第6話 亀裂


 ハルヒの病気が発覚してからおよそ1ヶ月が過ぎた、最初は元気な姿を見せていたハルヒだったが、徐々に病魔が体を蝕んでいくのが見てわかるようになってきた。


「ハルヒ、大丈夫か?」


「うん、大丈夫だから。キョン、ちょっと水を取ってきなさい」


「へいへい」


 相変わらずの態度は変わらんが。


 部屋の奥にあるテーブルに置いてある水の入ったボトルからコップに水を注ぐ。ハルヒの病気が白血病とわかってからしばらくして、今までいた5人部屋から個室へと移った、以前俺が入院した時と同じ病室だ。全くどういう因果だか。


「ほら、持ってきたぞ」


「うん、そこに置いて」


 いつものハルヒだったら『さっさとそこに置きなさいよキョンっ!』とかの一つを言うのだろうが、今ではそんなことを言う体力がまるでないという感じだ。


「ねぇ、古泉くんとか有希は元気にしてる?」


「あぁ、相変わらずだ」


「はぁ〜、とにかく早くあの部室に戻りたいわ。それにこのままじゃ私卒業できないじゃない」


 大丈夫だろ、お前は成績優秀なんだから。


「それに、あの担任私の病気をクラスの人に公開するなんてどういう神経してるわけ?こういう時は何か適当にごまかすものなんじゃないのっ?」


 だんだんとハルヒの声が大きくなってゆく。1ヶ月たったが現在俺たちSOS団は朝比奈さんを含む4人で交代制にハルヒの見舞いに行っている、そしてそのたびにハルヒにどう無意識に能力を使わせるかを考えているがなかなか解決の糸口が見つからない。しかし、ハルヒがどうして自ら病気を治したくないか、その理由はだんだんと見つかりつつある。


「キョン」


「ん、なんだ」


「今から平団員に重要な任務を与えるわ」


「……なにさせる気だ、俺に」


 そういって髪から外したのはハルヒが小学生の頃から愛用してると聞いている黄色いカチューシャだ。にしてもベットで寝てる時くらい外しなさい。


「おいおい、なんだ急に」


「私さ……抗がん剤治療始めるんだ……」


「……そうか」


「……はぁ〜、やっぱ私頭ツルツルなっちゃうのかしら?このカチューシャお気に入りだったのに」


 だからさ、と言ってベットから足を出し俺の前で足を組む。


「私が治るまで、それ、預かっててちょうだい」


「……は?」


「わかったっ? 団長命令よっ!もしあんたがそれを壊したり汚したりしたら死刑の上にあんたが地獄に落ちた後もけちょんけちょんするんだからっ!」


 俺は地獄行き決定か。


「でもいいのか俺なんかで」


「別にいいじゃない、光栄に思いなさいよ」


「はぁ〜、わかったよ受け取ってやるよ」


「本当に汚したりしたら許さないんだからねっ」


「へいへい」


 そしてその日はこれで終わり帰ることになったが、手に持っているただのカチューシャが重く感じたのは気のせいか?


>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


「長門」


「……なに」


「ハルヒの病気はお前の力で治せないのか」


「それは不可能、私の情報操作能力と涼宮ハルヒの扱う情報操作能力は桁違い」


「つまり治せないんだな」


 コクッと頷く長門、そういえばあまりこいつが読んでいる本に目を向けたことがなかったな、こいつが俺を呼び出す手段で本を借りた程度だったか。


「なぁ長門、今日は何読んでるんだ」


「これ」


 本のカバーを見せる長門、そこに書かれている題名は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』いったいどんな話なんだろうか。


「それ面白いか?」


「ユニーク」


 本の感想について聞くと毎回この回答が返ってくる、やっぱり宇宙人にとって地球人の考え方は面白いのだろうか、そんなことを考えながらぼんやりとしていると部室の扉の向こうから気配がする。


