第14話 黒の奔流
「いい店だったな。毎日でも食べに来ていいぐらいだ」
「あぁ……」
店主に送り出されたテリオたちは、クルーデを追うために渓谷の入口へと向かっていた。
「クルーデはエストラに向かっている筈。加えて休息を十分に取る暇も無かっただろう。ならば、急いで追えば間に合う可能性は十分にある」
テリオたちが今いるアヴァンからエストラへと向かうには、大陸を二分している渓谷を渡らなければならない。その深さたるや、底では異界の生物が跋扈していると噂される程で。この世界の中でも、特に人の手の入っていない場所と言っても過言ではない。
「アヴァンを出れば、じきに向こう側へ渡る橋も見えてくる。交易商人たちが使うルートだろうから、しっかりとした橋もかかっている筈だ」
「よし――行こう、キビィ」
止まらないと決心したテリオの足取りは強く、キビィもそれについて駆け出す。そんなテリオ達の前方を、大きな塊が――馬に乗って駆けていくルティスが横切った。
「あれは――騎士団長!?」
「……? 団長とやらは、クルーデによって致命傷を負ったのではなかったのか?」
「そのはずなんだが……」
致命傷を負ってしばらくは安静と、テリオはファリネの街で確かに聞いたはずだった。団員が嘘をついたわけではないのなら、傷を負いながらもここまでクルーデを追ってきたということになる。
「ともあれ、手負いの団長が直々に出てきたということは――」
「この先にクルーデがいるのは、まず間違いないということか」
「なっ……橋が……落とされている?」
アヴァンから真っ直ぐに渓谷へと向かった二人を待っていたのは、大きく口を開けた渓谷だった。人々を渡すためにあるはずの吊り橋は、遥か向こうの崖にぶら下がっており、岸壁に叩きつけられた衝撃で所々が砕けている。
「まさかクルーデが……?」
「テリオ、落ち着け。渡り切ったあとに橋を落としたのなら、橋はこちら側にぶら下がっていなければおかしいだろう? ここから下って別のルートで向こうを目指したに違いない。そして――それは騎士団長も同じだ」
キビィの言ったように、橋の手前には先ほどルティスが乗っていた馬が繋がれていた。
「足場が細い場所があるからな、馬での移動はかえって危険だと判断したんだろう」
「……団長一人なのか」
いくら騎士団長だからといって、今は手負いの状態。クルーデも万全の状態ではないとはいえ、果たして勝てるのだろうか。廃屋敷での、なす術もなく黒い炎の元に倒れた団員たちの姿をテリオは思い出す。
そうして二人は崖を下っていくのだが、ろくに手の入っていない道に案内の表示などあるわけもなく。思ったように、歩を進めることもままならなかった。
「……
「――?」
そう言うなり、迷いなくテリオより先に進んで行くキビィ。
一刻の猶予もない今、進んで行く根拠を問おうかと一瞬考えはしたものの――テリオは彼女の言葉を信じ、先導に従って崖道を駆けて行く。
「……久しぶりに嗅ぐ臭いだ」
先を走るキビィはテリオに聞こえない声でそう呟き、不愉快そうに鼻を鳴らしていた。
そうしてエストラまでの道のりを、半分ほど進んだかというあたり。切り出されるようにして大きく開けた場所に、目的のクルーデはいた。
「……追ってきたか、テリオ」
――辺りには、さっきまで戦闘していた痕跡。地面は抉れ、岸壁には深く傷が走っている。クルーデも息を切らし、血を流し――テリオの攻撃によって破壊された義手は今、地面に転がっている。しかし、そこには大きな違和感が。
「クルーデ……その腕は……」
――失われたはずの左腕が、あるべき姿に戻っていた。それは義手ではなく。ましてや、肉ですらなく。禍々しい黒い塊となって、そこに納まっていた。
「この腕のおかげで、こいつにもリベンジできた。もう――俺を止めることができる奴などいない」
クルーデはテリオに見せつけるよう、手を
「見ろよ、この腕を」
黒い靄によって形成された腕――黒腕は、元々クルーデのものであったかのように動いていた。その左腕が剣の柄を握る。
「腕を失ったという、過去さえ捨て去ることができた証だ。――お前とは違うことの証しだ」
黒腕と合わせた両手で、長剣を構えるクルーデ。その視線もこれまでとは違い、真っ直ぐにテリオを見据えている。対してテリオもクルーデから視線を外すことなく。剣を構えながらも、静かにキビィに指示を出していた。
「……キビィ、戦闘が始まったらクルーデを団長から引き離す。その隙を見て、倒れている団長を担いで離れていてくれるか」
普通ならば、常人よりも一回り大きな体躯を持つ団長を担いで離れるなど、到底不可能に近いのだろう。――が、自分を軽々と投げ飛ばせたキビィの身体能力ならば、それも可能だとテリオは踏んでいた。
「言われなくてもそうする。お前はクルーデにだけに集中していればいい」
