第5話 旅の道連れは突然に
――雨。昼間にテリオが見た雨雲は、今や大雨を呼び込んでいて。孤児院の外は真っ白で、まるで滝のような低い音が、途切れなく室内に響いていた。
意識を失うまでの出来事が、
村の所々で燃え上がる炎、村の人達の悲鳴、その中心にいたクルーデ。己を切り倒し、止めを刺そうとするも倒れてくる建物に阻まれ。背を向けて去っていく彼にテリオは手を伸ばす。
「待ってくれクルーデ!」
必死に伸ばしたその手が届くことはなく。逆に距離は離れていく一方。完全にクルーデの背中が見えなくなったところで世界は切り替わり――テリオは自分が勢いよくベッドから起き上がっていたことに気が付いた。
「……テリオ?」
目を覚ましたテリオの視界に映ったのは、見慣れた天井、見慣れたベッド。幼少期から今まで、長い時を過ごした孤児院の自室だった。そして傍らには見慣れた人影。ミーテとカリダの姿はあるものの、テリオの命を救った謎の少女の姿はそこには無い。
「テリオ! 心配したんだから!」
「ミーテ……」
ベッドから顔を上げたミーテの目は赤く腫れており、疲れの色も濃く出ていた。それもその筈、カリダたちが雨の中に倒れていたテリオを孤児院へと連れ帰ってから今まで。一度もベッドから離れず、付きっ切りの看病をしていたためである。
「ミーテ……気持ちは分かるけど、テリオは目を覚ましたばかりだよ。あんまり騒ぐと身体に響く」
過去に似たような経験がある以上、仕方のないことだと理解しているカリダだったが、それでもミーテをそっと
「……ごめんなさい、先生」
院長と生徒というよりも、まるで親子のような二人。ミーテが孤児院を出て、すっかり見ることの無かった光景、テリオもその懐かしい空気に暫く浸っていたい気持ちはあったが、自分が気絶したその後のことについて、尋ねずにはいられなかった。
「……クルーデは? それに村は――」
「…………」
「……クルーデはまたどこかにいっちまった。あの子は……どうして……」
カリダ達がテリオを見つけた時には、既にクルーデは姿を消していた。あれから村の外に逃亡した以降、何も情報は入ってきていないらしく、ミーテは不安そうな表情で沈黙している。
「火事になった家は、どれも復旧できる程度の被害だったよ。直後に大雨が降ったのが幸いしたんだね。ただ――」
「ただ? もしかして誰か――」
鈍るカリダの言葉に不安を隠せないテリオ。火を放っただけでも大事だけれど――世話になってきた村の人まで手をかけるほどに? そうまでいかなくとも、彼は既に騎士団長を手にかけている。親友が重ねていく罪の重さに、テリオの胸が痛む。
「いや、人に被害は無かったんだ。ただ、村にあった高見台だけは、真っ黒に焼け焦げて倒れていたけどねぇ……」
高見台――テリオとクルーデの戦闘の時に倒壊した建物だった。
「そう考えると、運が良かったのか……」
焼け落ちながら、二人の頭上目がけて倒れてきた柱や煉瓦。あれが無ければ、クルーデの一撃が中断されて無ければ、剣は確実にテリオを貫いていた。
そしてあの時、黒髪の少女がいなければ――
「あの子はどこに行ったんだ……?」
「……あの子って?」
そもそもが朦朧とした意識の中での出来事だったため、テリオもはっきりと思い出すことができない。少なくともこの村では見慣れない姿をしていた記憶があった。きっとカリダもミーテも見ればすぐに分かると思ったのだったが、二人とも首を横に振る。
「倒れていたあんたを見つけたときには、まわりに誰もいなかったよ」
「……気のせいだったのか? でも……」
――そんなはずはない。確かに助けられた。言葉も交わした。でないと自分がここで寝ているはずがない。はっきりとしない記憶を何度も反芻するテリオ。
「とりあえず、今は休みな。クルーデについても……きっと待っていれば、なにか報せが届くさ。……あんたもクルーデも、あんまり私を心配させないでおくれよ」
そして日は変わり、翌日の朝。前日の大雨はすっかりと上がり、空には雲一つない程の快晴で。外で小鳥が囀っている中、テリオはベッドの上でぼんやりとそれを眺めていた。
傷が回復するまでは仕事も休みだとカリダに言われ、テリオは大人しくベッドで休むことを余儀なくされていた。そんな彼の代わりに、誰が子供たちの面倒を見ているかというと――
「ちょっとテリオ、石鹸の替えってどこに仕舞ってあるんだっけ」
「あ、あぁ。途中で整理して場所が変わってるからな……裏の倉庫にまとめて置いてあるよ」
――ミーテが孤児院に顔を出していたのだった。孤児院にいたときから年長組の中でも年下の面倒を見るのは彼女の役目という感じだったので、院の子供たちから歓迎されていたのだが、時折り彼女は、空模様とは真反対に曇っている表情を浮かべていた。
「……ミーテだって辛いんじゃないのか。無理をしなくても――」
「こうして動いている方が、気を紛らわせられるから……。それに……待つこと自体は今までとそう変わらないわよ」
テリオが心配して声をかけるも、彼女は薄く笑いながらそう言うばかり。
「――――」
「ミーテ……」
その様子は一日経っても変わらず。時折誰かが尋ねてくる度に、何か新しい情報が入ってきたのではないかと、期待と怯えの混じったようなその視線を向けているのがテリオには気になっていた。
――そんな療養生活が数日続き、その夜。
テリオの状態は順調に回復していた。森の薬草の効果もあってか腹の傷もほぼ塞がり、今では一人でベッドから降りて動き回れる程。再び開かないよう、あと数日は安静にとカリダとミーテには言われていたが――テリオは旅立つことを決心していた。
