第13話 涙の味

 あれから二日、ようやくアヴァンへと辿りついた二人を出迎えたのは――


「見てみろ! ここは楽園だ、理想郷だ!」

「これは……凄いな」


 衣をたっぷりとつけられた肉が、魚が――油が跳ねる音を鳴らしながら、黄金色へと染まり、赤、黄、緑で彩られた野菜が、極上のステージを作り上げる。


 それらは視覚から、嗅覚から、聴覚から。二人の五感を刺激して誘惑していた。


「甘、酸、塩、辛、苦――。味の五要素とどこかの国では言っていたな。それらの全てがこの街には集まっている。もちろん、この街の外にもまだ見たことのない料理があるだろうが、それでも、この街には食の街と言われるだけの多彩さがある」


 踊り子のように天を仰ぎ、両手を広げ、クルクルと回るキビィ。旅で得た知識を、まるで歌でも口遊くちずさむかのように披露する。 


「ゆっくりはできないのは分かっているが、ここの料理を食べてみろ。いや、こんな環境で食べずに素通りできる奴などいる筈がない!」

「『今日はアヴァンに着くまで、食事は我慢するぞ!』と言っていたのはキビィじゃないか……」


 腹の空いている状態で食事を我慢するなど、キビィにとっては拷問に等しい行為で。にも関わらず道中我慢してきたのは、アヴァンの料理が待っていることが分かっていたからこそ。その言葉には有無を言わせない勢いがあった。


「さぁ、どこで腹を満たそうか! テリオよ選ぶがいい!」

「屋台で食べるのも落ち着かないな……」


 えらく上機嫌なキビィに悪く思いながらも、どこか適当な所で済ませようと視線を巡らすテリオ。できるだけ人の少なそうな店を、と。そんなテリオの目に偶然入ったのは――建物の影、店のドアに乱暴に書き殴られている《壁の穴》の文字だった。

 

「《壁の穴》……」


 他の料理店に比べると見劣りする、といったレベルではない。看板も申し訳程度にしか置いておらず、ギリギリそれが料理店だと判断できる程度の外装である。


「大丈夫だよな……?」


 恐る恐るテリオが入口のドアを押し開けると――カランカランとベルが鳴る。『客が来たぞ』と店内に知らせる音が、無人のホールに響く。


「……誰もいないではないか」


 外装から受けた印象から不審な顔をしていたキビィだったが、それも最初だけのこと。席に勝手に着くなり、鼻を鳴らせて嬉しそうに呟いた。


「店の奥から漂ってくるこの香り……。テリオ、いい店を見つけたな」

「……そいつは良かった」


 キビィは一心不乱にメニューへと視線を走らせながら、またもや旅の中で得た豆知識を披露する。


「そもそも、《壁の穴》とは隠れ家という意味の比喩表現だ」


『店主も腕に余程の自信があるのだろう』と、通ぶるキビィ。美味しい料理を追い求める能力は、それこそテリオにとっては舌を巻くぐらいで。例えるならば、獣が獲物を見つけ出すかの如くである。


「あぁ、キビィの嗅覚は信頼してるよ」

「……ん? ひょっとして、馬鹿にされていないか……?」


「おう、こんな閑古鳥が鳴くような店に来るたぁ、モノ好きだなアンタら」


 キビィが口元をひくつかせながらテリオに迫ろうとしていると、店の男から店主が現れた。料理人というよりも山賊の方が似合っているのではないかと思う程、粗野な印象の、髭を生やした強面の男。


「飯を食いに来たんだろ、何がいい?」

「とりあえず、これとこれとこれと――」


「そんなにがっつかなくても料理が出てくる時間は変わらねぇぜ、譲ちゃん。で、そっちの兄ちゃんは?」


 そんな外見に物怖じすることもなく、間髪入れず注文を始めて。店主はそれに苦笑しながら、テリオにも注文を促すのだが――


「俺は……何でもいいです。キビィ、適当に選んでくれ」

「……はぁ。まったくお前は……」


 相変わらず調子の変わらないテリオに、キビィはため息を零す。


「それじゃあ――……む?」

「…………」


 キビィがテリオの分に新たに注文を付け足そうとしたのだが、その様子に店長は何を思ったのか、メニューを下げ――


「お嬢ちゃんの注文はこれでいいんだな?」


 そのままテリオの頭を鷲掴みにし、そのままワシワシと撫でまわした。


「――っ!?」

「しけた面してんじゃねぇよ坊主。特製のまかない料理を出してやるから待ってろ」


「――まかない!?」


 突然の店主の対応に困惑するテリオとは対象に、キビィの表情は輝きを増していた。これはサプライズと言わんばかりに、声まで上擦っている。


「それは噂に聞くところの裏メニューというやつじゃないのか!? いいのか、大将!?」

「こんな顔で店を出られたら、そいつぁ営業妨害ってやつだぜ。人間、美味いもんを食やぁ、自然と笑顔になるようにできてんだ」


 そう言うなり、唖然とするテリオを置いてドスドスと厨房へと戻って行く店主。厨房の奥からは炎が上がる音や、調理器具が打ち鳴らされる音が漏れ出て――それが匂いへと替わると、あっという間に一つ、二つとテーブルの上に料理が並べられてゆく。