「すみません、遅れてしまいました」


「いや、それより古泉」


「涼宮さんのことですよね、わかっています」


 そう言うと古泉は淡々とした表情で俺の前へと座る、いつものポジションだがとにかく今はなんだか腹ただしい。


「それでは、涼宮さんに能力を使わせるにはどうすればいいのか。話していきましょうか」


「あぁ」


「とにかく現在わかっていることは、どうして涼宮さんが治癒して学校に戻りたいと願わないのか」


 さすがに鈍いあなたでもわかるでしょう、と言われて腹は立ったが確かに俺は鈍い。


「ハルヒは……卒業後にSOS団が消えるのが怖い、だから卒業前に死んでしまった方がマシとでも思っているということか?」


「まぁ、それが一番正解でしょう。しかし」


「あぁ」


 卒業……時間は止められない。


「まぁ、現在の状況は以前涼宮さんが起こした夏休みを延々と繰り返す、名付けて『エンドレスサマー』に近いでしょう」


「ということは、また同じ繰り返しが起こるってことか?」


「いえ、それはないでしょう。涼宮さん自身が能力の使いすぎで体を壊しているのですから、それは涼宮さんが願ったところで体が拒否してしまいますよね、長門さん?」


 突如話を振られた長門の方へと向くと、本を読む手を止めこっちを向いている。


「涼宮ハルヒは現在能力を使うことは不可能、故に現在どれほどストレスを受けても閉鎖空間の発生を確認できない」


「やっぱり気づいていたんですね、長門さん」


 おかげで機関の人間は大喜びですよ。と古泉は言う。


「話を戻しましょう。涼宮さんが自分で治らないと思う原因が卒業となると手の打ちようがありません」


「じゃあ、どうするんだ。俺がジョン・スミスって言ってもどうにもならないと思うぞ」


 そうですね。と言って古泉はそばのお茶をひとくち飲むと涼しい顔で口を開く。


「諦めましょう」


「……は?」


 待て、今こいつは諦めようといったのか?


「はい、言いました」


「……どういうことだよ」


「単純です。治すのが不可能な病気にかかった涼宮さんがいて、せっかく治る手段があるというのにそれが使えない原因を解決する方法も不可能なものだった、諦める以外の選択肢があると思いますか?」


 次の瞬間、俺は周りの音が一切聞こえなくなっていた。頭の奥が釘で何本も刺されたみたいに痛んで。次に感じたのは右手の鈍い痛みと徐々に聞こえてくる周りの音、そしてふと見れば左頬を抑え床に倒れている古泉の姿が見えた。


「古泉テメェ……やっぱりお前も機関の人間だったんだな」


「ッ!痛いですね……そうですよ、僕だって……僕だって数年前までは普通の人間だったんですよっ! それなのに……急に超能力とか神人と訳のわからないことに巻き込まれて、もううんざりなんですよっ!」


「っ!」


 確かにそうだ、それは明らかに無意識とはいえハルヒの自分勝手で引き起こしたことだし、機関の人間もある意味で言えば被害者だ、だが。


「それが涼宮の死んでいい理由にはならねぇっ!」


「だったらっ! あなたは救えるんですかっ、涼宮さんのことをっ! ただの人間のあなたがっ!」


「……わからん」


 机の向こうから睨んでくる古泉と俺の視線がぶつかり合う、沈黙と長門の本をめくる音だけが部室内を流れている。


「ですよね……僕は、少しでも……すみません、出て行きます」


「おい……待てよ、古泉っ!」


 古泉は机に置いてあったカバンを取り、部室の扉を開け出て行った。古泉が出て行った後半開きになった扉を閉じ直し、椅子に座って長く息を吐く。


「どうして……どうしてこうなるんだよっ!」


 やり場のない怒りが体の中を暴れるが、ぶつけ所がなくそのまま机の上へ突っ伏すしかなかった。


「……ん? さっきは済まなかった……大声とか出したりして」


「……平気」


 隣で長門が俺の袖をちょいちょいと引いて呼びかける、手にはさっき聞いた本が握られている。


「これ……読んで」


「……また呼び出す気なら口で言ったらどうなんだ?」


 長門は首をふるふると振るが、じゃあ一体なんだって言うんだ?


「私は、涼宮ハルヒを観察するために作られた。涼宮ハルヒが死んだら私の存在意義がなくなる」


「……結局お前もそういう考え方か」


「とにかく、これを読んで」


 以前のように半ば強引に長門に本を渡されそのまま帰ってしまった。そして部室で一人になった俺も仕方なく家に帰ることにした。


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「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』か……聞いたことがあるだけだな」


 結局家に帰って、ベットの上で長門から渡された本のページを開く、出てくるキーワードは『荒廃した地球』『アンドロイド』『神』『感情』などの単語が並んでいるわけだが内容はなかなか面白い、が。


「今回は栞はないんだな……一体何が言いたいんだ長門は」


 とその時。


『キョンく〜ん、ごは〜ん』


「あぁっ、わかったっ!」


 下の階で妹が呼んでいる、確かに腹が減れば何ちゃらだ。とにかく腹に飯を収めよう。そう思った時だ。


「っ、しまったっ」


 机に置いた長門の本を床に落としてしまう、特に大したことはないが借り物ということもあってこういうのは少し神経質になる。


「はぁ〜、カバーが取れちまった・・・ん?」


 題名の書かれたカバーの裏に、何やら文字が見える。


 慌ててそれをひっくり返してみた、するとそこには長門の綺麗すぎる字でこんな文章が綴られていた。


『私は対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス。


 私は人間ではない。


 けど。


 私は涼宮ハルヒの監視という任務以上に


 涼宮ハルヒに生きて欲しい


 自分の存在以上に』


 体に衝撃が走るとはこういうことを言うのだろうか、全く味方がいないと思っていた自分に一筋の光が差したような、そんな感じがした。


 結局俺は妹に呼ばれるまで、本の背表紙を抱いてただただ泣いた。

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