第3話 日常を始めましょう

「はあああぁぁぁ~~~~っ!」


 大きく伸びをする。

 日差しを遮るカーテンを開けると、空は快晴。窓を開け、私は爽やかな朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。


「よく寝たー!」


 目がパッチリと開く。

 眠れそうで眠れない、そんなここ最近の気怠げな気持ちは、すでに跡形もなく吹き飛んでいた。

 起き抜けの私は、まずベッドのすぐ脇に置いてある鞄を開いて、その中身を確認する。


「……うん、大丈夫。ちゃんとある」


 中には、ギッシリと金貨銀貨が詰まっており、両手には重量感が伝わっている。

 この街にやってきてからの、毎日の日課。

 それでも、時間と共に不安は徐々に薄れ、眠れるようになったことで、お金を確認する際の気分にも変化があった。

 以前は、お金が手元にあるというのに、私の胸中を恐怖が渦巻いていた。お金は人を簡単に変貌させる。その魔力を自分自身で実感し、取り付かれていた。

 でも、自分の家を得た安心感からか、ここ最近は――。


「う……うふふ……っ」


 お金を見る度に、ニヤけてしまう自分がいた。

 まずい兆候だわ……本当に!

 だけど、抑えきれないんだから仕方ないじゃないっ!

 どっちにしろ、お金にとりつかれているのは、同じなのかもしれない。







 う~ん……あんまり食料の備蓄がないなぁ……。

 キッチン下の戸棚に残っている、数少なくなってきた食材を見て、私の口から溜息が零れる。


「そろそろ買い出しに出ないといけないかな……」


 外出。 

 そこから想起されるのは、住み慣れない、真新しい景色。思い返してみれば、私は新しい街に移住してきたというのに、ここがどんな街なのかよく知らない。

 通常時であれば、心躍るシチュエーション。

 貴族として生活していた私は、一般的な女性の例に漏れず、買い物が大好きだった。最も、火の車状態であった家計の問題から、私は貴族としては珍しく、散財というものをほとんど経験したしたことがないのだけど。

 それでも買い物の楽しさは、今でも胸の奥に焼き付いている。

 だけど、私は憂鬱だった。視線は、自然と黒塗りの鞄に向けられる。

 ……あれをどうするか……それが問題だわ。

 鞄を持って出かける。それも、一つの手ではある。だけど、今回はそれでいいとしても、繰り返していると確実に怪しまれてしまうだろう。金貨、銀貨の詰まった鞄は、ただでさえ私にとっては大荷物だ。考えるまでもなく、目立つだろう。悪い人に、襲ってくださいと自分からアピールしているようものだった。

 ……どうする? ……どうしよう……。

 実際、これは早急に克服しなければならない課題だ。

 生活により馴染むには、できる限り自然に過ごしていかなければならない。

 それは、今抱えている不安だらけの毎日のままでは、到底叶わない。


「……よ、よし!」


 私は、無理矢理気合いを入れるべく、両手で頬を軽く叩いた。

 微かな痛みに、少しだけ不安が紛れる。

 い、行こう!

 私は鞄から買い出しに必要なお金を取り出すと、振り返りたくなる弱気な意思を振り払って、家を出るのだった。







「いらっしゃい! お嬢ちゃん、また来てくれたんだな! アリッサちゃんの知り合いだ、安くしとくよっ!」


 以前アリッサさんが紹介してくれた、食料品関連の露天街に顔を出す。

 すると、私の事を覚えていてくれたのか、店主さんは気持ちの良い笑顔で私を迎え入れてくれた。


「今日は何にする? うちは野菜も肉も取り扱ってるよ!」


 店主さんの言葉通り、店前には山となった様々な野菜が積み上げられていた。その裏のカウンターで、巨大な肉の塊を、慣れた手付きで捌き、切り分けている。


「……っ」


 うぅ……お野菜はともかく、お肉はちょっと……。

 肉の塊は、まだ少しだけ、原型の面影を残している。 

 たぶん、私も貴族時代によく口にした、大型鳥の肉だ。

 血の滴る断面図から、私は顔を僅かに背ける。 

 ついこないだまで、昆虫を平気で食べてたのに……。

 今更肉をグロイと思ってしまうとは、私は想像もしていなかった。

  私……本当に昆虫なんてよく食べられてたわね……。

  空腹の恐ろしさを私は今更ながらに実感する。


「はっはっは! お嬢ちゃん、これダメか?!」

 

