔物の体が縦に真っ二つになっていた。


 網膜に焼き付くかのような、輝く弧状の軌跡。


 ――心を奪われた一閃だった。

 クルーデが、初めて騎士団長の剣筋を見た時以来の感動だった。


 ……そして同時に、子供心に恐怖を感じた。

 ‟普段は隠しているだけで、これがテリオの本来の実力なのではないか”と。


 村の中で、一番騎士団に近いという自尊心。

 それが音を立てて、崩れていったのだった。


 まさか、一番自信のある剣の道で。

 まさか、自分の後ろを付いてきただけのテリオに。


 それからのクルーデは、何かあるごとにテリオと競うようになった。


『テリオが常に本気だったのなら、今頃騎士団に近いのは――』


 そしてその度に勝利を収めていたが――

 却ってクルーデの自尊心を傷つけていく悪循環が発生していた。


『今まで手を抜いていたのは、本当に剣の腕だけなのか?』


 自分が収まっている、優等生としての立ち位置。

 それは、手にしているのではないかと。


『いつか、その日が来たら――』


 彼は、本来得られるべき全てのモノを放棄して。

 そのおこぼれによって、自分は生きているのだと。


『俺の周りにいる奴等は、テリオに移っていくんじゃないか?』


 彼女ミーテの隣に、誰よりも近くにいれるこの場所も――

 彼からの同情によって、譲渡されたものなのではないかと。


 心の中でテリオを見下しながら生きてきた日常が。

 徐々に、地獄へと変わっていた。






「また、お前が――お前の影が付き纏うのかよォ!」


 ――それは爆発に近かった。


 靄が吹き出し、勢いを増して。クルーデの黒腕が、急激に形を変える。


「……残滓の分際で――本来ならばあり得ないことだが」


 輪郭を失ったそれは次第に凝縮されていき、竜の頭を形作り始めていた。


「衝動に任せて戦っていた奴のエネルギーは、さぞかし美味かったんだろうな? なぁ、“私”よ。だから、そこまで力を取り戻すことができたんだろう?」


「邪魔なんだよォ! いつもいつもいつもォ――!」


 クルーデの叫びに呼応するように、腕から溢れだす靄は依然としてとどまる気配を見せない。見る見るうちに大きさを増していき、人一人ならば簡単に丸飲みできる程へと変化していく。


「無駄だ、諦めろ。そんなに、私が、テリオが負けることは無い。――お前ではテリオに敵わない」

「それだけは認める訳にはいかない! 今まで歯を食いしばって耐えてきたんだ、俺はァ!」


 クルーデの左腕に発生した黒竜が、キビィを一飲みにしようとあぎとを開く。しかし、キビィはそれに怯む様子も見せず――


 ただただ静かに嗤うだけだった。

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