〔 お嬢さまの社会見学 〕②

窪田鶴代つぼた つるよは、もう七十歳を越えるベテラン家政婦です。

 家政婦といっても、メイドやコックや庭師たちを取り仕切っているマネージャーのようなもので、蟻巣川家三代の当主につかえた彼女は、まさに蟻巣川家の生き字引的存在ですの。

 先々代の当主の命令で鶴代さんは死ぬまで、この蟻巣川家の家政婦の座を約束されていますのよ。

 あの執事の黒鐘くろがねでさえ、鶴代さんにかかれば『ひよっこ』扱いですもの。おほほっ


「黒鐘さま、執事のあなたが何も知らないなんて、おかしな話じゃあございませんこと?」

 チクリと棘のある言い方で鶴代さんがおっしゃる。

「はあ、誠に申し訳ない次第ですが……、ご当主さまから放って置くようにと申し渡されておりましたもので……」

「それでも、そっと偵察くらいはして置くものでしょう? それが執事の職務というものです!」

「……誠にもってその通りです」

「黒鐘さまののせいで、大事なお嬢さまに何かあったらどうなさる、おつもり?」

「はあ、ですが……」

 黒鐘は鶴代さんにはいつも頭が上がらない。

「婆や、もう許しておやり。ちょっと抜けているところが黒鐘のプリティなところですわ」

「まあ、お嬢さま。確かにそうですこと。おっほっほっ」

 蟻巣川家のおつぼね鶴代さんに黒鐘がイビられている内に、カートは謎の建物の前に到着しました。


 その建物の前に立ってビックリですわ。とっても奇妙な建物だから。 

 灰色の頑丈なブロックで造られた、高さ20m以上はあろう大きな円形の建物で、窓もなく外階段もなく大きな鉄の扉がひとつだけ。

 人が住んでいる建物とは思えないようなたたづまい――。

「なんですの? これは……」

「まるで砦みたいな、いや要塞かもしれない。さながらバベルの塔のようでございますなぁー」

「中に兵器でも隠されているのではないでしょうね?」

 皆、口ぐちに不安そうな表情で囁きあった。

「これは危険です。お嬢さま、もう引き返しましょう」

 不気味な塔の前で、尻込みしながら黒鐘が言い出した……わたくしはとっても興味津々なのですわ。


「いいえ! わたくしはこの塔の中に入ります」

 蟻巣川麗華は何も怖れませんわ。わたくしには名家の令嬢としてのプライドがありますもの。時としてプライドは恐怖に打ち勝つパワーを持っていますのよ。

「黒鐘、マスターキーを渡して頂戴!」

 鍵穴に差し込みクルリと回すと、鉄の扉のロックが外れた。


「よろしいこと、開けますわよ!」


 ギィーギィー……重たい金属音を響かせて、ゆっくりと扉が開ていく――。


 なんとっ! 鉄の扉の向こうは熱帯ジャングルだった。

 うっそうと茂るシダ類やつるを延ばした熱帯の木々が目の前に広がっていた。塔の屋根は全面ガラス張りになっていて、ここは大きな温室のような建物だった。

「こ、これは、いったいなぁに?」

 これには、さすがの麗華も驚きましたわ。

「ランボーが出て来そうな熱帯ジャングルでございますなぁ……」

「悪趣味な植物園ですこと」

 湿度が高くてムンムンしています。どこからか熱帯に棲む鳥の甲高い鳴き声まで聴こえてきます。うっそうと茂る蔓草が地面を覆い足元さえ見えませんわ。

 ――その時です!


「ぎょえぇぇぇ―――!!」

 隣を歩いていたはずの黒鐘が奇声を発して、目の前から忽然と消えました!

「黒鐘―――!」

「お―――い!!」

 みんなでキョロキョロ周りを見回しても黒鐘の姿がない。騒然としていると……。

「助けて……助けて……」

 足元から、声が聴こえてきましたわ。……あれは黒鐘の声!?

「……ここです。ここにいます」

 草むらをかき分けてみると、ポッカリと穴が開いていますの。その中から声が聴こえてくるようです。

「黒鐘、大丈夫?」

「お嬢さま、早く助けてください」

 泣きそうな声の黒鐘に、警備員たちがロープを下して助け出しました。深さ3mくらいの落とし穴でしたわ。いったい誰がこんなトラップを仕掛けたのかしら?


「ぜぇぜぇ……」

 落とし穴から助けられた黒鐘は息も荒く、自慢の執事服がどろんこになっていましたわ。あまりの悲惨な姿に思わず噴き出しそうになっちゃいました。麗華って悪い子ね! うふっ

「いったい誰が、こんな罠を仕掛けたのでしょうか?」

 さすがの鶴代さんも動揺しているようです。

「お、お嬢さま、こ、ここは危険です! もう出ましょう」

 泣きそうな顔で黒鐘が訴える。

 今度くる時は、狙撃部隊がいるかも……と、麗華は本気で考えておりましたわ。

 ビュンと、何かが風を切って飛んできました!

「ぎゃあ、危ない!」

 木に刺さった矢を見て、鶴代さんが叫んだ。


「わしのアジトに入り込んだ貴様らは何者だ!?」


 いきなり奥の方から男の声が聴こえた。

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