序章 『無』と神獣の邂逅 後編
俺の顔に血液がつく。
だが、俺は、それを拭う事無く、今の状況に呆然とせざるを得なかった。
数十匹といた魔物の群れがあっという間に崩れていく。
あるものは首を切断され、何も分からぬうちに。
あるものは背中から腹まで切り裂かれ、あらゆる中身を垂れ流し、もがき苦しみながら。
魔物を、『ハイウルフ』を全て残らず死滅させるのに、僅か数秒足らずであった。
「大丈夫かい、ジル」
その人は、俺を『ジル』と呼び、近寄ってきた。
「あ」
この人は。
『ゼネラ・グルヴェ』
若くして、王国専属騎士にまで上り詰めたグルヴェ家、随一の誇り。
グルヴェ家の長男にして、俺の兄。
何でここに兄貴が?
「兄貴、何でこんな所に....?」
俺は震える声で、兄貴に問いかける。
普段は城の中にいる筈だが。
俺の問いに兄貴は少し考え込むと、微笑みながら返事を返す。
「私にも非番はある。ちょっと散歩していたら、ジルが襲われているのを見つけて本当にびっくりしたよ。ジルこそどうしてこんな所にいるんだい?」
「俺は....俺は....」
身体が無意識に震える。
誰かに自分の今の状況を話すのが怖い。
自分が見捨てられた存在である事を、無能である事を知られるのが怖い。
しかし、そんな俺を咎める事は無く、兄貴は優しく俺の背中をさすった。
「大丈夫、話してご覧。怖がることは無いよ」
兄貴の言葉に俺は口を開く。
「『無』だった....っ。捨てられたんだ、俺は。もう、グルヴェを名乗れない。あの屋敷に戻る事も出来なくなったんだ!」
微笑み続ける兄貴は俺の嘆きを黙って聞いている。
しかし、俺は。
ーー違う。
その微笑みが孕むものが決定的に変わっていた事に気付き、素早く後退する。
そんな俺の反応を見ては、兄貴は言葉を漏らした。
「察しがいいね、ジル。いや、『無』、か」
兄貴は微笑みを消し、表情に憎悪が生まれる。
「せっかく、楽に殺してやろうとしたのにな。クズの癖に兄の優しさを無碍にするとは」
何で兄貴まで、俺を。
振り下ろされる剣。
俺は、その剣を避けようとは思わなかった。
親父は兄貴に俺を殺すよう、命じていたのだ。
もう、このまま殺された方がマシだ。
目の前に迫る剣は、過たずに俺の首を切り落とす。
ーー筈だった。
眩い光と共に、兄貴の剣が明後日の方向に弾き飛ばされる。
不意の攻撃に、一瞬、動きを止めたがすぐに態勢を建て直すと、俺から距離をとった。
口を歪め、攻撃をした人物に声をかける。
「さっきまで横たわっていたのに、元気じゃねぇか」
俺を守るように立ち塞がる、先程まで、気を失っていた狼の獣族の少女がいた。
「お、お前....大丈夫なのか?」
「ありがとう」
「え?」
「助けてくれて」
突然の少女からの礼に俺は、戸惑う。
何で#さっきまで気を失っていたのに__・__#、助けた事を....?
俺の疑問を察したのか、少女は薄く笑う。
「ずっと起きてたわ。ごめんなさい、試すような真似して」
でも、と少女は言葉を続ける。
「貴方は私を見捨てなかった。自分がどれだけ辛い目にあっても、私を守ろうとしてくれた。だからーーだから、今度は」
少女は俺を真っ直ぐ見つめる。
澄み切った蒼眼と戸惑う黒眼。
お互いを映し出している。
「今度は、私が貴方を守る。例え、『無』でも、全てに否定されても、私は貴方を肯定する」
肯定。
全てを失った俺を、『無』の俺を、肯定してくれるのか。
「あそこにいる、憐れなお兄さんの性根を叩き直してやろうじゃない?」
俺を殺そうとした、親父や兄貴を。
いや、グルヴェ家を俺は許さない。
役立たずなら、切り捨てる。
そんな親父を俺はもう、尊敬なんてしない。
俺は、俺だ。
「ああ。でも兄貴は、いや、ゼネラは強い。今の俺には手も足も出ない」
「分かってる。なら私と契約すればいい。私が貴方の使い魔になれば、あいつなんて敵じゃ、ない」
「.....分かった。お前と契約する。俺の使い魔になってくれ」
「契約成立、たった今から、
「え?」
神獣、だと?