 そんな私の躊躇を察したのか、豪快に大口を開けて笑いながら、店主さんは一旦手を止め、切り分けている最中のお肉を奥に引っ込めてくれる。


「もしかして、肉は嫌いか?」

「い、いえ! 大好きです! ……でも、あまり、そういうのは見慣れていなくて……」

「そうかい、まぁお嬢ちゃんは育ちも良さそうだしな! だけど、お嬢ちゃんの口に肉が届くまでに、こういう現実があるってのは、覚えときな」

「はい……」


 私は恥ずかしくなって、俯く。

 そんな時――。


「おっちゃん! 肉買いに来たよ!」


 まだ年端もいかない少年が、元気よく店主さんに向かって声を上げた。


「おう、ボウズ! どんだけいるんだ!」

「五人分くれ!」

「おう! 待ってろ!」


 店主さんは、奥に引っ込めていた肉を改めてカウンターに引っ張り出そうとして、私を見た。


「…………」


 私が無言で頷くと、店主さんは一瞬だけ躊躇ったが、最終的には仕事をこなすことを優先した。

 店主さんが鶏肉を切り分ける。

 惚れ惚れするような手際の良さ。

 三十秒もしないうちに、少年の注文した五人分の肉が取り分けられた。

 少年はその一部始終を、当たり前の出来事であるように眺めていた。


「あ! そうだ! おっちゃん、ガラもくれ!」

「はいよ!」


 少年の次の注文を受け、店主さんが木箱から取り出したのは、肉の塊なんかより、遙かに元の姿を想起される、鳥の骨格。


「~~っ!」


 私は思わず、顔を背けてしまった。

 だけど、私の隣で少年は袋に入った鶏ガラを平然と受け取ると、料金を払って走り去ってしまう

 私は呆然と、少年の背中を見送る。

 所詮私は薄汚い貴族と同じで、何の現実も知らない小娘であると、改めて突きつけられたような気分。

 貴族が庶民と呼ぶ人々の間では、これが日常なのだ。

 殺して糧を得る。

 庶民が殺した糧を料理として、元の姿も知らぬまま、貴族が食す。

 きっと、スタンリーもミーシャも、この現実を知らないに違いない。

 また、知っていないからと、何かある訳でもない。

 だけど、知ってから食すのと、知らずに食すのでは、その間には大きな差があるように私は思ったのだ。


「て、店主さん……」

「ん? どうした? 買いたい物が決まったのかい?」


 だけど私は、一歩を踏み出すと決めたのだ。

 普通の人からすれば、失笑すら呼び起こさない、小さな小さな一歩。

 それでも、私にとっては確かな一歩には違いないのだから。


「やっぱり野菜か?」


 店主さんがカウンターの裏から出てこようとする。

 きっと、私の心情を慮ってくれているのだろう。

 貴族の世界では考えられないほどに、彼らの心根は優しい。

 たとえそれが見せかけだけだとしても、その一旦にでも触れることができたことには、価値があるはずだ。

 私は、勇気を出して言う。


「……私も、お肉を一人前……ください」

「……お?」


 店主さんが、カウンターから身を乗り出そうとして、目を見開いた。

 しかし、すぐにくしゃっと顔を皺だらけにして、少年のように破顔すると――。


「おう! ちょっと待っててな! すぐ用意するぜっ!」


 力瘤を作りながら、店主さんは了解を示した。

 私は鳥が肉になっていく様を、じっと見つめ続けた。

 これこそが、私が生きていく世界の一部なのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る