「ほらよ。残りもすぐ出してやっから、もう暫く待っときな」


 まずはキビィの注文した料理がテーブルにずらりと揃い、店主が再び厨房に戻ったあたりでテリオはポツリと呟く。


「クルーデを追うと、口に出しているけどさ……」


 他に客がいないからか、その口から出てきたのは逡巡だった。


「正直、どうしたらいいのか迷っているんだ。どうなるのかが分からないんだ。またクルーデに追いついた時、俺はクルーデを止められるのかって……」

「……いいから食え。冷めては勿体ないぞ」


 そうキビィに促されるテリオだったが、その食は殆ど進んでいない。遂にはフォークを置き、項垂れ、弱音が口から零れていく。クルーデの言葉の数々が、テリオの脳内でぐるぐると渦巻いていたのだった。


「もう、何をしたって……。元には戻れないんじゃないかって」

「テリオ……お前がそんなことでどうする!」


 痺れを切らし、勢いよく立ち上がるキビィ。声は怒気に溢れているものの、その表情はテリオ以上に辛そうに歪んでいた。


「何か大切なものを守るときだけは決して退かない。それがお前だろう?」

「…………」


 身を乗り出し、テリオの胸倉を掴み引き寄せる。その勢いは鼻にでも噛みつきかねない程で。


「『クルーデはいつも輝いていた』。お前はそう言ったが、一瞬だけ見せる、お前のその輝きだけは何よりも美しいと感じた。それは――初めて目にした時から、私の目に焼き付いて離れない」

「……え?」


 逸らされていたテリオの視線が、キビィの方に向けられる。


 ――目が合う。


「私が本当に、ただ料理を食って回るためだけにお前に付いて来たと思うか? いざという時は私がお前の片腕になってやる。いくらでも支えてやる。だからせめて――この戦いだけは、お前の納得のいく決着をつけてみせろ」

「――――っ」


 それが正しいのか、間違っているのか。信じられるものは自分だけという、不安の中で――支えてやるというキビィの言葉が、テリオには何よりも温かく感じられた。


「ほら、に出してやった料理だ。味わって食えよ」


 ――差し出される一杯のスープ。


 店主が最後の注文である、まかない料理を持ってくる。本来ならば客に出されるものではないそれは、粗野で、粗雑で、けれども見る者が手を出さずにはいられない。そんな魅力をもっていた。


 キビィが息を呑みながら料理を眺めていると、入口の方でカランとベルが鳴った。店長の足元には、表にあった看板が。それは、閉店――二人の貸し切りを表していた。


 口元で人差し指を立て、『静かに』のポーズ。厳つい外見に恐ろしく似合わない仕草で、キビィは思わず眉間に皺をよせる。


「――――」


 新しく客が入ってくることはなく。店内にいるのは店長とテリオたちのみ。キビィも息を潜め、外の世界から隔離されたこの空間で、テリオの料理を掬う音だけが響いていた。


 ゆっくりとスープの入ったスプーンを口元に寄せ――そして、一口。


「――美味い……!」


 ――ほんの少しだけ塩辛く感じるはずの料理は、不思議なことに何よりも絶妙な味付けで。テリオには、それで完成していると思える程に美味しく感じられた。


 涙をこぼしながら食事を口に運ぶテリオ。


「ほんの少しだけ塩味を抑えてんだよ。料理ってのは食材だけで決まるんじゃねぇ。むしろ見えない、細かい部分で行われる味付けの方が大切だと俺は思っている。好みや気分で味の感じ方は変わるだろ? 食うやつのことを考えて作らねえで、なにが料理人だって話だ」

「…………」


 そう言って、再びテリオの頭をワシワシと撫でまわす。力の加減もクソもない乱暴なものだったが、店主の誰かを励ます時の癖のようなもので。それを感じ取ったテリオは黙って受け入れる。


「……私には少し物足りないが」


 料理を突きながらキビィがそう呟くと――


「今回はそこの坊主へのサービスだ。お嬢ちゃんには、次に来たときに最高の

裏メニューを出してやるよ」


 破顔と呼ぶに相応しい笑顔で、店主は言うのだった。

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