第3話 脈動、そして――

 ――時は経ち、二人が片腕を失ったあの日から数年後。


「テリオテリオ。こっちに帰ってるってホント?」

「……ん? 何の話だ?」


 テリオが孤児院の庭で洗濯物を取り込んでいる時の事。院で生活している男の子の一人が、テリオの服を引っ張り尋ねてきたのだが――不意の質問だった上に主語もなく。何のことかさっぱり分からず、テリオは首を傾げて尋ね返す。


「クルーデさんのこと! 仲良しなんでしょ?」


 付け足された情報に、『あぁ』と納得の声を上げるテリオ。


「クルーデねぇ……」


 数年前、クルーデは宣言通り入団試験に合格し、現在は騎士団の一員として世界中を回っていた。院の子供たちとしても、自分達の先輩が騎士団員であることが嬉しいのだろう、風の噂でクルーデの話を聞くと毎回テリオに確認してくる始末。


「……なんで俺には呼び捨てなんだ、おい」

「テリオは“先生”って感じがしないんだよなぁ……。剣の腕だけはまぁまぁってところだけど」


 テリオはといえば、あれからも孤児院に残り続け、子供たちの世話をしていた。流石に数年もその状態で暮らせば、嫌でも片腕で大概のことはこなせるようになっていたものの、街で働くにはどうしても困難が付きまとうためである。


「へぇ……こいつはうやまいたくなるように指導する必要があるかもなぁ」

「うわっ。洗濯物を片付けるんじゃなかったのかよ! ……逃げろっ」


 カゴを置き、ゆらりと体の向きを変えるテリオを見て、男の子は慌てて孤児院の中へと引っ込んでいく。


 一応は先生としてカリダの手伝いをしているのだが、小さいころから問題児で通っていたテリオである。上を見ても、下を見ても。テリオを先生として扱うものは、指折り数える程度しかいなかった。


「――剣の腕……か……」


 先生としての仕事をしている以上、カリダから給料を渡されているものの――依然変わらず孤児院内で生活しているため、どうしても気兼きがねしてしまう。


 そういった事情のため、テリオは先生としての仕事がない時は、小金稼ぎに魔物を狩っていた。


 おかげで依然と同じかそれ以上に剣を振るえるようにはなったが、剣の腕というなれば、同じ隻腕で騎士団として活躍しているクルーデがいるのだ。生徒である子供たちに評価されたところで、苦笑いを浮かべるしかない。


「昔はよく村にも顔を出してたんだがなぁ……」 


 洗濯物を取り込むのを再開して、テリオはぼんやりと呟く。


 クルーデは騎士団の仕事のため、村に顔を出すことも少なくなっているし、もう一人の幼馴染であるミーテはと言えば、早々に婚約して孤児院から出てゆき、今は家を守る立場に落ち着いている。最後に三人で集まったのはいつだったか、と考えていたそのとき。


 不意に、異変が起きた。


 ――ドクンッ。


「――――っ!?」


 謎の脈動を、まるで心臓を直接殴られたかのような痛みを感じ、胸を押さえるテリオ。痛みは次第に強くなっていき、遂には膝から地面に崩れ落ちる。


 ――ドクンッ。


 世界が震えていた。鼓動していた。

 それに共鳴しているかのように、痛みはテリオの全身を駆け巡る。


「くっうぅうう……」


 膝をつくテリオの腕が物干しざおに引っかかり、棹がガシャンと激しい音を立てて倒れた。地面が石畳ということもあり、何度か衝撃で跳ねる。その音が孤児院内にも響いたためか、子供たちがテリオの方に駆け寄っていく。


「……先生、どうしたの? 凄い音がしたよ」

「どうしたんだよテリオ。洗濯物が汚れて――ってもう取り込んでんのか」


 テリオは黒く染まりつつある視界の中で、脂汗を流しながら痛みに耐えていた。この事態に子供たちに影響は出ていないかと心配していたテリオだったが、何も異常は起きておらず。


「お前ら……なんともないのか……」


 自分と同じように痛み感じている様子もなく、テリオが安心したのも束の間――例の脈動が更に大きくなって訪れた。


 ――ドクンッ!


「ぐっ……ぅ……!?」

「先生……!?」


 黒に、白に、ちかちかと点滅する視界。全身にヒビが入るかのような痛みはテリオの許容限界を超えていた。気を抜けば叫びそうになる。静かにしてくれと怒鳴り散らしそうになる。それらを必死に抑えつけ、何とか声を絞り出し子供たちに頼むテリオ。


「だ、大丈夫。……カリダ先生を……呼んできてくれるか?」

「う、うん……」


 それを聞いた子供たちは、頷いて孤児院の中へと走り出す。遠くなっていく足音を聞きながら、歯を食いしばって耐えるテリオ。すると落ち着いてきたからか、時間の経つにつれ脈動は弱まっていき、痛みの波も少しずつ引いていった。


 それに合わせてテリオも身体の力を抜いていく。


「はっ……はっ……」


 少しでも楽になるよう、小刻みに息を吐く。俯いた体を捻るようにして、仰向けに体勢を変える。


 ――空を見上げると、一面の曇天。鈍重な、分厚い雲が空を覆い尽くしている。雨が近いからか風も湿り気を帯び、遠い昔に食われて無くなった右腕の先がじくじくと疼いていた。






「カリダさんっ、大変だ!」

「どうしたんだい。こんな時間に、大慌てで尋ねて来て」


 時刻は夕方をとうに過ぎ、日も落ちていた。孤児院の子供たちの食事が終わり、年少組は眠ろうかという時間である。何事かと院長であるカリダが玄関口へと顔を出すと、街での仕事に就いていた村の男が肩で息をしながら佇んでいた。


「カリダさん、街で聞いたときは耳を疑ったよ! 落ち着いて聞いてくれよ!?」

「……子供たちが眠る時間だ。あんまり大声を出さないでおくれ」


 いつもならば、ノックもせずに駆け込んできた男など怒鳴って追い返すカリダだったが、男の表情があまりにも真剣だったため続きを促した。


「クルーデが……、騎士団長を殺して……脱走したらしい」

「……なんだって?」


「クルーデが……?」


 不意に聞こえてきた声に、カリダが振り向くと――激痛によって倒れ、今の今までベッドの上に寝かされていたテリオの姿が。顔色は戻っているものの足元はまだおぼつかず、壁にもたれながら自身の身体を支えていた。


「もう起き上がっても大丈夫なのかい?」

「あ、ああ……」


 カリダが心配して声をかけるも、テリオは心ここにあらずといった面持ちでで立ち尽くしている。


「妙に慌ただしくなってるからさ……。だ、団員の一人に話を聞いたんだ。で、カリダさんには直ぐに知らせないと、と思ったんだが……」


 用意された水を一口飲んで、男は話を続ける。余程体力の限りに走ってきたのか、それとも興奮しているのか。ろくに息のととのわない状態だった。


「任務が終わって戻った矢先――今から三時間ほど前の出来事らしい」

「三時間前……あの時だ……」


 ――あの時。孤児院の庭で、ちょうどテリオが倒れたあたりである。カリダにも子供たちにも、何か変なことは起きなかったかと聞いて回ったが、思ったような反応は得られず。やはりあれは自分だけだったのかと半ば諦めながらも。それでもなお、テリオの直感がなにか関係があるはずだと告げていた。


「脱走と言ったって、どこに――」


 そして、カリダが尋ねようとした次の瞬間――


「きゃああああああ!」


 孤児院の外、村の至る所から悲鳴が上がり始めたのだった。

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