神獣は獣族の最上位種だ。
他にも、魔族の最上位種『魔王』、天使族の最上位種『大天使』、精霊族の最上位種『精霊王』がいるが、最上位クラスの使い魔と契約する者を数える事など、俺の知る中では数人しかいない。
「神獣.....か。面倒な事になったが、目的は変わらない。お前らを殺すだけだ」
「お生憎様、私達は戦う気は無いわ。貴方を叩きのめすなんて野蛮な事、本当にすると思った?」
「何を....くっ!」
眩い光に包み込まれ、森から俺とフェンリルは消えた。
◆◆ ◆◆ ◆◆
「う....」
目を開けると見知らぬ天井が視界に映った。
どうやら、あれから気を失ってしまっていたらしい。
上半身を起こし、視線を巡らせる。
「ここは.....どこだ?」
「すやぁ....」
ふと、ベッドの下に視線を向けると、そこにはフェンリルが身を丸めて寝息を立てていた。
結局、ゼネラと戦うこと無く、逃げてきたみたいだ。
「ありがとうな」
俺は寝ているフェンリルに礼を言う。
「ふみゅ?」
俺の声にフェンリルは薄目を開け、寝ぼけた瞳で見上げる。
そしてそのまま目を見開くと、いきなり飛びついてきた。
「うおっ、何だ何だ?」
「なんだ、起きてたのね。ずっと眠ったままだし、心配してたんだから」
「ずっと?」
俺の疑問にフェンリルは眉を顰める。
「あのお兄さんから逃げてきて、もう二日も経つわ。よほど精神的にも肉体的にも疲れていたんだと思う」
そんなにも寝ていたのか。
「それで、ここはどこなんだ?」
「ここは私が暮らしている家。まあ、ジルと契約した今、必要無いんだけどね」
「?何でだ?」
フェンリルの言葉に俺は首を傾げる。
「ジルはこのままでいいの?まだ、やり残した事はあるんじゃいの?」
やり残した事、か。
「私が使い魔になったんだし、ジルはかなり強くなったと思う。でも、ジルは魔法のお勉強、した方がいいと思う」
「俺は『無』なんだぞ。今更、魔法学校に行ったところで何になる訳でもないだろ」
「『無』なら何色にでも染まれるじゃない」
「どんな説得の仕方だよ」
フェンリルは笑った。
俺もそれを返すように笑った。
絶望して、絶望して、絶望して、それでもやはり、俺は諦め切れてないようだ。
案外、自分が図太い事に気がついた。
「早く行こ。魔法学校なんて、使い魔みせておけば入れてくれるから。それに、もうすぐ入学の時期よ」
「まて、金はどうすんだ?」
「ギルドで稼いで、払えばいいじゃない。だから、早く支度を済ませて、王都に行くよ」
半ば強引だが、俺はフェンリルに引っ張られ、家を出る。
支度....してないけど。
こうなれば、やれるだけやってやる。
俺を見限った親父にグルヴェ家に、目にもの見せてやろう。
「ありがとな、フェンリル」
「むー、『フェン』って呼んでくれない?使い魔なんだし、フェンリルとかは何か嫌だ」
「分かった。.....フェン、行こう」
「うん!」
俺はフェンと共に、魔法学校に通うため、王都を目指すのだった。
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