第3話
ある昼下がりの日、私が病室の窓の景色を眺めていると、廊下で彼の声がした。
声がしだいに大きくなってくる。
来る。
彼が、来る。
ドキドキする。
彼と会えるのが嬉しいんだもん。
早く会いたいんだもん。
私は、病室の扉が開くのを、いまかいまかと待っていた。
しかし、彼の声は聞こえてくるばかりで、扉は一向に開こうとしない。
「悪かったと思ってるよ!」
突然、知らない男の声が響いた。
「静かにしろよ。病院だぞ」
注意をしているそれは、彼の声だった。
様子を見に行こうかとベッドから足を下ろしたそのとき、扉が開いた。
私は、開いていく扉をゆっくりと目で追った。
「どう? 調子は?」
彼だった。
それと、もう一人。
この前、公園にいた男。
彼は、男の背中をポンを押した。
その勢いで、男が私に近づく。
「ひ、久しぶり」
顔をひきつったような笑顔で、私にそう言う。
私は、静かに頭を下げた。
「こいつ、病室の前でうろうろしてたんだよ。本当は会いたいくせに、手汗握って、もじもじしてんの」
「うるせえよ」
男は、私と目を合わすなり、なにかを言いたそうにしているのだが、言えないようであった。
彼は、その状況を読んだのだろう、男と私を、ふたりきりにした。
沈黙の空間が流れる。
ドキドキする。なぜか、ドキドキする。
しかしこのドキドキは、いつものドキドキとは違う。
手足も震えだした。
私、どうしたんだろう。こんなこと、今までなかったのに。
男は、震える私に訊いた。
「大丈夫?」
私の震えは、とまらない。
男がさすろうとしたのか、私の肩を触った。私は、男の腕を大きくはらい、布団で距離をとった。
動揺したのか、男は私から少し離れた。
せっかくお見舞いにきてくれたのに、失礼なことをしてしまったと、私は、ノートで「お友達?」と訊いた。
「友達……。うん。友達だよ。幼馴染。3人、幼馴染なんだよ。……そういうのも、忘れちゃったんだ」
私は、静かに頷いた。
「付き合ってたんだよ、俺たち。覚えてないよね?」
私は、頭を整理した。
私の恋人はこの男、いや優しい彼のほう、ということは、この男は、その前の彼ってことなのかもしれない。もしくは反対か。
「覚えてなくてもしょうがないよね。俺のせいだからさ」
男は、暗いトーンでそう話す。
「ごめんね。俺、彼氏として、最低だよね」
どうやら、この男が恋人らしい。
「俺、ひどいことしちゃったんだよね。だから、こうなっちゃったんだよね」
ひどいこと? こうなる?
もしかして、この震えのことのなのだろうか。
「彼氏、失格だね」
私は、恋人なのか尋ねようとした。
そのとき、彼が戻ってきた。
「はい」
温かい飲み物を買ってきてくれた。
彼は、私が震えているのに気付くと、上着をかけてくれた。
そして、男に言った。
「お前……」
「してねえよ」
彼は、私の手を握った。
「大丈夫だよ」
手が、温かかった。
買ってきてくれたホットドリンクのおかげかもしれないが、とても温かかった。
私が落ちつくと、彼はニコッと笑った。
すると彼は、ノートに書いてある「恋人」という文字を見た。
その瞬間、不穏な空気が漂った。
「……ふたり、付き合ってたんだよ」
そう、彼が言う。
男はそのことを否定しない。
私の恋人は、この男だそうだ。
しかし、これでは、彼が嘘をついていたことになってしまう。
どうして彼は、恋人と偽ったのだろうか。
どうして彼は、恋人を偽ってまで私に優しくするのだろうか。
どちらも悪い人じゃない、そんなことくらいわかる。でも私にとっては彼のほうが、この恋人よりも温かく見える。
「どうした?」
茫然とする私を、彼が心配してくれる。
彼は、私の額に手を当てた。
ドキドキする。
彼は恋人じゃないのに、ドキドキする。
「熱はないみたいだけど……」
熱なんかない。しかし、頬が赤くなっている。
「熱が出てきちゃったかな?」
なんて冗談を彼が言う。
だって、彼の手が触れたんだもん。
ドキドキするんだもん。
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