われこそは街の酒場のソクラテス ~ 民俗学者・小林存のはなし。

中野徒歩

0 序:序は「ついで」とも読みますね。

 日本はサムライの国である、というのは事実。でも、百姓の国、職人の国、狩猟者の国、その他いろんな生業で暮らした人々が作った国、であるのも事実。

 外国人は日本に来て、寿司を食べました天ぷらを食べました、とってもおいしかったです、と喜んでくれる。アニメに代表される今時の日本の文化をクールジャパンと呼んですっかりはまっている外国人も、まっさらの雪山でスキーを堪能する外国人もいる。そんな風に日本を知り楽しんでくれている、ということで、とても喜ばしいことだ。

 今まで累計で何人の日本人が生まれて死んでいったのか分からないけど。寿司も天ぷらも口にすることなく、また娯楽を楽しむなど望むべくもないまま亡くなった方のほうが、今なお多いんじゃないか。

 貧しかった、という分かりやすい理由も、たしかにあるかもしれない。でも場所ごとにご馳走といえるものがあっただろう、その土地にしかないやり方で娯楽のみならず生活の諸々を楽しんだ人もいるだろう。そういうのを文化と呼ぶこともできるだろう、きっと。そしてそれらの中には、現代まで伝えられることなく風化したり消えてしまったり、というものだって、きっとある。

 今生きている私達が、ずっと昔を生きた人達から当時の話を聞くことはできない、知ることができる事柄は限られている。でもそこに、もう知ることのできないところに本当の日本、リアルな日本の姿が隠されていたらもったいない話だな。そういった面影がわずかながら残っている場所に行っただけで、あんなに懐かしく、不思議と興味をかき立てられてしまうんだから、昔の日本の実際とでもいえるものをリアルに実感できたらどんなに面白いだろう。

 そんなことを私に考えさせてくれたのが、横越よこごし(新潟市江南区、旧横越村)出身の民俗学者でジャーナリストとしても活躍した小林こばやしながろう(1877~1961)さんだった。

 逆に、例えば。昔の新潟を生きた存さんが、2017年の万代ばんだいシテイあたりを歩いてみたら、賑やかな雑踏の合間に見える新たな文化(私達にとっては当たり前すぎるもの)の諸々を見たら、何を感じてどんな文章を書いてくれるんだろう。私が分かる範囲なんて高が知れてるけどご案内しますよ、だから存さんも、私に昔の新潟のいろんなことを教えてくださいね。なんて言いたくなってしまう。



 小林存さん、という方の名前だけは少し前から知っていた、ちょっと変わった名前の学者さん、という程度の認識しかなかったが。この方の名前をはっきりと認識しさらに深入りしてみたい、と思ったのは、同じ横越の木津きつという所で毎年秋に行われる桟俵さんばいし神楽のことがずっと気になっていて、さて昔の書物には桟俵神楽をどんなふうに書いてあるのか、と思って図書館でたまたま手に取ったのが昭和27(1952)年刊の「横越村誌」、この編者が小林存さんだった。

 目次で郷土芸能なり何なりの項目を探してそこだけ読んで棚に戻す、という選択肢もあったはずなのに私はなぜか一番最初の総説というのを読み始めてしまった、そこで度肝を抜かれたというか完全に持っていかれた。


「自分等の村がこれまでどう暮らして来たか、更に現在どう暮らしているかということ(略)ほとんど自分の眉毛を見るようなもので、自分の眉毛を直接見たものはないに拘らず誰しも自分の眉毛をもつということを疑って居らず、ぼんやりそれだけで満足している。自分で自分の顔が分らないなんてそんな馬鹿ばかしい話はないと思うがこれが一般の習いだから仕方がない。」(「横越村誌」P1)


 えっ、これでいいんだ、みたいに思った。学者先生が書いた本、しかも市史だの村史だのというのは古文書から拾ってきたデータを活字に直してずらずら並べ「さあここから何かを読み解いてごらんなさい、君にできるのかな」と迫ってくるような印象なのに、何これ、全然違う、と思わせてくれた。

 学問に関する小難しい話をこれから聞くはずなのにいい意味で拍子抜けしたような、先生と呼ぶべき人の前で身構えていたら「いやいや、そんな難しいもんじゃないんだよ」と笑顔で言ってくれてハードル下がった感に安心し、さらに畳みかけるごとくのユーモアですっかりリラックスできた、ような。

 ナガロー節(こんな書き方してごめんなさい)はまだ続く。


「今日まで『国の歩み』を語るものはどこでも歴史科に限られていたが、そういう意味の歴史は(略)全部政治史に他ならなかった。(略)何月何日に殿様が村をお通りになり常民一同土下座をしてお迎え申上げた、空前絶後、まことに名誉なことで御座ったとか、村から殿様へ納める貢租こうそ額は米何石なんごく何俵なんぴょうでござった、御奉行さまが馬に乗ってそれを取立てにござったというような事件ばかりあつめるのが在来の郷土史家の任務であったが(略)それでは人の死体を解剖して臓腑を研究するようなもので、生きた村の生態調査とは没交渉の宿命にある。」(「横越村誌」P4~5)


 為政者目線の歴史だけを学ぶことに対して「それだけじゃないだろ」と言っている。当時を生きた大部分の人々はどこに行ったのか、彼らがどう生きたかを伝えようとしないのはおかしいだろう、と。

 旧態依然とした歴史学、政治史に真正面からノーを突きつけるくだりは痛快ですらあったし、偉い人の話ばかり追っかけてないで常民(民俗学用語で、一般的な「庶民」の意味に近い)の姿に目を向けていこうと訴えるくだりには襟を正すような思いがした、もっとも私が襟を正してもどうにもならないが。

 私は、全部で15ページあった総説のコピーをとらせてもらうことにした。手元に置いて何度も読み返さなきゃ、と思った。その姿勢のようなもの、この人の視点というか視線というか、そういったものを自分にもしみ込ませたい、みたいなことを図々しくも思った。

 さっき「私ごときが襟を正しても」と書いたが、たしかに私が今から民俗学を究める人になれるとは誰も思わないだろうし、私だってそんな大それたことは考えてない。民具やら何やらにはどうも興味がないようだし、高校時代「遠野物語」を楽しく読んだ覚えがあるがそれは「おっかない話の本」として、だった。私ごときは「はなし」を楽しむぐらいが関の山、だ。

 その代わり、というのも申し訳ないが、このたび存さんという人間に興味を持ったのだから、この人の姿を自分で分かる限り追っかけて掘り下げてみる、ことにした。

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