キビィの『最初からそのつもりだ』と言わんばかりの返事。そして、テリオがクルーデとの一騎打ちに集中できるようにと、一歩後ろに下がった。それを確認したテリオは、剣の柄を更に強く握る。
「……これ以上、お前に間違いを犯させるわけにはいかない」
「何度も同じことを言わせるな。今までが間違ってたからこうなってんだ」
テリオの出方を窺うかのように、剣の切っ先を向けているクルーデ。彼の周りを回っている黒い靄に、テリオは見覚えがあった。
「“俺を止めることができる奴などいない”? ふざけたことを言うなよ」
――ルヴニールの村を襲ったときにも、クルーデの周りを漂っていた。
「まだ俺がいるぞ、クルーデ!」
――いや、もっと昔にも……。
「それなら、お前を殺せば全て解決なんだろぉ! テリオォ!」
二人同時に前へと飛び出し――互いが、激しく剣をぶつけ合う。
義手の代わりに黒腕を得たクルーデの剣は、迅く、重く。テリオはその一撃を受ける度に、軽々と弾き飛ばされていた。
もちろんクルーデは距離を詰め、更に一撃、二撃と剣を振るう。幾重もの斬撃を受けていくごとに、テリオの剣を握る手に痛みと痺れが走る。
「そんなもので俺を止めるつもりか? どうやったって無理だろうが! 落ちこぼれだったお前がぁ!」
「…………っ!」
テリオはひたすらに歯を食いしばり、耐え続ける。クルーデからの攻撃を受ける度に間合いを調整し、ルティスが倒れていた場所から、少しずつだが確実に距離を離していた。
現にキビィはルティスの元へと辿りついており、あとはどうやって反撃に出るかと、テリオは思考を巡らしていたのだが――
「……お前の考えていることなんか、お見通しなんだよ」
クルーデの周りを回っていた靄が、急激に速度を増したのだった。そして次の瞬間にそれは、テリオを囲むようにして一気に立ち昇る。
「なにっ――!?」
得体の知れない黒いカーテン。テリオは跳んで躱そうとしたものの、黒い渦となったそれは完全にテリオを捕らえた。
一瞬の隙を突かれ、外部から遮断されてしまったテリオ。
――視界は一面の黒。
黒、黒、黒黒黒黒黒。
クルーデの操る黒い靄によって、視界が完全に奪われていた。
「――やられた……!」
渦に向かって剣を振るったところで、手ごたえはなく。そして、クルーデの次に取る行動を察知することができない。命を握られる感覚に恐怖を覚えながらも、窮地に追い込まれたテリオは極限まで集中し、静かにクルーデの攻撃に備える。
しかし、クルーデが取った行動は――
「……テリオにとどめをさすチャンスではないのか?」
ルティスを担ぎ上げ、この場を離れようとしたキビィの前に立ち塞がっていた。少女が己の身体よりも数倍大きな男性を担ぎ上げる異様な光景を見てか――目を細めて問いかけるクルーデ。
「……お前のその気配、村の時からいたな。テリオを助けたのはお前か」
「そうだが? 命を助けた対価として、各国を回る間の護衛を頼んだ」
これまで散々目の前で脅威を振りまいていた男を前にしても、何事も無いかのように淡々と受け答えをするキビィ。余裕の表情を崩すことなく、抱えていたルティスを地面に下ろす。
「――つまり、お前がここまでテリオを連れてきたんだな?」
「……だったらどうする? 黙ってやられるほど、私も間抜けではないぞ?」
「決まっている――」
「――ッ! テリオ!」
「キビィ!?」
突如、聞こえてきたキビィの声。テリオがその方向に向くと――靄の壁を突き破る様に、クルーデの黒腕が眼前へと伸びてきた。
「――っ!?」
慌てて黒腕を切り払い、なんとか回避したテリオ。再び不意打ちを受けるわけにはいかないと、一か八か黒腕が伸びてきた方向へ飛び込む。黒い靄の壁を抜けたテリオの視界に映ったのは――
「――どうにも目障りで仕方なかったんだ。……これ以上、俺の前に
「っ――……!」
クルーデの長剣によって、深々と貫かれたキビィの姿。
「キ……ビィ……?」
勢いよく剣を引き抜かれ、地面に崩れ落ちた瞬間――黒い炎がキビィの体を包む。
――悲鳴すら上がらない。時が止まったかのように、静かに炎だけが周りを黒く照らしている。口元に笑みを浮かべているクルーデ、その目の内でゆらりと黒炎が揺らめいていた。
「これで、あとはお前だけだなぁ! テリオォ!」
「あああぁぁあぁぁああああっ!!」
――テリオが咆える。怒りか、悲しみか。そして、溢れ出るのは声、感情――それだけではなかった。
「なっ――!?」
ぼとぼとと零れ落ちるのは、血の赤。ではなく、黒。クルーデが操っていたものと同様のそれが、テリオの義手の付け根から漏れ出していく。
――それは次第に激しく、まるで堤防が決壊したかのように。止まる気配を見せぬまま延々と湧き続け、辺りを黒い水面へと変貌させていった。
「お前だけは――!」
溢れ出る黒い靄の中心で、一筋の黒い涙を零しながら。テリオは再び、剣を構え直したのだった。
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