〔 お嬢さまの取扱説明書 〕②
三年前、わたくしと焼きいもとの運命の出会いがありました。
その日はオペラを観て帰る途中でした。ロールスロイスの車内で運転手に喉が渇いたというと、その日はティーセットのポットを積み忘れていて、ただちに停車して「飲みものを買って参ります」と運転手がいうので、わたくし車内で待っておりました。
十五分経っても運転手は戻らず、退屈した、わたくしはロールスロイスから降りて辺りをフラフラしておりましたのよ。
その時です! 不思議な声が聴こえて来ました。
『石焼きいも~♪ 石焼きいも~♪ 美味しい美味しい石焼きいもはいかがですかぁ~♪』
それは何度も、エンドレスリピートで鳴り響いておりました。
わたくし、にわかに興味を覚え、小さなトラックを止めて『石焼きいも』なるものを買うことにしました。
「御免あそばせ、石焼きいもってなんですの?」
「おやまぁー! えらい豪勢な格好のお嬢さんだねぇー」
真冬だったので、わたくしブルーフォックスの毛皮のコートを羽織っておりましたかしら? おじさんが窯の中から取り出して見せてくれました。――こんなの初めて見た。
「その石で焼かれている芋をください」
「へい! お幾つ?」
「トラックごと全部」
「えぇ―――!?」
おじさんは目をまん丸にして驚いていました。
わたくしがアメリカンエキスプレスのセンチュリオン・カード(通称ブラックカード)を見せて、これでお願いっていうと……。
「お客さん、うちはカード払いできません」
あらっ、困ったわ。――わたくし現金なんて持ち歩いたことがないんですもの。
おじさんとスッタモンダしているところへ、うちの運転手が帰ってきて現金を払って、焼きいもを買うことができました。
そして、ロールスロイスの車内で食べた、焼きいものなんと美味しいこと! 目からウロコですわ。こんな美味しいモノを庶民が食べているなんて許せません!
さっそく帰ってから、執事の黒鐘に石焼きいもの器具を購入させました。だけど、わたくしがあんまり焼きいもに夢中なので、こんな下品なモノを蟻巣川家の令嬢が食べていることが世間にバレたら……家名に傷がつくと密かに心配しているようですわ。うふふっ
――と言っても、わたくしの機嫌の悪い時は、
さてさて、今朝も黒鐘の止めるのも聞かずに焼きいもを五つもたらふく食べてしまいました。お腹がパンパンになって、ゲップ!
あらっ、わたくしとしたことが……御免あそばせー。
午後から、徳川家の末裔、松平家のお屋敷でお茶会がございますの。
次期当主の
今日は留学先のロンドンからお帰りなられたので身内だけのパーティがあって、当然、いいなづけのわたくしも招待されていますわ。
嗚呼、お嬢さまは自分で結婚相手を選べないんですの。
籠の小鳥のわたくしは親が決めた男性と結婚するしかないのです。――それは名家の令嬢に生まれた宿命なのだから仕方ありませんわ。
こっそり、爺やがいうのには……名家の令嬢は家のために結婚して、子どもを産んで相手の一族と血が繋がったら、後は隠れて自由に恋愛したっていいんですって――。
そういえば、お母様はいつも美男子の秘書を連れて世界中を旅行しているし、お父様だって、
蟻巣川家で家族が顔を合わせるなんて、一年に十回もありませんもの……。それぞれマイライフを楽しんでいるから、庶民と違って、これが普通なんですわ。ふぅ~
松平家のお茶会は身内の集まりといっても、広いホールには百人近い親族が集まっておりました。今日のパーティの主役は健史郎さまと婚約者のこの
わたくしたちは招待客の前で仲よくワルツを踊って見せました。華麗なステップで踊るふたりに似合いのカップルだと皆さまの溜息交じりの囁き声が聴こえてきます。
薄いピンクのシルクのドレスを身に纏った、わたくしはまるで妖精のように美しいのでございます。
どこに居たって『ザ・グレート・オブ・お嬢さま』こと
先ほどから、わたしく下腹が張って苦しいんですの。
今朝、焼きいもを食べ過ぎたせいですわ。どうしよう……どこがで……ガス抜きをしないと……ううぅ~、苦しい。
いくらお嬢さまだって、人の子ですもの生理現象には勝てませんわ。
テラスに人が居ないのを確かめて、わたくし……そっと、パーティから抜け出して、テラスでお腹のガスを抜こうとイキんだ瞬間! あらまっ、だれか来ました。
「
「
優しく微笑みながら婚約者が近づいてきました。
「今日の貴女は美しい。麗華を妻に出来るなんて僕は幸せ者だ」
そういって、わたくしをギュと抱きしめたのです。
ああっ! 止めてお腹がポンポンに張って苦しいの。押さえたらガスがでちゃう!
「麗華、愛してる!」
わたくしの唇に熱いキスをしました。
まあ、わたくしのファーストキス! 婚約者同士ですもの構わないわね。ああぁ……蕩けそうなキッスに、わたくしの身体の力が抜けた瞬間に!
プウゥゥゥ―――と大きな音と共に、ガスの臭いが周辺に漂った。
さすが『ザ・グレート・オブ・お嬢さま』おならの音もグレートだった! おほほっ、御免あそばせー
― 〔 お嬢さまの取扱説明書 〕 おわり ―
※ ブラックカードとは、アメリカン・エクスプレスが発行するセンチュリオン・カードです。
これはプラチナの上に君臨する一枚で、通称ブラックカードと呼ばれています。
なんと年会費が350,000円という驚異の金額、利用限度額無制限、専任コンシェルジュ付きで貴族のようなサービスが受けられます。
まさにセレブのためのブラックカード!!
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