竜記伝ー隻腕のテリオと美食行脚の円還竜《ウロボロス》ー
第1話 冒険の代償
――ここは小さな大陸の中にポツンとある村、ルヴニール。そのすぐ傍に位置する森の中で。ルヴニールの孤児院の年長組であるテリオ、クルーデ、ミーテの三人は遊んでいた。
「今日こそ調子は万全か? ここのところ、俺の勝ちが続いてるのを忘れるなよ」
「言ってろよ、クルーデ。あんまり
「ふ、二人とも待って!」
少年たち二人は、いつの日か憧れである騎士団に入るため、剣の修行として魔物を狩りに森へと入ってきたのだった。そんな二人に置いて行かれたくないと、少女は必死に後を追い続ける。
「――ほら、もう俺は五体目だぞ!」
クルーデに剣を持たせれば右に出る者は無く――例え孤児院出身でも、これなら騎士団へと入るのも夢ではないんじゃないかと大人たちの間で
「ま、まだ一体しか差がついてないだろ!」
対してテリオは剣術も勉学もからきしの問題児。何をやらせても結果は付いてこず、本人には努力する気が欠片もない。小さい頃こそはよくクルーデと競り合っていたのだが、いつしか差は開いていき――テリオがクルーデに勝つことなど、今では数える程のものだった。
「もう! 怪我しても知らないんだから!」
三人は今や遊び場に等しい森の中を進んでゆく。
――奥へ、奥へと。
森へとやってきた、異様な気配にも気づかないまま。
「これで二十一体!」
「……ねぇ!」
そうして数時間は森の中を駆け巡っていたところで、とうとうミーテから苦言が漏れてくる。
「もう、日も暮れてきたし……帰ろうよぉ」
少女であるミーテに武器を振るうような体力はなく。そもそもそんな野蛮な行動をするつもりもなく。森の奥へと進んで行く二人に付いていくだけでも精いっぱいの状態だった。
「仕方ないな……クルーデは?」
「……俺も二十一体だ。今日は引き分けだな」
あれだけ一心不乱に走り回っていたようで、きっちりと数を数えていた。そんな二人に対して、男子はなぜいつもこうなのだろうかとため息を吐いて、ミーテはすぐ傍にあった岩へと腰かける。――その時だった。
ミーテの背後で、バキリと木の折れる音が鳴る。
「
「え――?」
いつまでも耳に残るかのような低い唸り声に、ミーテが恐る恐る振り返ると――
「竜……!?」
森の木々よりもなお太い四肢を持ち、その口には鋭い牙が並んでいる。唸り声は雷鳴のように低く、重く、辺りの空気を震わせていた。
そこにいたのは――傷ついた黒竜。片目は完全に潰れており、身体の至る所には深く抉られたような傷口が。既に瀕死の状態であることは子供ながらも感じ取れたものの、三人とも呼吸をすることすらも忘れてしまう。
森の中とは言え、ルヴニールからはそう離れてはいない。
――こんな所に出没するような魔物ではない。
「なんでこんなところに!?」
「……テリオ、こいつ様子がおかしいぞ」
まるで影のような真っ黒い巨体には、同色の靄のようなものが纏わりついていた。得体の知れない“それ”が、更に三人の恐怖心を煽っていく。
呪いか、それとも疫病か。
少なくともこの自然の中で見るようなものではない。
これは触れてはいけないものだ。そう本能が警告を発するが、二人は前に出なければならない。他でもないミーテが、その恐怖の鼻先にいるが故に。
「ミーテッ!」
あまりの恐怖に身動き一つ取れないミーテに、黒竜が迫っていた。
「くっ」
二人がほぼ同時にミーテの服の襟を掴み、引き戻したその瞬間。彼らの目前にあったのは、大きく開かれた黒竜の
その一瞬で二人が飛び退く暇など有るわけがなく。待っているのは、体ごと一飲みされてしまう未来か。一か八か、
次の瞬間には、綺麗に並んだ龍の牙が二人の腕に落ちる。
牙が肉へと沈む、だなんて生易しいものではない。圧倒的質量を持った刃物に、上下から襲われるようなものである。プツリと鳴ったそれは、
上顎に内側から突き立てられ、怯む黒竜。体勢を整えるため素早く一歩後退したものの、二人の腕の先を口内に収めたまま。
「うあああぁぁあぁぁぁぁぁ!」
「があああぁぁぁぁぁあああ!」
ショックのあまりに痛みを感じることすらなく。腕を失ったという非現実に抗うかのように叫び声をあげる二人。
「いやあぁぁぁぁぁぁ!」
薄暗い森に響く悲鳴。飛び散る血飛沫。
腕へと循環するはずの血液が、外へと溢れだしていた。
全身の力が抜け、倒れる二人。
――武器もない。
――腕もない。
どちらも黒竜の口の中へと呑まれている。
「
「――っ!」
そして黒竜も怯んだのは一瞬だけで。焦点を既に失った残りの片目でテリオたちの姿を確認し、今にも襲い掛からんとしていた。三人が死を覚悟したその時――
「オオオォォォォォォォ!」
大剣を持った鎧姿の男が黒竜の頭に飛び掛かり、その脳天へと一撃を加えていた。その刃に頭蓋を真っ直ぐに貫かれ、絶叫を上げることなく絶命する黒龍。既に手負いであったとはいえ、一撃。相当の実力者でないと到底不可能な業だった。
「あれは――」
痛みはないものの悪寒が全身を襲い、テリオの意識がぼやけ始める。この限られた空間から、彼の中から。全ての音が遠くなり、消えようとしていた。
――その、無音の世界で。
彼の目には、崩れ落ちる竜の身体が、頭蓋から引き抜かれる剣が。全ての物体がゆっくりと動いているように見えた。龍を覆っていた黒い靄は消え去っており、身体の方も見る見るうちに朽ちてゆく。皮膚が剥げ、肉は蒸発していき、骨も風化したかのように細かく砕けていった。
「お前たち大丈夫かっ!」
竜の屍のあった場所に一人立ち、古びた鎧を身に纏っている男――騎士団長ルティス。黒竜討伐に隊を率いて、森へと逃げ込んだ目標を追ってここまで来ていたのだった。
「――――っ!」
「クルーデが! テリオが!」
広がっていく血溜まりの中でどうしていいのか分からず、大粒の涙を
「医療班! 今すぐ処置をして、この子たちを村へ!」
二人の受けた傷は酷く、血が止まる様子などは一切無い。既に意識を失っていた二人は医療班と呼ばれた者たちによって応急手当を受け、急いで孤児院へと担ぎ込まれることとなった。
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