あまり表に出さなくはなったものの、やはりクルーデの話が出る度にミーテは辛そうにしている。……ミーテだけではない。カリダも、村の人たちも。その時の状況を知らない孤児院の子供たちでさえ、その空気を敏感に感じ取っていた。あれが何かの間違いだったのではないかと、誰もが未だに信じていた。
それを傍で見る度に、テリオは不安に駆られる。この状態が永遠に続きそうな予感がして、ゾッとして、気が気では無くて。こんなことをしている場合ではないと、今に取り返しのつかないことになるんじゃないかと、焦る気持ちばかりが大きくなっていたのだった。
「……行ってくるよ。ミーテ、先生」
孤児院で働いている間にしっかりと貯まっていた大金を、荷物の中に仕舞い込み。剣を提げ、全員寝静まっているのを確認して、テリオは孤児院を静かに出る。
――村の入り口。夜も更けきって外を出歩いている者など誰もおらず。かえって騒がれないだけ都合がいいと、そう思い寂しさを紛らわせるテリオ。
目の前には道も禄に見えないほどの暗闇が広がっている。村から少し離れたあたりで灯りを点けるつもりではあるが、それでも心細くなるのは仕方のないことだった。
「帰ってくるときは、必ず二人で――」
クルーデがどこに向かったのかも分からず。どれぐらいの時間が、路銀がかかるかも分からない。しばらくは戻ることも無いだろう。次帰ってくるときは、必ずクルーデも一緒だと。そう心に誓って、一歩踏み出そうとしたテリオに――声をかける影があった。
「……もう出歩いても大丈夫なのか?」
女の声、ミーテのものでは無い。そもそも、自分以外に出歩く人間がこんな時間にいる筈がない。そう思い、テリオが振り返ると――
そこに立っていたのは、例の黒髪の少女だった。
テリオと比べれば身長は胸のあたりの高さ、年齢もだいぶ下に見える外見。それにも関わらず、どこか落ち着いた雰囲気を漂わせている。ドワーフという種族は皆、力が強く、体格は小さいらしいと。直接聞くことも憚られたため、テリオはそう思っておくことにした。
「君が助けてくれたおかげで、大事にならなくて済んだ。もっと早く礼を言いたかったんだが……君の名前は? どこから来たんだ?」
「……どこだっていいだろう。名前はキビィだ。今は……美食家として世界中を回っている」
キビィと名乗った少女の、内容の薄い自己紹介の中に聞きなれない単語。テリオの勘では、なにか職業のようなものを口走ったように思えたのだが、具体的にそれが何を意味しているのか分からない為に尋ねる。
「……美食家?」
「分かりやすく言えば、美味いものを食べるために旅をしているんだ」
「へぇ……」
――生返事。自分が尋ねて説明されたことだとしても、それにどう反応していいのか分からず。 村から出るとは言っても、隣の街へと行く程度――そんなテリオからすれば、他の国までわざわざ料理を食べに行くというのは、なかなかに理解しがたいことで。そんな彼の口から出てきたのは気の抜けた声だった。
しかし少女はそんなテリオの反応にも気を悪くすることなく。ニヤリと笑いながら、『わざわざお前を待っていたのにも理由がある』と、彼に詰め寄っていく。
「さて、私はお前の命の恩人だよな? ならば一つ要求があるんだが――」
「……金か? 助けてもらって有り難いと思っているが……俺は今から親友を追わなきゃいけないんだ」
持っているのは旅に必要な荷物と剣、ある程度の金だけ。見返りに金を要求されて、旅に影響が出ないわけではない。金よりも命の方が大事で感謝もしているのだが、こればっかりは譲ることのできない条件だった。
「安心しろ、そう難しいことじゃない。旅は道連れ、一人より二人だ。私の護衛を頼みたい」
「……話を聞いていたか? 親友を追わないと――」
「お前が親友を追う旅に、私が付いて回るんだ」
「――いけな……い?」
「私も目的地を定めて旅をしているわけじゃない。どうせ適当にあちこち行くのなら、誰かと同行した方が何かと楽だってだけの話だ」
キビィの言わんとしていることを理解できないわけではない。――が、クルーデを追う以上、再びルヴニールでの悲劇が繰り返されないとも言いきれないのだった。
「……俺を助けた時に見たよな? 下手をすると……また、あんなことになるかも知れないんだぞ……?」
下手をすると巻き込んでしまう可能性だってあった。自身の都合で他人を危険にさらしてしまうなんて、できることなら避けたい。そう思い、外套から義手を覗かせるテリオだったが、キビィはそれに構うことなく続ける。
「見たからこそ、その
そう自信たっぷりに言い放つキビィ。あれだけ無様にやられていたのを見た上で、剣の腕をかっていると言われたところで、テリオは納得がいくはずもなかった。
「……買いかぶりすぎだろう。それに他人を守って戦ったことなんて――」
「諦めろ、お前が断ったところで勝手に付いていくまでの話だ」
一歩も引く様子のないキビィに、何を言っても無駄だと悟ったテリオは『はぁ……』と大きくため息を吐き、キビィは自信たっぷりといった様子で、腕を組みながらフフンと鼻を鳴らす。
「どうなっても知らないぞ……」
「私が好きでやっていることだ。気にするな」
――隻腕のテリオと謎の少女キビィ。こうして、二人の旅が始まったのだった。
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